夕方六時に店を閉めると、ホールと厨房を手分けして掃除を済ませる。
「今日は莉子のお陰で早く済んだ。本当にありがとう」
「明日からも任せといて」
「仕事の疲れを取りに来たのに、こっちでも毎日働いてどうするのよ。バイト代払わなくちゃ」
「要らないよ。宿泊費も食費も払わないんだから、せめて手伝わせて」
「莉子がいいなら」
夜、缶酎ハイで乾杯をしながら時間を忘れて語り合う。
「電話で大泣きするから本当にビックリした。あんなに思い詰めるなんて思わなくて悪いことしちゃったよね、私」
美里は招待状に扮した手紙を送ったことを詫びた。
「あの日は特に疲れてて、躍起になってたの。本当に結婚式だったら勿論参列するよ? でも、自分だけが独身貴族なのがやけに辛く思えるくらいには疲れてた。心が。あの手紙のお陰で、自覚している以上にメンタルやばくなってるって気付けたから、結果的には感謝してるんだ」
都会の人気店で働くことに憧れ、それを実現した自分に酔っていた。必死で働いて上り詰めたと思ったのに、気付けば一人になっていた。辛い時、落ち込んだ時に悩みを打ち明けられるスタッフはいない。逆に相談を受けることもない。
「店で浮いてるんだろうなって今になって思う」
「そんなことないよ。莉子は完璧にしすぎて隙がなさすぎるの。もっと他人が入れる余白を作らないと」
「余白かぁ……難しいな」
「でも、電話の後は頼れるようになったって言ってたじゃない」
「相当驚かれたことに私が驚いた。私ってそんなに独走してたんだって。そりゃスタッフも引くわって。実際、怖い人だと思ってたって言われたし」
「話してみると違うかったって?」
「その時、下の子との距離を詰めるのが苦手って話をしたら、次の日からその子から話しかけてくれるようになった」
「本当は莉子と仲良くなりたいんだよ」
ふぅ……と長いため息を吐く。
美里と話しているうちに、自分の抱えてる悩みや問題が明確になり、好きだったはずの仕事にストレスを感じている自分にも気付けた。正しく甘えられているのかは分からない。でも今は呼吸が出来ている。
「明日は定休日だから、いっぱい飲もう! 明日起きるまで寝よう!」
「賛成ー! まだまだ食べるぞー!」
テーブルに並べられた美里の手料理はどれも美味しかった。
最近は碌な食事をしていなかったと頭の中で振り返る。
朝は支度に時間を使い、朝食を食べるという概念がまずなかった。仕事の合間でスタッフルームに常備されているお菓子やパンを適当につまみ、昼は休みなく接客をする。夜はコンビニやテイクアウトのお弁当で済ませることが多く、忙しすぎると食欲も減り、空腹を感じなくなっていた。
でも今は食べても食べても満腹にならない。作ってもらった料理なんて久しぶりすぎるのもあるし、体が栄養を欲しているかのように吸収しているのを感じている。
「やばい、私帰る頃にはすんごい太ってるかも。服が合わなくなってたらどうしよう」
両頬に手を当てる。
「大丈夫だよ。そんなんで太いなんて言ってると世間様に怒られるよ。食べに来たんだから『苦しい! もう食べられない!』って言うまで食べてもらうからね」
「やったー、美里の料理いっぱい食べたい。明日も明後日もずっと食べたい」
お互い酔っていて変なテンションで抱きしめ合う。こんなに手放しにはしゃぐなど、普段の生活では皆無だ。
必死に上を目指し、下から追い上げてくる才能から逃げ切ってきた。
スマホの画面が光り、通知設定してる自分のサロンの動画がアップされたと表示された。美里が見たいと言うので流してみる。
「莉子のヘアアレンジ動画だ。自分じゃできないけど見るのは楽しい」
「簡単なアレンジなのに、これでも一般的には難しいの?」
「人によるんじゃない? 私は見えない頭の裏でどうなってるのか想像できないし、見様見真似でやっても同じ仕上がりになった試しがなくて、今や見る専門よ」
堂々と自慢そうに言う。誰でもできると謳って流しているのに、誰でも出来ないとは初耳だし衝撃だった。
「これ、出来ないんだ」
「それは莉子がプロの美容師だからだよー。動画を真似する子も器用だったり好きなんでしょ。でも出来なくても見るの楽しいし、良いじゃん。莉子はまた『誰でもが出来ないんじゃ意味ない!』とか思ってた?」
「う……図星デス」
ズバズバ意見を言ってくれる客なんていないし、アンチなコメントも届かないから過信していたのは反省した。
でも美里の言うように、アレンジの過程を見て楽しんでもらうと言うなら、また新しい動画を作れそうだ。話していると色んなヒントをもらえる。もしかすると、他のスタッフも何か気付きがあるかもしれない。
改めて画面に目を向ける。早くも視聴者からの反応が寄せられていく。多くは莉子の顧客様だ。
「あれ……この編集……」
「どうしたの?」
「いや、まとめて動画が撮れたから、こっちに持ってきて編集しようと思ってたの。そしたらデータをアシスタントに奪われて。私が休んでいる間は、その子が編集して発信してくれるって……でもこの編集は多分、悠臣だ」
「悠臣さんって言うのは、同じスタイリストだっけ? なんで分かるの?」
「なんとなくだけど、編集一つでもスタッフそれぞれに個性が出るんだ。どこって言われると説明が難しいんだけど」
美里は「ふーん」と興味深そうに動画をもう一度再生させた。
同じアレンジを美里の髪でしてあげると、感嘆の声を上げ、写真まで撮って見入っていた。過去の動画で好きなのがあると言って、着せ替え人形のように色んなヘアアレンジをして遊ぶ。美里と二人だと、何をしても楽しい。
寝落ちするまで食べて飲んで笑っていつの間にか眠っていた二人が翌日目を覚ますと、太陽は高く昇り、時間は正午をとっくに回っていた。
「今日は莉子のお陰で早く済んだ。本当にありがとう」
「明日からも任せといて」
「仕事の疲れを取りに来たのに、こっちでも毎日働いてどうするのよ。バイト代払わなくちゃ」
「要らないよ。宿泊費も食費も払わないんだから、せめて手伝わせて」
「莉子がいいなら」
夜、缶酎ハイで乾杯をしながら時間を忘れて語り合う。
「電話で大泣きするから本当にビックリした。あんなに思い詰めるなんて思わなくて悪いことしちゃったよね、私」
美里は招待状に扮した手紙を送ったことを詫びた。
「あの日は特に疲れてて、躍起になってたの。本当に結婚式だったら勿論参列するよ? でも、自分だけが独身貴族なのがやけに辛く思えるくらいには疲れてた。心が。あの手紙のお陰で、自覚している以上にメンタルやばくなってるって気付けたから、結果的には感謝してるんだ」
都会の人気店で働くことに憧れ、それを実現した自分に酔っていた。必死で働いて上り詰めたと思ったのに、気付けば一人になっていた。辛い時、落ち込んだ時に悩みを打ち明けられるスタッフはいない。逆に相談を受けることもない。
「店で浮いてるんだろうなって今になって思う」
「そんなことないよ。莉子は完璧にしすぎて隙がなさすぎるの。もっと他人が入れる余白を作らないと」
「余白かぁ……難しいな」
「でも、電話の後は頼れるようになったって言ってたじゃない」
「相当驚かれたことに私が驚いた。私ってそんなに独走してたんだって。そりゃスタッフも引くわって。実際、怖い人だと思ってたって言われたし」
「話してみると違うかったって?」
「その時、下の子との距離を詰めるのが苦手って話をしたら、次の日からその子から話しかけてくれるようになった」
「本当は莉子と仲良くなりたいんだよ」
ふぅ……と長いため息を吐く。
美里と話しているうちに、自分の抱えてる悩みや問題が明確になり、好きだったはずの仕事にストレスを感じている自分にも気付けた。正しく甘えられているのかは分からない。でも今は呼吸が出来ている。
「明日は定休日だから、いっぱい飲もう! 明日起きるまで寝よう!」
「賛成ー! まだまだ食べるぞー!」
テーブルに並べられた美里の手料理はどれも美味しかった。
最近は碌な食事をしていなかったと頭の中で振り返る。
朝は支度に時間を使い、朝食を食べるという概念がまずなかった。仕事の合間でスタッフルームに常備されているお菓子やパンを適当につまみ、昼は休みなく接客をする。夜はコンビニやテイクアウトのお弁当で済ませることが多く、忙しすぎると食欲も減り、空腹を感じなくなっていた。
でも今は食べても食べても満腹にならない。作ってもらった料理なんて久しぶりすぎるのもあるし、体が栄養を欲しているかのように吸収しているのを感じている。
「やばい、私帰る頃にはすんごい太ってるかも。服が合わなくなってたらどうしよう」
両頬に手を当てる。
「大丈夫だよ。そんなんで太いなんて言ってると世間様に怒られるよ。食べに来たんだから『苦しい! もう食べられない!』って言うまで食べてもらうからね」
「やったー、美里の料理いっぱい食べたい。明日も明後日もずっと食べたい」
お互い酔っていて変なテンションで抱きしめ合う。こんなに手放しにはしゃぐなど、普段の生活では皆無だ。
必死に上を目指し、下から追い上げてくる才能から逃げ切ってきた。
スマホの画面が光り、通知設定してる自分のサロンの動画がアップされたと表示された。美里が見たいと言うので流してみる。
「莉子のヘアアレンジ動画だ。自分じゃできないけど見るのは楽しい」
「簡単なアレンジなのに、これでも一般的には難しいの?」
「人によるんじゃない? 私は見えない頭の裏でどうなってるのか想像できないし、見様見真似でやっても同じ仕上がりになった試しがなくて、今や見る専門よ」
堂々と自慢そうに言う。誰でもできると謳って流しているのに、誰でも出来ないとは初耳だし衝撃だった。
「これ、出来ないんだ」
「それは莉子がプロの美容師だからだよー。動画を真似する子も器用だったり好きなんでしょ。でも出来なくても見るの楽しいし、良いじゃん。莉子はまた『誰でもが出来ないんじゃ意味ない!』とか思ってた?」
「う……図星デス」
ズバズバ意見を言ってくれる客なんていないし、アンチなコメントも届かないから過信していたのは反省した。
でも美里の言うように、アレンジの過程を見て楽しんでもらうと言うなら、また新しい動画を作れそうだ。話していると色んなヒントをもらえる。もしかすると、他のスタッフも何か気付きがあるかもしれない。
改めて画面に目を向ける。早くも視聴者からの反応が寄せられていく。多くは莉子の顧客様だ。
「あれ……この編集……」
「どうしたの?」
「いや、まとめて動画が撮れたから、こっちに持ってきて編集しようと思ってたの。そしたらデータをアシスタントに奪われて。私が休んでいる間は、その子が編集して発信してくれるって……でもこの編集は多分、悠臣だ」
「悠臣さんって言うのは、同じスタイリストだっけ? なんで分かるの?」
「なんとなくだけど、編集一つでもスタッフそれぞれに個性が出るんだ。どこって言われると説明が難しいんだけど」
美里は「ふーん」と興味深そうに動画をもう一度再生させた。
同じアレンジを美里の髪でしてあげると、感嘆の声を上げ、写真まで撮って見入っていた。過去の動画で好きなのがあると言って、着せ替え人形のように色んなヘアアレンジをして遊ぶ。美里と二人だと、何をしても楽しい。
寝落ちするまで食べて飲んで笑っていつの間にか眠っていた二人が翌日目を覚ますと、太陽は高く昇り、時間は正午をとっくに回っていた。