美里の誘いに興奮しきった莉子はフリーズしてしまった。
『莉子はさ、昔から責任感の塊みたいだったよね。頼もしいんだけどさ、いつか壊れちゃわないか心配だった。自分がいなきゃ、みんなが困るって思ってるんでしょ? でも世の中そうでもない。私もOL時代は役職ももらえて一見充実してたけど、ふと『これって私じゃなくても良いよね』って気付いて、自分の仕事なんて他の人に任せれば良いって思えた時、モヤモヤ考えてたの全部吹っ切れた。そうしたら自由になれた。莉子も直ぐに仕事辞めろなんて言わないけどさ、一回くらい他の人に仕事任せて休みとりなよ』
「そう……だね……。うん、そうする。休みもぎ取って、そっちに遊びに行くよ」
 電話を切ると、美里からの手紙を開封した。フライヤーを広げると、カフェの目の前に海が広がっている。オープンテラスがあり、観葉植物やそのまま横になりたくなるような大きなソファーも写っている。写真だけで気持ち良さそうなのが伝わってきた。メニューとして載っているハンバーガーとポテトはカフェ用に考案したメニューなのか、美里ご飯の古参のファンである莉子でも食べたことはない。
(行きたい)
 生唾を飲み込み、早く開封しなかった自分を責めた。
 手紙には田舎に引っ越したこと、カフェをオープンしたこと、スタッフは探してるけど早々に見つかりそうにないことなどが書かれている。地図と住所を見ると莉子は行った事のない土地で、何故ここにしたのか、どうやってこの場所を見つけたのか気になった。

 兎にも角にも、思い立ったが吉日、休みを貰うためにどうしても自分がやらなきゃいけない仕事は山ほどある。
 莉子は人に頼るのが苦手で、なんでも一人で背負ってしまう性格だった。
 仕事内容を再確認すれば、人に任せられるものも沢山あるのにようやく気が付いた。
(もしかすると、こういうところを悪く言われてたのかもな)
 周りが見えてくれば、陰口を言ってるアシスタントとももう少し上手く付き合えると思えた。
 カレンダーを確認し、休める目処のつきそうな日を探す。そうして学生や社会人の夏休みが終わった九月に行くと計画を立てた。
「半月後なら、あっという間だわ」
 とはいえ無理矢理過ぎるほどの計画である。仕事の予定で埋まった手帳アプリには、年末年始辺りまでのスケジュールがびっしりと書き込まれている。今回を逃せば、チャンスは来年まで先延ばしになるのは確定だ。
 フライヤーを壁に貼り、何がなんでも行ってやると気合を入れる。仕事以外で殺気立つほど燃えるのは初めてかもしれない。

 翌日、突然休暇を取ると言い出した莉子に、店のスタッフは瞠目として固まった。
「何? どうしたの? みんなフリーズしてるよ?」
「だって莉子さんの口から休むなんて意外すぎて。仕事が趣味って感じだったから」
 素直な感想を言ってくれたのは一番人気のスタイリストである悠臣だ。同い年で同期でもある彼くらいしか莉子に物申す人はいない。
「私もたまには気分転換したくもなるって」
「久しぶりに彼氏が出来たとか?」
「でーきーてーなーいー。田舎に引っ越した友達が、海沿いのカフェを開いたからって呼んでくれたの」
 スマホでカフェのアカウントを検索し、スタッフに見せた。都会からはかけ離れた自然豊かな写真の数々に感嘆の声が上がる。
「めちゃくちゃ心地良さそうだし、美味しそうじゃないですか。俺も同行します」
「トップスタイリストが二人も同時に休めるわけないでしょ」
 ピシャリと断ると、「俺も莉子さんとお出かけしたい」なんて言いながら口を尖らせて拗ねる。
 童顔の顔立ちに人懐っこいワンコ系男子。それでいて両腕にはびっしりとタトゥーが彫られている。ギャップという武器を最大限使いこなす天才。技術だけでなく愛嬌の良さも相まって、悠臣はとにかく女性客の心を掴むのが上手い。
 きっと今も、他のスタッフが莉子の自分勝手な申し出に文句を言わせないために気を遣ってくれている。
「それでね、私だけじゃ仕事が終わらせられないから手伝って欲しいんだ。主に九月入ってすぐのイベントの……」
「莉子さん、このカフェのオーナーって男です?」
「女だよ、女! 大学の頃からの友人。なんで?」
「だって莉子さんが他人に仕事を任せるなんて、女友達相手に人格まで変わっちゃって、今日出来た台風が今日中に来ますよ」
「失礼だな! 昨日の夜、その友達と話して色々反省したの。これからは、もっと人に甘えることも覚えなきゃなって」
「へぇ……」
 悠臣はあんぐりと口を開け、莉子の変わりっぷりに呆然と立ち尽くした。

 その後は悠臣が莉子とアシスタントたちの間を上手く取り持ってくれ、アシスタントたちも少しずつ心を開いてくれた。莉子もなるべく差し入れを持ってきたり、感謝の言葉を口にするよう心がけた。
「私、蓮見さんってもっと怖い人かと思ってました」
「自分でも、下の子との距離の詰め方が下手だなって思ってた。目上の人との付き合いは得意なんだけどね」
 仕事で身につけた処世術で、年上の異性に好かれるとかではないのが残念ポイントではある。

 人に任せられるようになると、驚くほどスピーディーに準備が進められていく。余った時間を配信用の撮影に使い、簡単にできるヘアアレンジの動画までまとめて撮れた。

 こうして莉子は、五日間もの休みを無事にもぎ取ったのだった。
 悠臣は本当に一緒に行きたいのか、前日の帰る際まで「俺も行きたい」と駄々を捏ねた。
「お土産買ってくるから。店のこと、よろしくね」
「早く帰ってきてください。でも楽しんできてください。寂しくなったら電話してください。写真送ってくれないと怒りますからね。帰ってきたらいっぱい仕事押し付けますからねーー!」
「はいはい、了解」
 莉子にしがみ付き兼ねない悠臣を軽く遇らい、一度マンションに戻った。
 シャワーを浴び、最低限だけのメイクを施すと、深夜のフライトに間に合うように予め準備してあったスーツケースを手に取り出発した。