忙しいのは嘘ではない。自分時間もないほど仕事に明け暮れた日々を過ごしていて、その後、美里からの招待状をすっかり忘れてしまっていた。
 美里本人から電話がかかってきたのは、招待状が届いてから二週間は経っていたように思う。スマートフォンの画面に映し出された名前を見て、この後責められる内容が容易く想像できた。
 恐る恐る通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。
「もしもし、美里?」
『久しぶり! 相変わらず忙しくしてるんだ?』
「まぁ、そんなところ。そういえば手紙送ってくれてたよね。ごめん、まだ開封できてなくて」
 都合良く仕事のせいにしても、開封する時間くらいはある。最後の独身貴族になるのが悔しくて、僻んで開封していませんとは口が裂けても言えない。
 美里は特に怒るでもなく、それどころか莉子を労ってくれた。
『莉子は有名人だし、仕方ないよ。でも、たまには休まないと倒れちゃうよ?』
「そうだね。仕事は楽しいけど、休みがないのはキツイ。明日も昼ごはんは食べれなさそう」
『本当に!? そんなの、全然大丈夫じゃないじゃん!!』
 招待状の話はどこへやら、美里は本格的に莉子の健康を心配し始める。周りには【不死身の莉子】くらいに思われていて、誰も気遣ってくれない。莉子自身がそう振る舞ってきたというのも根底にあるが、受けた仕事を投げ出したくないし、出来ないとも言いたくない。自分に厳しくありたい。それで理想の自分像に近付けるのであればそれが第一なのだ。
 それでもこうして体調を気遣ってもらい、せめてご飯は食べなさいと叱ってくれると不覚にも泣きそうになってしまう。莉子は仕事は出来ても家事は苦手だ。中でも料理は大の苦手だ。唯一、時間があるときにコーヒー豆を挽いて淹れるのが好きなくらいである。

「美里の作ったご飯が食べたい」
 冗談まじりに言ったのだが、美里は本気に捉えてしまった。
『食べにおいでよ』
 電話の向こうで学生ノリで美里が言う。
「いやいや、美里ってどっか田舎に引っ越したって聞いたんだけど」
『そうそう。いいよ〜、のどかで。海が直ぐ目の前にあるカフェをオープンさせたんだぁ』
 大学生の頃から友人周りで美里が一番無難な選択を取るイメージがあったので、カフェをオープンさせたという報告に少なからず莉子は驚いた。しかも一人で切り盛りしているのだと言うではないか。確かに学生の頃から彼女のご飯を目当てに良くマンションに押しかけたものだ。そうなのだけれど、カフェを経営したいなんて夢を本人の口から聞いたことは一度もない。
『私さ、一生独身でいいや〜くらいに思ってて、それならさ、別に会社勤めするより自分のしたいことを選んでも良いんじゃないかって、ふと思っちゃって』
 将来的に家族を持つなら、OLの仕事を無難に熟す方がいいだろうが、独り身なら話は別だ。
 風子の結婚式で莉子を独身貴族を誓い合った後、退職しようと決意したのだと続けた。

「そんな事になってたなんて……。って、あれ? これって結婚式の招待状じゃないの!?」
 棚に置いているあの封筒を慌てて取ってきた。
『全然違うよ。それはちょっと莉子を驚かせようと思っただけで、中はカフェをオープンしたって報告と、店のフライヤー』
「美里ってそんなドッキリするタイプじゃないじゃん!」
『独身同盟の戯れ的な?』
 一皮剥けた美里は、OL時代よりも随分明るくなっていた。今の生活が充実しているのが伝わってくる。自分を曝け出すのが苦手だった美里。都会という場所がそうさせていたのかもしれない。

 それにしても……だ。莉子はまんまと嵌められ、悔しいやら安心したやら、独身で良かったやら、いろんな感情が溢れ出し、思わず大きな声を上げた。
「酷いよ〜!! 本気で結婚するんだって思っちゃったじゃん!!」
『いや、でも差出人の名前は私だけなんだから直ぐに分かるでしょう?』
「衝撃的すぎて冷静じゃなかったの! 本当は美里の結婚に僻んで開封しなかったの! 私だけが寂しい人生送るんだって思って悲しかったの!!」
 何も悪くない美里に八つ当たりをしながら、大人気なくわんわん泣いた。
『そんなに泣かなくても……』
 すっかり反論の余地を失ってしまった美里は、莉子を宥めるしか出来ない。
「だって疲れてるんだもん。毎日毎日、頑張っても誰も褒めてくれないんだもん。それどころか、もっともっとってプレッシャーかけてくるし、過大評価もいい加減苦しいし、陰で悪口言ってるスタッフだって知ってるし。私にどうしろって言うのよ!? ロボットでもなんでもない、ただの人間だよ? ただ誰よりも頑張った人間だよ? もう、しんどい。逃げたい。辞めたい」
 辞めたいは嘘だった。勢いついて叫びすぎてつい口を滑らせてしまっただけだ。一気に喋って息切れしながら、どちらとも一時黙り込んだ。

 莉子が冷静さを取り戻すのを待ち、美里は静かに言った。
『ねぇ、こっちおいでよ』