復帰一日目は、感覚を取り戻すのに苦労した。
時折、悠臣の視線を感じたが、気付かないふりでやり過ごす。
(オーナーと二人がかりで止められそうだな)
ディレクターという役職が存在しないこのサロンでは、実質莉子がサロン・ディレクター、悠臣はクリエイティブ・ディレクターの立ち位置と同等である。
現状、今このサロンで店長的役割を担っている莉子の代わりを務められる人材はいない。このまま辞めれば悠臣に全てを丸投げしてしまうのも確実だった。これでは負担が大き過ぎる。
だからと言って諦めたくなかったし、自分がこれ以上ここで出来ることも目標も見つからない。なのにサロンのトップに居座ってはいけないとも思う。
一週間経っても莉子の気持ちは変わらなかった。
木谷の奥さんは赤ちゃんの写真や動画を送ってくれて、見るほど会いたくてたまらなかった。
ロック画面に設定しているキーの写真は客との話のネタにも使っている。
猫好きな人から猫から懐いてくる極意も伝授してもらい、試したくてウズウズしてしまう。
オーナーとは話をしたが、やはり直ぐに了承はできないと言われた。一応、年始以降の仕事は取らないでおくと言ってくれたけれど、逆に年内の仕事は増えるだろう。
これまでは悠臣に任せきりだったスタイリストの指導にも積極的に関わり、今いる三人の中から一人をトップスタイリストに育てようと計画を立てている。
出来ることは何でもやる。それで次のステップに進めるなら、どんな努力も苦労にはならない。
悠臣は平然を装い、なるべくいつも通りに接してくれているが、確信部分に触れる機会を伺っているようにも見て取れた。
時間が取れれば食事ついでに話も出来るが、お互い忙しくて叶わない。
それでも時間が経つほど、少しずつではあるが莉子の意見を聞いてくれるように変化が見られた。
美里に電話をかけ、やはり一緒に住みたい旨を話す。
『うん、分かった』
「反対しないの?」
『莉子が築き上げたものを、私が原因で壊したみたいで申し訳なかったの。でも莉子が本気なら、私は嬉しい』
「壊したなんて……、美里のおかげで私は救われたんだ。それだけは勘違いしないで。私は私の意思で変わりたいって思ったんだよ」
『でも職場は大丈夫そう?』
「完全にOKもらってるわけじゃないけど、前向きに考えてくれてる。私もスタイリストの一人を後継者として育ててる。まだ私が辞めるとは知らないから、急にスイッチが入ったって思われてそうだけど」
『莉子が楽しそうで良かった。こっち来る前の電話の時とは全然違うね』
「目標が出来たから。早く美里に会いたいよ。あと、キーを手懐けないまま帰ってきたからリベンジしたい」
美里は猫にまで完璧主義を発揮しようとしている莉子に、半ば呆れたように笑った。
目まぐるしく時は流れ、十二月に入ると、莉子が育てていたスタイリストがトップスタイリストへの昇格が決まった。直ぐにサロン・ディレクターというわけにはいかないため、しばらくは悠臣に委ねる流れになるだろう。
それでも技術は莉子の顧客を任せられるレベルにはなってくれた。安心して辞められる。
莉子はスタッフ全員に、年明けに退職すると発表した。
自宅マンションは引越し準備を進めていて、田舎では使えない服やアクセサリーはスタッフに貰ってもらうことになった。
「持って行く物、少なすぎる……」
マンションに物は溢れているのに、驚愕するほど要らないものだらけだ。田舎だから……というのもあるが、服なんて持っていく枚数の方が圧倒的に少ない。
何年も住んでいるマンションに愛着も湧いてないのにも自分で驚いた。ほぼ眠るためだけの場所だったので仕方ないが、折角オシャレにしたのに楽しみたかったと残念に思った。
悠臣とは忘年会の後でようやくゆっくり話せる機会が持てた。
「今年も一年間お疲れ様」
「まさか莉子さんと最後の年になるとは予想もしてませんでした」
「それは私もそう。転職するなんて考えたこともなかったし、田舎暮らしするのも数年前の私なら選ばなかっただろうな」
「もうこっちには来ないつもりですか?」
「多分ね。田舎から帰ってきた時、私が住む場所じゃないって肌で感じて、直ぐにでも友達の元に帰りたくなった。そのくらい、居心地のいい場所だった」
「莉子さんにとって、どんな場所なんですか?」
「……私が、私らしくいられる場所……かな」
悠臣は瞠目とした。ビールを煽り、大きなため息を吐く。
「こんなに長い時間一緒にいたのに、俺は本当の莉子さんを知らなかったんですね」
そこには寂しさが含まれていた。
莉子がオンオフきっちり分けるタイプだとは知っている。それでも自分には素の莉子を見せてほしかったと、そう呟いた。
時折、悠臣の視線を感じたが、気付かないふりでやり過ごす。
(オーナーと二人がかりで止められそうだな)
ディレクターという役職が存在しないこのサロンでは、実質莉子がサロン・ディレクター、悠臣はクリエイティブ・ディレクターの立ち位置と同等である。
現状、今このサロンで店長的役割を担っている莉子の代わりを務められる人材はいない。このまま辞めれば悠臣に全てを丸投げしてしまうのも確実だった。これでは負担が大き過ぎる。
だからと言って諦めたくなかったし、自分がこれ以上ここで出来ることも目標も見つからない。なのにサロンのトップに居座ってはいけないとも思う。
一週間経っても莉子の気持ちは変わらなかった。
木谷の奥さんは赤ちゃんの写真や動画を送ってくれて、見るほど会いたくてたまらなかった。
ロック画面に設定しているキーの写真は客との話のネタにも使っている。
猫好きな人から猫から懐いてくる極意も伝授してもらい、試したくてウズウズしてしまう。
オーナーとは話をしたが、やはり直ぐに了承はできないと言われた。一応、年始以降の仕事は取らないでおくと言ってくれたけれど、逆に年内の仕事は増えるだろう。
これまでは悠臣に任せきりだったスタイリストの指導にも積極的に関わり、今いる三人の中から一人をトップスタイリストに育てようと計画を立てている。
出来ることは何でもやる。それで次のステップに進めるなら、どんな努力も苦労にはならない。
悠臣は平然を装い、なるべくいつも通りに接してくれているが、確信部分に触れる機会を伺っているようにも見て取れた。
時間が取れれば食事ついでに話も出来るが、お互い忙しくて叶わない。
それでも時間が経つほど、少しずつではあるが莉子の意見を聞いてくれるように変化が見られた。
美里に電話をかけ、やはり一緒に住みたい旨を話す。
『うん、分かった』
「反対しないの?」
『莉子が築き上げたものを、私が原因で壊したみたいで申し訳なかったの。でも莉子が本気なら、私は嬉しい』
「壊したなんて……、美里のおかげで私は救われたんだ。それだけは勘違いしないで。私は私の意思で変わりたいって思ったんだよ」
『でも職場は大丈夫そう?』
「完全にOKもらってるわけじゃないけど、前向きに考えてくれてる。私もスタイリストの一人を後継者として育ててる。まだ私が辞めるとは知らないから、急にスイッチが入ったって思われてそうだけど」
『莉子が楽しそうで良かった。こっち来る前の電話の時とは全然違うね』
「目標が出来たから。早く美里に会いたいよ。あと、キーを手懐けないまま帰ってきたからリベンジしたい」
美里は猫にまで完璧主義を発揮しようとしている莉子に、半ば呆れたように笑った。
目まぐるしく時は流れ、十二月に入ると、莉子が育てていたスタイリストがトップスタイリストへの昇格が決まった。直ぐにサロン・ディレクターというわけにはいかないため、しばらくは悠臣に委ねる流れになるだろう。
それでも技術は莉子の顧客を任せられるレベルにはなってくれた。安心して辞められる。
莉子はスタッフ全員に、年明けに退職すると発表した。
自宅マンションは引越し準備を進めていて、田舎では使えない服やアクセサリーはスタッフに貰ってもらうことになった。
「持って行く物、少なすぎる……」
マンションに物は溢れているのに、驚愕するほど要らないものだらけだ。田舎だから……というのもあるが、服なんて持っていく枚数の方が圧倒的に少ない。
何年も住んでいるマンションに愛着も湧いてないのにも自分で驚いた。ほぼ眠るためだけの場所だったので仕方ないが、折角オシャレにしたのに楽しみたかったと残念に思った。
悠臣とは忘年会の後でようやくゆっくり話せる機会が持てた。
「今年も一年間お疲れ様」
「まさか莉子さんと最後の年になるとは予想もしてませんでした」
「それは私もそう。転職するなんて考えたこともなかったし、田舎暮らしするのも数年前の私なら選ばなかっただろうな」
「もうこっちには来ないつもりですか?」
「多分ね。田舎から帰ってきた時、私が住む場所じゃないって肌で感じて、直ぐにでも友達の元に帰りたくなった。そのくらい、居心地のいい場所だった」
「莉子さんにとって、どんな場所なんですか?」
「……私が、私らしくいられる場所……かな」
悠臣は瞠目とした。ビールを煽り、大きなため息を吐く。
「こんなに長い時間一緒にいたのに、俺は本当の莉子さんを知らなかったんですね」
そこには寂しさが含まれていた。
莉子がオンオフきっちり分けるタイプだとは知っている。それでも自分には素の莉子を見せてほしかったと、そう呟いた。