世間では多くの人が「花の金曜日」だと羽を伸ばしているであろう。
蓮見莉子はいつも通り日付が変わってから、ようやく自宅マンションのドアを開けた。
「疲れたぁ」
その場で倒れて眠ってしまいたいが、五時間後には起きて支度をしなければならない。
美容室でトップスタイリストとして働いてる莉子は、土日の予約は朝から晩まで埋まっている。それどころか土曜日は時間外予約まで入っていて、二時間ほど早く出勤しなければならない。
やり甲斐は感じている。仕事は好きだ。
二十代、それなりに恋愛もしてきたがどの男とも長続きはしなかった。理由は決まって莉子が仕事を優先するところにあった。「一人で生きていけそう」とは何人かから言われた。
派手なメイクと常に最先端のファッションも仕事の武器である。
SNSでもそれなりのフォロワー数を持っており、目上の人に媚びる術も身につけている。どこにいても目立つタイプの女だという自覚もある。
そこそこ影響力のある莉子に言い寄ってくる男は大抵そのカリスマ性に肖りたいのが目的だったが、最初は友達に自慢していた男が最終的に清楚な服装の、ナチュラルメイクな女性の元へと旅立つのも定番の流れだった。
徐々に恋愛から遠ざかり、仕事が恋人状態になってから何年が経つだろう。休みがないのも若い頃は平気でも、三十代にもなれば疲労が取れなくなってくる。
重い脚を引き摺りながら奥のリビングへと移動すると、三人掛けのソファーにどさりと倒れ込んだ。
「もう動けない。ちょっと休憩」
虚な視界でぼんやりとテレビ横の間接照明を眺める。こんなに大きなソファーもオシャレな照明も、必要性は感じない。これらは、意地でキャリアを積んできた莉子の意地のようなものだった。
ポストから掴んできた郵便物を床に落とし、そのまま少し眠る。いつから休んでないのだろう。そろそろ有休でも取らなければ、本当に倒れてしまいそうだ。
(ダメ。起きてメイクオフして、お風呂に入って、脚も顔もマッサージしないとやばい)
寝落ちをしても、脳だけは危険信号を送り続ける。顔と足の浮腫みは女の敵なのだ。結局三十分ほどで目を覚まし、のっそりと起き上がるとようやく部屋の電気を点けた。
床に散らばっている郵便物を拾い、テーブルに置く。殆どが莉子には必要のないDMだが、その中に紛れて上質な紙の封筒が飛び出している。
それはいかにも結婚式の招待状であった。
しかし大学時代の友達も、高校時代の友達も、殆ど記憶にない知人まで、莉子の周りの人は既婚者になっている。思い当たる独身はたった一人しかいない。
「嘘……、美里? 共に独身貴族を貫こうって、去年の風子の結婚式で固く誓い合ったのに!?」
ご祝儀貧乏とはよく言ったもので、まさか自分がそれを経験する側になるとは夢にも思っていなかった。
大学を卒業してまもなく初めての結婚式に呼ばれ、いつか自分も……とうっとり妄想に浸りながら新郎新婦を祝福した。
その後、一人、また一人と結婚していき、若くして結婚した友人の中には離婚した者まで出てくる。結婚に甘い理想を抱いていた莉子も徐々に熱が冷めてきた。
そんなことよりも、若くしてスタイリストになった莉子は仕事が楽しくて仕方ない。彼氏に振られても特に傷付きもせず、むしろ開放感に喜びさえ感じていた。
今になって、その代償を味わうことになろうとは……。
震える手で封筒に手を伸ばす。送り主を見ると、そこには案の定【柚木美里】の文字が記されている。
「やっぱりか。裏切り者め!!」
二日酔いでもないのにそれに似た頭痛を覚え、頭を抱える。
返信の締切まではどうせ長い。仕事を言い訳に、ギリギリまで開封してやらないと再びテーブルへ戻す。
そう言えば、共通の友達から美里が田舎に引っ越したらしいと聞いたのを思い出した。田舎と言っても地元ではない別の土地なのを不思議に思っていたが、あれは結婚のフラグだったのだ。美里もOLの仕事にやり甲斐を感じていたではないか。それを簡単に捨て、別の街へ引っ越すだなんて莉子には到底理解できない。
「仕事よりも大切なものなんて」
手紙に向かって呟いても返事はこない。やるせない思いはシャワーで流した。
蓮見莉子はいつも通り日付が変わってから、ようやく自宅マンションのドアを開けた。
「疲れたぁ」
その場で倒れて眠ってしまいたいが、五時間後には起きて支度をしなければならない。
美容室でトップスタイリストとして働いてる莉子は、土日の予約は朝から晩まで埋まっている。それどころか土曜日は時間外予約まで入っていて、二時間ほど早く出勤しなければならない。
やり甲斐は感じている。仕事は好きだ。
二十代、それなりに恋愛もしてきたがどの男とも長続きはしなかった。理由は決まって莉子が仕事を優先するところにあった。「一人で生きていけそう」とは何人かから言われた。
派手なメイクと常に最先端のファッションも仕事の武器である。
SNSでもそれなりのフォロワー数を持っており、目上の人に媚びる術も身につけている。どこにいても目立つタイプの女だという自覚もある。
そこそこ影響力のある莉子に言い寄ってくる男は大抵そのカリスマ性に肖りたいのが目的だったが、最初は友達に自慢していた男が最終的に清楚な服装の、ナチュラルメイクな女性の元へと旅立つのも定番の流れだった。
徐々に恋愛から遠ざかり、仕事が恋人状態になってから何年が経つだろう。休みがないのも若い頃は平気でも、三十代にもなれば疲労が取れなくなってくる。
重い脚を引き摺りながら奥のリビングへと移動すると、三人掛けのソファーにどさりと倒れ込んだ。
「もう動けない。ちょっと休憩」
虚な視界でぼんやりとテレビ横の間接照明を眺める。こんなに大きなソファーもオシャレな照明も、必要性は感じない。これらは、意地でキャリアを積んできた莉子の意地のようなものだった。
ポストから掴んできた郵便物を床に落とし、そのまま少し眠る。いつから休んでないのだろう。そろそろ有休でも取らなければ、本当に倒れてしまいそうだ。
(ダメ。起きてメイクオフして、お風呂に入って、脚も顔もマッサージしないとやばい)
寝落ちをしても、脳だけは危険信号を送り続ける。顔と足の浮腫みは女の敵なのだ。結局三十分ほどで目を覚まし、のっそりと起き上がるとようやく部屋の電気を点けた。
床に散らばっている郵便物を拾い、テーブルに置く。殆どが莉子には必要のないDMだが、その中に紛れて上質な紙の封筒が飛び出している。
それはいかにも結婚式の招待状であった。
しかし大学時代の友達も、高校時代の友達も、殆ど記憶にない知人まで、莉子の周りの人は既婚者になっている。思い当たる独身はたった一人しかいない。
「嘘……、美里? 共に独身貴族を貫こうって、去年の風子の結婚式で固く誓い合ったのに!?」
ご祝儀貧乏とはよく言ったもので、まさか自分がそれを経験する側になるとは夢にも思っていなかった。
大学を卒業してまもなく初めての結婚式に呼ばれ、いつか自分も……とうっとり妄想に浸りながら新郎新婦を祝福した。
その後、一人、また一人と結婚していき、若くして結婚した友人の中には離婚した者まで出てくる。結婚に甘い理想を抱いていた莉子も徐々に熱が冷めてきた。
そんなことよりも、若くしてスタイリストになった莉子は仕事が楽しくて仕方ない。彼氏に振られても特に傷付きもせず、むしろ開放感に喜びさえ感じていた。
今になって、その代償を味わうことになろうとは……。
震える手で封筒に手を伸ばす。送り主を見ると、そこには案の定【柚木美里】の文字が記されている。
「やっぱりか。裏切り者め!!」
二日酔いでもないのにそれに似た頭痛を覚え、頭を抱える。
返信の締切まではどうせ長い。仕事を言い訳に、ギリギリまで開封してやらないと再びテーブルへ戻す。
そう言えば、共通の友達から美里が田舎に引っ越したらしいと聞いたのを思い出した。田舎と言っても地元ではない別の土地なのを不思議に思っていたが、あれは結婚のフラグだったのだ。美里もOLの仕事にやり甲斐を感じていたではないか。それを簡単に捨て、別の街へ引っ越すだなんて莉子には到底理解できない。
「仕事よりも大切なものなんて」
手紙に向かって呟いても返事はこない。やるせない思いはシャワーで流した。