針のように鋭い日差しが、じりじりと肌を焦がしていく。鬱陶しいくらいに付きまとう眩しさを恨むように顔を上げると、視界を邪魔しない程度に伸びた前髪が目に入る。光を遮るために伸ばした腕に掛かる半袖のTシャツは、どうやら肩の位置まで捲られているらしい。このファッションが許されるのは高校生までだろうと袖を元に戻そうとしたが、やめた。どうせ過去に戻っているなら、この痛い日差しも肌で感じてやろうと思った。それにもう、肌は肩まで焼けている。太陽にまで届かせようとした長いため息に、季節の移り変わりの早さに対する少々の憎しみを混ぜ込んだ。
 風鈴の涼し気な音色が蚊取り線香の香りを連想させる。虫かごを自転車のカゴに入れ、力任せにペダルを漕ぐ子どもたちが、俺の真横を通り過ぎていく。子どもたちの残像を追っていると、道のあちらこちらに企業の名前の書かれた提灯が視界に入った。その横に貼られたポスターには、『打ち上げ数 三千発!』の見出しに大きな打ち上げ花火の写真が載り、下半分には祭りの詳細が記載されていた。毎年実家の近くにある広い空き地で開催されている、花火大会のポスターだった。この島の規模で三千発の打ち上げ花火を計画するのは、些かやり過ぎな気がする。あの総合体育館が竣工した時も思ったが、島の人口を大人は知らないのだろうか。いや、あるいは若い世代に対しての見栄か、過度な期待なのかもしれなかった。そんなことをされても、人口は増えない。
 吸い寄せられるように、祭りの詳細を確認する。祭りの開始は十七時、花火が上がるのが十九時半から。月日は丸一年ほど遡っていて、今日が祭りの当日だった。本にある全てのページに行くわけではないと聞いていなければ、俺は茜の三日坊主を疑ったと思う。でも茜に限ってそんなことはない、とも思った。
 俺と茜が付き合い始めたのは、この祭りの数ヶ月前。はっきりと思い出したわけではなかった。が、感じた。この本を書き始めたのは、恐らく、あの日だ。
 ポケットに入っていたスマートフォンが振動する。『あとどれくらいで着きそう?』
 連絡は茜からだった。前回が最後、と言っておいて、まだ近くにいるのかもしれない。俺は辺りを見渡したが、暑さの中に、それらしき気配は感じなかった。俺は「あと十分くらい」と返信をして、茜の家へと急いだ。
 二人きりで初めての祭りだったということもあって、三年が経った今でも、この日の記憶は薄っすらと残っている。この日は部活動が丸一日休みで、昼過ぎから茜の家に行く約束をしていた。気合いを入れて、最初は「十二時に行く」と言っていたが、一日休みに胡坐をかき、見事に寝坊をかました。時計の針は午後二時三十分を示している。だから慌てた。俺の置かれている状況が、まさにここだ。正直、この印象が強すぎるが故に記憶が曖昧なのだが、これだけで昔話には花が咲くので、茜とこの話をする時、俺は「薄っすら」という表現は使わないようにしている。
「着いた」
 俺は茜の家に着く三分ほど前に再びメッセージを送ると、残りの道を全速力で走った。息の切れている状態で会うのがどこか恥ずかしかったので、玄関の少し前から速度を落とす。が、まるでその様子を見ていたかのように、玄関の扉がゆっくりと開いた。その奥に、優しい笑顔の仮面を被った茜はいた。見透かされていた気がして、逆に恥ずかしかった。どうしてここまで覚えていなかったのか。これからはしっかり、「薄っすら」という言葉を使っていこうと決めた。
「匠くん、おはよう。朝の空気はいかがですか?」
 襲い掛かる日差しに目を細めながら、茜は軽く手を振った。仮面の中に抱いた怒りの感情と数年振りに再開したような気がして、俺の背中に、暑さとは別の汗が流れる。「あっと……。ごめんね、遅くなっちゃって」情けない声が、空気に溶けた。
「素直に謝られると調子狂うなあ。ほら、暑いから早く入って」
 もう、と肩を落とす茜を、俺は両手を合わせて拝んだ。
 冷たく作られた空気の中に身体を潜らせる。その空気を肺に取り入れると、思わず目を閉じてしまいたくなる。その途中、茜の鋭い視線が目に入ったので、慌てて靴を脱いで茜の後を追った。
「おじゃましますー……」と中を窺うような声を出して進んだが、返事はない。玄関に靴も置いていなかったので、もしかしたら出掛けているのかもしれない。
「今日は誰もいないの?」
 俺は小声のまま、茜の背中に問い掛ける。
「うん。私の家族は時間を無駄にはしないからね」
 注射や棘と一緒だ。ごく小さな嫌味だったが、研ぎ澄まされ、的確に投げ込まれれば、ちゃんとチクリと胸に刺さる。「そりゃ失礼いたしました」と投げやりな言葉を返すのが精一杯だった。茜は勝ち誇ったように笑った。
「でもまあ、当初の予想より早く来たからいいけどね」
 当初、というのが、今日のことを指していてほしいと願う。もし約束をした日のことを指しているのなら、悲しくも、俺は端から信用されていないことになる。これからは「予想より」ではなく、「予定より」を目指そう。
「あ、そうだ。冷蔵庫に確かあれが……」踵を返し、茜はキッチンへと向かう。「なん?」と聞いた俺の声は、冷蔵庫の扉を開けた音にかき消された。
「ほら、これ。涼みだしたばっかりのところ悪いんだけど、これ切るから、あっちの縁側で食べない?」
 茜が手にしていたのは、丸く大きなスイカだった。
「お! めっちゃ良いじゃん! 良いの?」
「貰い物だけどね。うちの家族だけじゃ、全部は食べられないからさ。遅れてきた分、消費していってくれ」
 遅れて恥を掻くのも悪くない。そう思うくらいには、喜んでいた。
「お待たせしましたー。お塩はお好みでどうぞ」
 まん丸だったスイカはよくテレビ番組で見るような形に姿を変えて、俺の前に運ばれてきた。茜が座ってスイカを手にしたことを確認し、いただきます、とかぶりつく。みずみずしい甘みが口いっぱいに広がる。俺は暑さも忘れて頬張った。
「そういえば、今日の花火って何時からだっけ?」
 スイカに塩を振りかけながら、俺を見ずに茜は言う。俺はもう一口だけスイカを食べてから答えた。
「十九時半」
「あれ、去年は二十時じゃなかった?」
 茜は手に持った塩とスマートフォンを持ち替え、なにやら検索している。たぶん、今日の花火の時間なのだろうが、なにも聞いた人の前で調べなくても良いだろう、と思った。でも俺には遅刻した「前科」があったから、今回は見逃した。
「あ、本当だ。今年は時間が変わったんだ」
「だから言ったじゃん。その辺のポスターにも書いてあったよ。お祭り自体は十七時開始だって」
「それは去年と一緒なんだね。じゃあ、十七時ちょうどには向こうに行っていようよ」
「え、早くない?」
 スイカを食べる手を止め、茜を見る。茜はすでに、一切れのスイカを食べ終わっていた。
「良いの! それにね、遅刻した匠に発言権はありません」
 そう言って茜は手招きするように俺の視線を誘導し、口に含んだスイカの種を勢いよく庭に吐き出した。種の着地を見届けると、めっちゃ飛んだー、とはしゃぐ。発言権もないのかよ、と思いながらも、たぶん、俺の頬は緩み切っていたと思う。「スイカを貰ったお礼」という名目で、俺は言い返すこともしなかった。