試合は一部の予想に反し、白熱した展開となる。思えばこの試合を見返すのは初めてだった。手にはじっとりと汗が滲んでいる。
「きゃー! いけー!」
「おぉー!」
「ナイッシュー!」
「あぁ……戻れ! ディフェンス! ディフェンス一本!」
 歓声や拍手、落胆やため息が目まぐるしく行き交っていく。空調管理され冷えた空気も、肺に取り込むと瞬時に熱を帯びて吐き出された。茜も会場の熱気にも負けない大きな声で声援を送っている。
 前半は応援席から見て奥のゴールに攻めていくため、この席からは相手の攻撃がよく見えた。声援は、届いていたと思う。身長差はもちろん、身体の幅も全く異なる相手に対し、俺たちは必死にゴールを守っていた。床を叩く強いドリブル、激しくぶつかり合う身体の音が二会席にまで聞こえてくる。シュートが外れ、相手選手に何度リバウンドを取られても、それでも何度も何度も辛抱強く足を動かし、声を出し、チーム一丸で一つのボールを追っている。気付けば俺も、届かない声をコートに向かって荒げていた。
 競り合ったボールがコートのラインを割る瀬戸際、そのボールを追っていた俺が渾身のダイブで身体ごとコートの外まで身を投げ出す。惜しくも相手ボールとなってしまったが、会場からは大きな拍手が送られた。そんな姿に圧倒されたのか、茜は零れ落ちる涙を堪えきれずにいた。
「ちょっと茜、なに泣いてるの! まだ試合は序盤だよ!」
「でも、でも……」
「ほら! 泣く暇があったら応援して!」
 友人に促され、茜はなんとか視線をコートへと視線を戻す。が、上手く声を作れなかったのか、握った両手を顎に当て、泣きながら戦況を見つめるだけだった。理由はわからないけれど、俺は茜の後ろに立ち、触れられない手を肩に置いた。
 その後も試合は一進一退のまま過ぎていき、四十三対三十八、強豪相手に五点のビハインドで前半戦を終えた。
「すごい! あのチーム相手に五点差だよ? いける、絶対いけるよ、この試合!」
「うんうん、本当よく守ってる! 茜、やっぱりあんたの彼氏さんはすごいよ! あの相手にまったく負けてないもん!」
 首に巻いたタオルで汗と涙を拭いながら、茜は何度も頷いた。もう、化粧崩れなど気にしていないようだった。ハーフタイムの間は、同じコートで次の試合を待つチームのアップが行われている。だが、顔を上げた茜はその様子を見ることも、友人たちと話すこともせず、俺のいるベンチを見つめていた。
 ベンチでは試合前同様、監督が作戦盤を手に、身振り手振りを交えながら選手に指示を伝えている。俺もコートを指さしながら、チームメイトになにやら話をしていた。さすがに、その会話の内容は覚えていなかった。ハーフタイム終了の一分前を知らせるブザーが鳴ると、選手は一斉に立ち上がり、再び円陣を組んだ。静かなベンチをよそに、応援席、そして会場の熱はまた、ふつふつと煮えたぎっているようだった。
「いける! 絶対にいける! ぜんぶ出し切れー!」
 応援席から声援を送る部員が持ったメガホンは、強く叩きすぎたせいで試合前よりも変形している。それでも構わず、部員たちははち切れんばかりの声を出して前の手すりやメガホン同士を叩き続ける。なんだかそれが、すごく嬉しかった。
 ファイトー、と叫ぶ声と重なるように、試合再開を知らせるブザーが鳴った。円陣の中から轟く大きな声とともに、選手たちは腕を上げ、想いを一つにコートへと向かう。ベンチに戻るメンバーたちはまるでなにかの祭りのように、応援席を煽りに煽った。それに応えるように応援席から選手を鼓舞するひときわ大きな声援が飛ぶと、会場が一体になったような気がした。その横で、茜は鞄に付けていた「必勝」のお守りを取り外し、願いを込めるように手に包んで握りしめた。
 後半戦は重たい空気を纏いながら始まる。前半とは攻めるコートが逆となり、応援席に向かって攻めていくのだが、互いになかなかシュートが入らず、息が詰まる、我慢の時間が続いていく。あれほどまでに熱を帯びていた声援も息を呑むように、静かに戦況を見守っていた。
 試合が動いたのは、俺のシュートからだった。
 俺は味方のスクリーンを上手く使い、鋭くペイントエリアの中へと侵入した。それを止めようと、相手のヘルプディフェンダーがカバーに入る。ディフェンスと対峙する間際、俺は身体のスピードを殺した。目線で味方へのパスを示唆する動きを見せると、ディフェンスは視線の方向へと顔を向ける。その瞬間、俺は再びスピードを上げ、視線とは逆方向へと自ら切れ込んだ。反応の遅れたディフェンスがシュートを防ごうと慌てて飛び上がったが、俺はディフェンスと接触しながらも、シュートをゴールにねじ込んだ。当然、俺は俺のプレーに歓声を上げた。
「「きゃー!」」
 ベンチも応援席も総立ちで喜びを表現し、茜も友人とハイタッチを繰り返す。会場が余韻に酔いしれる中、俺はフリースローも確実に決め、点差を二点にまで縮めた。茜は控えめなガッツポーズをしていた。
 このプレーを皮切りに重たい空気は一転し、両チーム、シュートの外れない時間が訪れる。こちらが決めれば相手が決め返し、相手が決めればこちらも負けじと決めていく。追いつくことがあっても逆転には至らない。そんな嫌な時間はしばらく続いたが、体格で優る相手チームの圧力が、徐々に試合の空気を飲み込み始めた。点差は九点にまで広がっていた。たまらず監督はタイムアウトを要求したが、残り時間は、すでに三分を切っていた。
「まだまだ、ここから!」
「全然追いつけますよ! 大丈夫! 大丈夫!」
 ガラガラにかすれた声が、応援席からベンチに向かって飛んでいく。茜は終始、「大丈夫かな? 大丈夫だよね?」と友人の手を握りながら、ベンチと友人の顔を交互に見ていた。「こっちには彼氏さんがいるんだよ? 絶対に、大丈夫!」
 友人からの慰めに似たフォローに唇を噛みながら頷くと、心配に満ちた視線をベンチへと送った。
 タイムアウトが終わり、選手たちはコートへと戻ってくる。コートに立つ俺は右手に着けた白いリストバンドを強く握ると、不意に応援席を見上げた。それに気付いた茜は姿勢が伸びるほどに大きく息を吸い込み、叫んだ。
「たくみ! 頑張れ! 負けるなー!!」
 たぶん、異様なまでの会場の熱気に、かき消されていたと思う。その声が聞こえていたのかどうか、覚えていなかった。でも、応援席に向かって微笑む俺は力強く、頷いていた。

 ビー――……
 試合終了のブザーが響く。敵味方も関係ない。会場は今までで一番の、大きな拍手に包まれた。選手たちが再びセンターラインを挟んで向かい合う。
「スコア通り、礼!」
「「ありがとうございました!」」
 主審の号令を合図に深くお辞儀をすると、選手は選手同士で抱擁しながら言葉を交わし、互いの監督は握手をしながらなにかを話していた。
 七十六対七十五。
 会場の熱気は俺の目頭へと移り、二度目の青春は幕を閉じた。応援席が悲しみに暮れる中、茜だけは涙を見せることなく、拍手をしながら優しい視線をコートに向かって送っている。
 あのお守りが、鞄の隙間から俺を見ていた。