太陽がベランダに落ちたようだった。
ひと月前まで茎や葉と同色で、控えめだった飴玉に似た小さな実は陽の光を吸収し、すっかり赤く染まっている。無事にリコピンが増え、クロロフィルの分解も進んだらしい。置き場を変えて正解だった。
約800℃。これは、ミニトマトの収穫までに要する積算温度で、日数にして、四十から五十日とも言われていると、後々知った。首を振ることなく見渡せる狭きベランダで、よくこれだけの温度を積み上げたものだ。成功、失敗にかかわらず、これだけでも価値がある。
ここにいると主張する小さな太陽は、とてもキレイに染まっている。
都会では年々夏が早くなっていた。三月の後半には半袖シャツ一枚で過ごせる日もザラにあったし、五月の大型連休には虫取り少年のような格好で歩いていても、まったく浮くこともない。むしろ、この都会の喧騒と雑踏の中にうまく紛れ込むことができていた。
大型連休が終わってすぐ、梅雨を通り越したと感じていた夏休みまでのカウントダウンを始めたあの日も、暑さに思考を奪われていたのだと思う。全てを飲み込まんとする日光から逃げるためだけに入ったホームセンターで、普段なら絶対に手を出さない買い物をしていた。『簡単! 自宅で美味しいミニトマト』なる、殴り書きとも呼べる赤色で縁取られただけのチープなポップが入店直後の視界に飛び込み、太陽光という衣服を一枚脱ぐまでの僅かな間、そのポップと目を合わせた。別に、それが何かを語り掛けていた、などという類のモノでは、決してなかった。自分と同じく、この日差しにやられたアルバイトの仕事だったのだろうと、家庭菜園用の栽培キットを入れたビニル袋の重みを感じながらに思う。日よけにしようと袋を持ち上げると、中身が透けて見えた。
そこに、あのポップは無かった。
二階建て、木造の古いアパートの角部屋は、早送りした季節のこの時間になるとドアノブが外気を上回る熱を持ち始める。「ノブ熱」と勝手に呼んでいた。油断して手のひらで包み込まないよう、扉には『注』とだけ書いた付箋を貼った。鍵を挿し込み、一瞬だけノブに触れると、静電気が走った時と同じように強く手を引く。少しずつ手に加える力を弱めながらそれを数回繰り返し、手のひらがノブ熱の温度に順応したことを確認してからしっかりと掴んで右に捻る。初売りに並んだ人々がオープンと同時に流れ込むように、扉の中からは熱気が外へと漏れ出してきた。
室内は外よりもうだって暑い。いっそのことサウナとして営業して、小遣い稼ぎをしたいくらいだ。靴を脱ぎ、一直線にベランダへと向かう。窓を開けると、今の今まで敵意丸出しだったはずの外の世界が、身体から吹き出る汗に心地よい風を吹きかけた。やはり、ここは外よりも暑い。
部屋の至るところに転がる空のペットボトルの一つを手に取り、中に水道水を注ぐ。買ったばかりの栽培キットに付属していた、頭の凹んだキャップで蓋をすると、それなりにまとまった水が溢れ出た。床に落ちた水を足で伸ばしながら説明書を読んだところ、どうやら蓋をしてから水を入れるらしかった。キャップの凹んだ部分に種を蒔き、ベランダに置く。こういうモノは日差しが強ければ強いほど良いと思っていた。が、あまり強すぎる日光は当てない方が良いと、あのチープなポップに書いてあったことを思い出す。あんな安物の指示に従うなんて癪だから、いつもなら絶対に無視していた。だが、たぶんこのことだって、たった今までその日光の被害にあった実体験が背中押したに違いない。気付けばなんの気なしに、ベランダの隅に置いていた。
水は適度に与えたし、風通しだって悪くない。でも、失敗した。ミニトマトは、その実を赤くはしなかった。やはり、あのポップに惑わされたのだと思う。そもそもこの格安賃貸アパートは洗濯物に適した、室内を陽の暖かさで満たすような好条件の物件ではない。仮にそうであるならば、頭の空っぽなアルバイトが手持ち無沙汰に書いた無料のポップと違い、ちゃんと社会の中で生み出されたお金を使って作られた「入居者募集」のチラシにもれなく記載されているはずである。とはいえ、アルバイトも結果として会社の経費を時給という形で得ているのだから、社会から生まれたお金であり、決して無料ではないのだけれど、自分に都合の悪いことは頭の中から排除した。もしかすると、どこかで同じ立場である自分が社会から戦力外通告を受けた気になるのを受け入れられなかったのかもしれない。
ともあれ、現実は目の前にある小さな出来損ないのトマトによって示され、詰め込まれている。
これは縮図だ。ベランダから見えるこの景色も、地面と擦れるサンダルの音も、強い日差しも、あのアルバイトも、世界の裏側で眠る人たちも、すべてを混ぜてしまえば、この世の縮図は案外、単色で単純なモノなのだろう。そうだとわかっていれば、わざわざ個性を磨こうとすることも、都会に染まろうとすることだってしないのに。今の自分だって、それなりに、少なくとも今以上には、認めてあげられたのに。結局それができないから、こうして摘めば潰れるほどに柔らかく小さな青い実一つに見せられた現実に、簡単に打ちひしがれてしまう。いや、実際には向き合うことすらしていないのだから、打ちひしがれるという言葉を使うのは違う気もする。そういうモノだと自分を丸め込み、答えを先延ばしにして、気落ちする自分を置き去りにするように何かに見出された道を歩き出す。自分で道を選んだわけでもないのだから自らの意思で染まったわけではないのに、さも自分から染まりにいったかのように肩で風を切りながら進む。堂々と、さも、堂々と見栄を張る。
その結果、取り返しがつかないところまで来てようやく、気付くことができる。ああ、俺は一体、何をしているんだろう。
皮肉にも、それに気付かせてくれるのも、自分以外だったりする。自分の努力をいとも簡単に上回る人たちが、瞬きの回数よりも多くそこにはいて、一人の時は威勢よく風を切る肩も、いざ、躍動する現実を前にすると縮こまる。どうせ、ここの空気しか吸ったことがないんだろ、と胸の内で毒づくくせに。
できることならすれ違いたくもないから避けようとも思うけれど、今いる道は、そんなに広くはない。かと言って、目を閉じたまま歩く器用さを持ち合わせてはいないし、仕方なしに、現実が切り裂いた風を感じるくらいの距離感ですれ違うことを余儀なくされる。そこでまた思う。
ああ、本当に俺は、一体何をしているのだろう。
自分の都合通りに行くのは、いつだって、頭の中だけだ。見たくないものに蓋をして自分で道を切り拓き、ご都合主義の記憶と融合していけば、そこには望んだ光景が広がっている。道には幾つもの分岐点が存在していて、その時々の気分で好きな方を選べばいいし、違うと感じたら戻ればいい。だからこそ、進むべき道を決める時は決まって、目は開けない。そうすれば再び瞼を閉じたとき、また初めからスタートすることができると思えた。
そういう手順を踏まなかったのだから、手のひらに収まるこの小さな息吹が、まだ影も形もない種だった頃に戻ることもない。いっそのこと、初めから無かったかのように潰してしまおうとも思ったが、虚しくて止めた。止めたら途端に、この実一つも彩れないお前が、都会に染まれるわけがないだろ、と言われている気がした。無性に、この実を潰して、その汁で白のTシャツを少しでも染めてやろうかという衝動に駆られた。だけど、汚れたシャツを洗う自分を想像したらまた虚しくなって、それも止めた。
ひと月前まで茎や葉と同色で、控えめだった飴玉に似た小さな実は陽の光を吸収し、すっかり赤く染まっている。無事にリコピンが増え、クロロフィルの分解も進んだらしい。置き場を変えて正解だった。
約800℃。これは、ミニトマトの収穫までに要する積算温度で、日数にして、四十から五十日とも言われていると、後々知った。首を振ることなく見渡せる狭きベランダで、よくこれだけの温度を積み上げたものだ。成功、失敗にかかわらず、これだけでも価値がある。
ここにいると主張する小さな太陽は、とてもキレイに染まっている。
都会では年々夏が早くなっていた。三月の後半には半袖シャツ一枚で過ごせる日もザラにあったし、五月の大型連休には虫取り少年のような格好で歩いていても、まったく浮くこともない。むしろ、この都会の喧騒と雑踏の中にうまく紛れ込むことができていた。
大型連休が終わってすぐ、梅雨を通り越したと感じていた夏休みまでのカウントダウンを始めたあの日も、暑さに思考を奪われていたのだと思う。全てを飲み込まんとする日光から逃げるためだけに入ったホームセンターで、普段なら絶対に手を出さない買い物をしていた。『簡単! 自宅で美味しいミニトマト』なる、殴り書きとも呼べる赤色で縁取られただけのチープなポップが入店直後の視界に飛び込み、太陽光という衣服を一枚脱ぐまでの僅かな間、そのポップと目を合わせた。別に、それが何かを語り掛けていた、などという類のモノでは、決してなかった。自分と同じく、この日差しにやられたアルバイトの仕事だったのだろうと、家庭菜園用の栽培キットを入れたビニル袋の重みを感じながらに思う。日よけにしようと袋を持ち上げると、中身が透けて見えた。
そこに、あのポップは無かった。
二階建て、木造の古いアパートの角部屋は、早送りした季節のこの時間になるとドアノブが外気を上回る熱を持ち始める。「ノブ熱」と勝手に呼んでいた。油断して手のひらで包み込まないよう、扉には『注』とだけ書いた付箋を貼った。鍵を挿し込み、一瞬だけノブに触れると、静電気が走った時と同じように強く手を引く。少しずつ手に加える力を弱めながらそれを数回繰り返し、手のひらがノブ熱の温度に順応したことを確認してからしっかりと掴んで右に捻る。初売りに並んだ人々がオープンと同時に流れ込むように、扉の中からは熱気が外へと漏れ出してきた。
室内は外よりもうだって暑い。いっそのことサウナとして営業して、小遣い稼ぎをしたいくらいだ。靴を脱ぎ、一直線にベランダへと向かう。窓を開けると、今の今まで敵意丸出しだったはずの外の世界が、身体から吹き出る汗に心地よい風を吹きかけた。やはり、ここは外よりも暑い。
部屋の至るところに転がる空のペットボトルの一つを手に取り、中に水道水を注ぐ。買ったばかりの栽培キットに付属していた、頭の凹んだキャップで蓋をすると、それなりにまとまった水が溢れ出た。床に落ちた水を足で伸ばしながら説明書を読んだところ、どうやら蓋をしてから水を入れるらしかった。キャップの凹んだ部分に種を蒔き、ベランダに置く。こういうモノは日差しが強ければ強いほど良いと思っていた。が、あまり強すぎる日光は当てない方が良いと、あのチープなポップに書いてあったことを思い出す。あんな安物の指示に従うなんて癪だから、いつもなら絶対に無視していた。だが、たぶんこのことだって、たった今までその日光の被害にあった実体験が背中押したに違いない。気付けばなんの気なしに、ベランダの隅に置いていた。
水は適度に与えたし、風通しだって悪くない。でも、失敗した。ミニトマトは、その実を赤くはしなかった。やはり、あのポップに惑わされたのだと思う。そもそもこの格安賃貸アパートは洗濯物に適した、室内を陽の暖かさで満たすような好条件の物件ではない。仮にそうであるならば、頭の空っぽなアルバイトが手持ち無沙汰に書いた無料のポップと違い、ちゃんと社会の中で生み出されたお金を使って作られた「入居者募集」のチラシにもれなく記載されているはずである。とはいえ、アルバイトも結果として会社の経費を時給という形で得ているのだから、社会から生まれたお金であり、決して無料ではないのだけれど、自分に都合の悪いことは頭の中から排除した。もしかすると、どこかで同じ立場である自分が社会から戦力外通告を受けた気になるのを受け入れられなかったのかもしれない。
ともあれ、現実は目の前にある小さな出来損ないのトマトによって示され、詰め込まれている。
これは縮図だ。ベランダから見えるこの景色も、地面と擦れるサンダルの音も、強い日差しも、あのアルバイトも、世界の裏側で眠る人たちも、すべてを混ぜてしまえば、この世の縮図は案外、単色で単純なモノなのだろう。そうだとわかっていれば、わざわざ個性を磨こうとすることも、都会に染まろうとすることだってしないのに。今の自分だって、それなりに、少なくとも今以上には、認めてあげられたのに。結局それができないから、こうして摘めば潰れるほどに柔らかく小さな青い実一つに見せられた現実に、簡単に打ちひしがれてしまう。いや、実際には向き合うことすらしていないのだから、打ちひしがれるという言葉を使うのは違う気もする。そういうモノだと自分を丸め込み、答えを先延ばしにして、気落ちする自分を置き去りにするように何かに見出された道を歩き出す。自分で道を選んだわけでもないのだから自らの意思で染まったわけではないのに、さも自分から染まりにいったかのように肩で風を切りながら進む。堂々と、さも、堂々と見栄を張る。
その結果、取り返しがつかないところまで来てようやく、気付くことができる。ああ、俺は一体、何をしているんだろう。
皮肉にも、それに気付かせてくれるのも、自分以外だったりする。自分の努力をいとも簡単に上回る人たちが、瞬きの回数よりも多くそこにはいて、一人の時は威勢よく風を切る肩も、いざ、躍動する現実を前にすると縮こまる。どうせ、ここの空気しか吸ったことがないんだろ、と胸の内で毒づくくせに。
できることならすれ違いたくもないから避けようとも思うけれど、今いる道は、そんなに広くはない。かと言って、目を閉じたまま歩く器用さを持ち合わせてはいないし、仕方なしに、現実が切り裂いた風を感じるくらいの距離感ですれ違うことを余儀なくされる。そこでまた思う。
ああ、本当に俺は、一体何をしているのだろう。
自分の都合通りに行くのは、いつだって、頭の中だけだ。見たくないものに蓋をして自分で道を切り拓き、ご都合主義の記憶と融合していけば、そこには望んだ光景が広がっている。道には幾つもの分岐点が存在していて、その時々の気分で好きな方を選べばいいし、違うと感じたら戻ればいい。だからこそ、進むべき道を決める時は決まって、目は開けない。そうすれば再び瞼を閉じたとき、また初めからスタートすることができると思えた。
そういう手順を踏まなかったのだから、手のひらに収まるこの小さな息吹が、まだ影も形もない種だった頃に戻ることもない。いっそのこと、初めから無かったかのように潰してしまおうとも思ったが、虚しくて止めた。止めたら途端に、この実一つも彩れないお前が、都会に染まれるわけがないだろ、と言われている気がした。無性に、この実を潰して、その汁で白のTシャツを少しでも染めてやろうかという衝動に駆られた。だけど、汚れたシャツを洗う自分を想像したらまた虚しくなって、それも止めた。