二人の話は続いた。
颯太は光に訊きたいことがたくさんあった。たとえば、倉橋優姫の自殺について。
優姫が颯太の家に合鍵を使って入り込んできたあの日。光は颯太の代わりに優姫に話をつけに行ってくれた。
あのとき光は優姫がストーカーではなく、ニセくんが勝手に行動した結果、優姫と颯太がすれ違ってしまっただけだと分かっていたはずなのだ。
だとしたら、光は優姫に会いに行き、どんな話をしたのか。
颯太に電話をかけてきたとき、光は嘘を吐いた。特に問題なく無事に終わった、と。あのとき颯太は、光が無事ならばなんでもいい、と思ったことを覚えている。実際に光は怪我をしていなかったし、優姫が持っていた颯太の家の合鍵も、颯太の手元に戻ってきた。
光の言う通り問題なく無事に終わったように錯覚さえしてしまうくらいに。
しかし、優姫は姿を消し、首を吊って自殺をしたのだ。遺品の中からスマートフォンだけが見つからなかったことを颯太は思い出す。だから颯太は探したのだ。行方不明になる前の足取りの中で、確実に優姫が足を運んだ場所である、颯太のアパートを。
スマートフォンは結局どこにも見当たらなかった。山へ行く途中で、優姫が自ら捨てたのだろうか。でも、スマートフォンを捨てるなら、どうして身分証などは捨てなかったのか。他の荷物は持ったまま、というのが颯太は気になった。身元を隠して自殺をしたいなら、全て荷物を処分するのではないか。もしくは遺体が発見されないような死に方を選ぶか。
もちろん全ては可能性の域を出ない。しかし颯太は思ってしまった。『犯人はヒカルだ』というニセくんのメッセージ。あれはもしかして、両親の事件のことだけではないのかもしれない、と。
優姫が最後に会ったのは、光だ。
光は普段、あまり怒らない。しかし、颯太に関わること、特にニセくんの存在が颯太にバレないようにするためには、手段を選ばない。そのことを颯太は知っている。
仮に光が優姫を追い詰めるようなことを言ったとしても責めるつもりはないが、どうしても颯太には真実が気になった。
「……倉橋さんについても教えて」
「倉橋さん?」
「最後に会ったの、光だよね。あのとき光は倉橋さんがストーカーじゃないって、分かってたでしょ。倉橋さんとどんな話をしたの……?」
颯太の問いに、光は躊躇うことなく答えた。両親の事件の話とは打って変わって、けろりとした表情をしている。
「颯太はPTSD持ちで、記憶障害を持ってるって説明した」
「PTSD……」
「心的外傷後ストレス障害ね。あながち間違ってないだろ?」
あっけらかんと笑う光に、颯太はどうしてか恐怖を感じた。
光がやけに明るく見えるのは、颯太が先ほど両親の事件について許し、お礼を言ったからだろうか。
しかしだからといって、こんなにも明るく、自殺した友人との最後の会話について語れるものなのか、と颯太は心の奥に言いようのない不安感を覚えた。
「颯太は記憶障害で混乱してて、倉橋さんのことをストーカーだと思っちゃってる。過去のトラウマを思い出させたくないから、ちょっぴり距離置いてくれない? って頼んだんだよ」
嘘は含まれているが、颯太の身の安全を確保すること、そして優姫を納得させるためには十分な言い訳に思えた。しかし光は眉を寄せ、困ったような顔で言葉を続ける。
「でも倉橋さん、颯太が解離性同一性障害だって気づいちゃったみたいなんだよ。颯太くんを病院に連れて行った方がいいとか言って埒が開かないから、殺すしかなくてさ」
ふいに光の口から飛び出した物騒な言葉に颯太は固まる。
颯太の反応を見て、光は首を傾げた。幼い子どもが蟻の行列を潰し、叱られたときのように。純粋な目で颯太に問いかける。
悪意のない瞳が、ただ恐怖を駆り立てた。
「ど、どうやって……?」
「一回気絶させて、颯太のアパートで仕掛けたんだよ。目が覚めてちょっとでも動いたら首を吊るように」
言葉を発するどころか、颯太は呼吸すら忘れていた。
あのアパートで、優姫が死んだ?
颯太は光の家で寝泊まりしていたので、しばらくあの家に帰っていなかった。その間に掃除や後処理をしたということだろうか。想像しそうになって慌てて頭を振る。なんとか颯太は恐ろしい想像を頭から追い出すことに成功した。
そして、颯太は思い出す。優姫を説得しに行って、颯太の荷物を持ってきてくれた後。光は用事があるといって出かけていたのではないかーーー。
「……まさか、夜に出かけてたのって、」
「うん、颯太の家に死体なんて置いておきたくないじゃん? だから山まで運んだ。教習所以来だったよ、車を運転したのなんて」
「光……が、倉橋さんのスマホを持ってるの……?」
「ん……? そうだ、倉橋さんのスマホには颯太とのやりとりが残ってるから、もらっておいた方がいいって思ったんだった」
椅子から立ち上がり、光は自分の部屋に行くと、赤いドット柄に白いリボンが特徴的な手帳型のスマホケースを持ってきた。
それは、光の好みとはかけ離れたもので、何よりどこかで見たことがあるデザインだった。記憶を辿り、デートのときに優姫が新しく買ったケースだと思い出し、颯太の全身にぞくりと鳥肌が立つ。
一番恐ろしかったのは、颯太が訊ねるまで光は優姫のスマートフォンの存在を忘れていたことだ。
颯太との繋がりを証明する重要なものを当たり前のように回収しておきながら、用がなくなったら記憶から消去する。
光はそのうち、優姫を殺したことすらも忘れてしまうのではないか。そんな考えが颯太の頭をよぎり、ゾッとした。
「西野さんと、水曜日の深夜に会ってたのも光……?」
颯太の質問に、光は目をまたたかせる。どうしてそう思うのか、と訊かれたので、颯太は自分の推理を口にする。
「他の人に話したら笑われるかもしれないけど……光は、何があっても僕を優先してくれると思うんだよ」
「…………ん、それで?」
「西野さんが亡くなった週、僕はほとんど寝込んでた。光が大学とかバイトに行くのを躊躇うくらい、自分で動けずにいた。……倉橋さんの自殺がショックだったから」
本当は優姫は自殺ではなく、光による殺人だった、と知った今は、もっとショックが大きい。
でも心をしっかり保たなければならない。光の口から真実の全てを聞き出す義務が、颯太にはある。
何より颯太は知らなければならない。自分が親友に背負わせてきた罪の重さと、苦しみを。
「光は僕がまともに動けるようになる金曜日までずっと、献身的に世話をしてくれてた。大学やバイトにも行くのをためらうくらい」
「まぁ、心配だったからな。放っておいたら死んじゃうかもしれないって、不安だったし」
光の言葉に嘘はないようだった。だからこそ颯太がこれから口にする疑問は、光の行動として不自然だったのだ。
「でも光は水曜日の夜、出かけてたよね。……どこに行ってたの?」
これは設置していたカメラの映像を確認して初めて分かった事実だ。
最初は水曜日の夜、颯太が一度も出かけていないことに安堵した。事故の夜、花梨と会っていたのはニセくんではないのだ、と。
それから違和感に気がついた。大学やバイトなど、外せない用事があるとき以外、光は出かけていなかった。そして出かけたとしても早めに帰ってきてくれた。それは光の先の言葉通り、颯太のことが心配だったから。
だとしたら、水曜日の夜。日付が変わるまで光が帰ってこなかった理由は?
普通の人ならきっとこう答える。光だって友達と遊びに行ったりする予定もあるでしょ、と。でも颯太は知っているのだ。光はどんなときも、颯太を優先してしまう。自分より、他の友人や家族より、必ず颯太を選んでしまうことを。
優姫の死にショックを受け、自分のせいだと責め続ける颯太。一人ではろくに起き上がることもできず、放っておけばもちろん食事も口にしない。そんな颯太を置いて、光はどこへ出かけていたのか。
確か同窓会の日、花梨に誘われた光は、水曜日の夜と日曜日の午前中なら空いていると答えていたのを颯太は覚えている。そして二人は翌週の日曜日の午前に約束していた。
つまり、光は本来ならば水曜日の夜は予定が入っていなかったはずだ。もちろん同窓会後に誰かに誘われて予定を入れた可能性もある。しかし、遊びの予定ならばきっと光は颯太を優先し、別の日に変えてもらったに違いない。
それでも颯太を置いて、光が出かけた理由。それはやはり颯太に関わる内容なのではないか、と颯太は推理した。
たとえば、颯太を脅かす危険分子に、一刻も早く警告したかったのだとしたらーーー。
「西野さんは僕の別人格について知ってた。なんでかは分からないけど、光は西野さんに改めて口止めしようとしたかった。それも少しでも早く。違う?」
「大体合ってるかな。確かに俺だよ、水曜日の夜、花梨と会ってたのは」
光はあっさりと頷いた。