DVDは全部で五枚。
 赤ん坊の頃はまだ動画を撮っていなかったようで、最初の映像は颯太が幼稚園に入ってしばらくしてからのものだった。

 幼稚園のお遊戯会。三人で行ったキャンプ。公園の砂場で遊ぶ颯太。誕生日ケーキのろうそくの火を何回かに分けて吹き消して、ケーキを家族で食べるシーン。母のいちごをもらって、お返しにチョコプレートを半分あげるところ。
 一枚目のDVDの内容は、とても平和で幸せそうなホームビデオだった。

 二枚目の映像は初等部の入学式から始まった。覚えのある制服を着て、颯太は緊張したような顔で笑っている。両親は颯太が有名私立校に通えることを心から喜んでいるようで、「颯太本当によく頑張ったね」と抱きしめてくれていた。
 父の懐かしい声が言う。「慢心することなく勉強を頑張るんだぞ。常に一位を目指すつもりでやるんだ。分かってるな?」と。
 動画の中の母は笑っていた。そんな難しい言葉じゃ分からないわよ、と。そして颯太の顔を覗き込み、お勉強頑張ろうね、と言う。幼い颯太は、僕頑張るよ、と素直に答えていた。

 勉強をする颯太の映像がだんだん増えてくる。
 お父さんがお仕事をしている間も、颯太は頑張ってお勉強しています、と母のナレーションが入るので、後で父に映像を見せていたのだろう。
 少しずつ雲行きが怪しくなってきた。日常的に両親が動画を撮っていた、と颯太は記憶していたが、正確にはちゃんと勉強をしている証拠として動画を撮られていたようだった。

 三枚目。父が颯太を殴る様子が、初めてカメラにおさめられていた。母は驚いてカメラを落とし、床に落ちたカメラが音声だけを記録している。
 殴るなんてやりすぎよ、と母は抗議していた。颯太の激しい泣き声と、父の怒声が響く。

「本当に勉強しているのか!? どうして颯太はこんなに出来が悪いんだ!」
「でも颯太はクラスで二番だったのよ? 十分じゃない!」
「あんな人数の少ないクラスでさえ一番を取れないようじゃ先が思いやられる」

 ごんっ、と鈍い音が響き、颯太の泣き声がさらにひどくなった。僕が悪かったです、ごめんなさい、と泣きながら必死に父に謝る声は、聞いているだけでも胸が苦しくなる。

 頭痛はどんどんひどくなり、めまいもしてきた。それでも颯太は続きを再生した。

 暴力というのは、最初の一回のハードルを超えてしまえば、その後は案外簡単なのかもしれない。
 父は颯太を何度も殴った。そして、テレビ台の下の物入れに閉じ込める。颯太がぐずぐずと泣いていると父の怒りは激しくなった。幼いながらに颯太もそれが分かっていたのだろう。しばらくすると颯太は泣かなくなって、殴られても蹴られても、へらへらと笑っているようになった。
 最初は颯太を庇っていた母も、だんだん様子がおかしくなった。殴られて笑っているなんてこの子頭がおかしいんじゃない、と呟く声が記録されている。
 そして颯太が泣き喚かないのをいいことに、母は颯太が殴られるのを見て、笑うようになった。

 もしかしたら母は恐れていたのかもしれない。今は颯太へ向いている暴力が、いつか自分に向けられるかも、と。どんなに殴られても息子はへらへらと笑っている。それならきっと颯太は大丈夫、自分の身を守らなければ。そう考えたのかもしれない。
 しかし、理由がどうあれ、颯太にとっては同じことだ。父は颯太に暴力を振るい、母は撮影しながら笑っていた。その事実は、変わらない。

 四枚目と五枚目には、もうイベントの映像などおさめられてもいなかった。全て虐待の映像だ。
 殴られ、物入れに閉じ込められて、目立つ怪我をした後は学校を休むように言いつけられる。大体父の怒りの原因は、颯太の勉強の成績だった。小学生の頃に本格的なテストがあったとは思えないので、きっと算数や漢字の小テスト、そして学期末に渡される成績表だろう。
 そんなくだらない理由で殴られていたのかと思うと、幼い颯太があまりにも哀れだった。過去の自分のことなのに、他人事のように思えるのは、記憶がないせいか。

 たぶん違うな、と颯太は呟く。
 他人事にすることでしか、自分の心を守れなかったのだ。強盗事件の後、ニセくんが生まれたように。自分に起きた悲惨な出来事を、俯瞰して見ていた。
 そうして颯太は、ようやく一つの事実に気がついた。

「そっか、僕はずっと、弱かったのか…………」

 悲しい呟きが、ひとりぼっちの部屋に響く。
 自分の心を守るために、ニセくんを生み出した。それなのにニセくんの存在が怖くて仕方がなかった。だからニセくんについて知ろうとした。
 過去の強盗事件。あの付近の記憶が戻れば、ニセくんについても何か分かるかもしれない。手がかりが欲しいからと過去を掘り起こしてみれば、知らない記憶ばかり。
 臭いものには蓋。颯太は自分に都合の悪い記憶を、心の奥底にしまいこんでしまっていたのだ。

 ニセくんに自分の存在が脅かされるとか、周囲の人をニセくんが利用するかもしれないとか、どんなに考えてみたって、結局のところ原因は颯太にあった。
 颯太の心が弱かったから、ニセくんは生まれた。
 今でも大事な記憶を取り戻せないのも、ニセくんと会話できないのも、自分の過去を他人事のように捉えてしまうのも。全て、颯太が弱かったからだ。

「ああ、やっぱり僕は、僕のことが嫌いだな……」

 光みたいになれたらよかったのに。
 小さな声で呟き、机に突っ伏す。ずきんずきんと耐えられないほどの頭痛が颯太を襲い、意識が遠のいていく。それでもよかった。
 もしも意識を失い、ニセくんに身体を奪われても。もう颯太にはそんなこと、どうでもいい。
 どうせ誰も颯太のことを、愛してくれてなどいなかったのだから。

 目を閉じて意識を手放すと、どこか遠くで「逃げろ」という声がした気がした。