聞きたいことなんて何個もある。

なぜ、依田先輩は顔を隠してるの。
演者として舞台に立たなくなったのはなぜ。

告白しようとすると避けられるのはなんで。


「えー、我々3年生って言っても部長の俺と依田の2人しかいないが、今回の文化祭をもって引退となる。

そんでもって今回はオリジナルの脚本でいこうと思う」


先輩が引退するまであと、数ヶ月。
妙に焦る気持ちが心の中で渦巻く。そもそも先輩が引退するまでに気持ちを伝えようなんて決心するほどの勇気なんてなかった。むしろ、秘めたままにして、何事もなく依田先輩は引退して、私はこの恋心を自然に消化していくものだと思っていた。

きっかけはあの動画だったようにも思うし、引退することが現実的になればあの動画がなくてもこんな気持ちになっていたのかもしれない。

人の気持ちなんて分からないのは当然だ、今自分がどうしたいかも分からないのに。


「文化祭の劇の脚本、書きたいやつは挙手」


気づけば、手を挙げていた。
脚本なんて書いたこともないが、やってみたかった。
何も思い浮かんでもいない、素人がゆえの自信なのだと思う。私なら、先輩を輝かせられるかもしれない。


「水田と、増川、それから、ひより」


私を含め、3人が手を挙げていた。私以外は何度か脚本を書いたことがある人たちだ。
ピンと伸ばした手が気弱に少し下がる。


「そうだなあ、3日後に脚本を仕上げてきてもらって、それぞれのを見せてもらって決めようか」


「3日後…」


それが短いのか、充分な長さなのかも分からない。
でも、面白ければ先輩たちの最後の劇に自分の脚本が使われるということなんだよね。
私はぎゅっと拳を握る。


「じゃあ、今回は最後だし依田にも脚本決め参加してもらおうかな」


花野先輩がそう言って依田先輩の肩に手を置いた。


「俺は、いいよ別に」


「いっつもそこら辺のこと俺に任せてたんだから最後くらい一緒に決めようぜ」


『最後』その言葉には誰だって弱いのだと思う。最後の日までの期限が決められてしまえばなおさら。

あと何日だとその日までのカウントダウンを初めてしまう。
依田先輩は少し葛藤するように唸って、「…分かった」と小さな声で返事をした。
そっか、依田先輩も脚本読んでくれるんだ。
だったらなおさら、完成させないと。



家に帰ってからさっそく書き始めようとシャーペンをもったが当然何も思い浮かばなかった。
いつも演者で役になりきって楽しくやっていたけれど、今回は違う。

私に土台は作れるんだろうか。
そもそも私は、依田先輩にどんな役をやってほしいんだろう。どんな役だったら依田先輩が舞台に立ちたいって思ってくれるのかな。

それをきいたところで、『嫌だ』とはっきり断られるか優しさの遠回りにもほどがある『あとで』を繰り出されるかのどちらかだ。


「思い浮かばないっ!」


椅子に背を預けて天を仰ぐ。
私はまっさらな紙の上にシャーペンを転がし立ち上がって自分の部屋を出た。

階段をおりてリビングに向かえば、母が1人でお茶を飲んでいる。


「あれ、お父さんは?」


「友達と飲みに行ってくるって」


「いつもの片瀬さんって人?お父さん友達その人以外いないもんね」

「ふふ、そうね」

そう返事をして微笑んだ母。「いないと静かだから楽だわ」とひねくれた言葉を放って冷蔵庫をあける。
父が時々冷蔵庫に入れている缶のオレンジジュースが目に入った。

それを好きだと言ったのはもう何年も前のことで、なんならちょっと飽きてきているのにいまだに買ってきて冷蔵庫に入れている。

ため息をついてそれを取り出した。もうなんでもいいひとまず糖分をいれたい気分だった。
一口飲んで、私は母の前に座る。
母がなんだかもう少し話したそうだったからだ。


「お父さんの腕にある傷、知ってる?」

「うん、まあ」

「あれはね、昔ある男の子を助けるためにできた傷なの」

「ボールを窓にぶつけて割れて、それが刺さったって私には説明してたけど」

「あの人らしいわ」


父は学校の先生だ。
今はどうやら偉い立場にいるみたいだけれど、私からしたら、少しおっちょこちょいで呑気で、うざったいただの父。

誰かを助けるために怪我をするような、そんなあつい一面もあるのだと少し驚いた。


「お母さんは、なんでお父さんと結婚したの?てか、なんで好きになったの?」

「あら恋バナ?なに、ひより好きな人でもいるの?」

「違うよ!今度文化祭の脚本に立候補しててそれのために情報収集しようと思って」


なんだか気恥ずかしくなり、自分の手を握り親指同士を交互に重ねながら顔を俯かせた。


「誰かを助けたいって気持ちが人一倍強くて、人に寄り添いすぎて自分まで壊れていっちゃうようなところかな」


「壊れちゃダメじゃん」


「そういう優しさがあるってこと」


「ふーん」と返事をして私はオレンジジュースを一口飲んだ。正義感で突発的に動くところに惹かれた母は主人公のヒロインってところだろうか。
なんだかピンとこなかった。

父や母のことはもちろん好きだ。だけど、もっと何か、正義感だけじゃ語れない何かが物語には必要だと思う。

「お父さん、日記とかないかな」

「あら、なんで」

「そういう人でも、ドス黒い感情とか妬みとかそういうのを吐き出したい時ってあるじゃん」

私は立ち上がり、リビング横にある父の部屋の戸をあけた。
あまり荷物を溜め込まない父の殺風景な部屋。何もないが、本棚だけは隙間がないほどに敷き詰められていおり、教育の本や小学生向けの児童書などが揃えられている。

ぐるりと部屋を見渡して、母と共同でつかっている大きな棚へと目を向けた。
いれるなら、あそこだと思う。

「バレたら怒られるわよ」

「大丈夫大丈夫」

母が後ろから声をかけるが、軽い調子で返事をした。
まあ母の言うとおりバレたら怒られるだろう。だけど、動きは止めなかった。上から順に引き出しをあけていき、それらしきものがあれば取り出してパラパラとめくる。

特に日記のようなものはなく、母がつけている家計簿や私の母子手帳など予想の範囲内のものを取り出してはあったところに戻していく。

そして、上から3番目の引き出しを開けたとき、私は目に入ったそれをそのまま口に出した。


「…スター、こく、ものがたり」


「ひより?あった?」


私が動きを止めたのを見て後ろから母が少し好奇心を含ませた声をかけてくる。
私はノートを取り出し、母の方に振り返った。

「ナニコレ?」

母はそのノートを視界に入れると、一瞬驚いた顔をしてそして目を細める。


「さっき言った、助けた男の子との思い出そのもの、ね」


「思い出?」


私はもう一度ノートを視界に入れる。
男の子と言っていたが、そこにある名前は『川北星子』と丸っこい字で書かれていた。

何が何やら分からず、パラパラとめくってみた。どうやら物語のようだ。


「あの人、それちゃんと読んだことないらしいわよ」


「なんで?」


「さあ?そこまではお母さんも分からないわ」


今度直接お父さんに聞いてみようかな。