【一人では抱えきれないマイノリティな悩みを、掲示板につぶやこう。『なないろ』できっと、誰かが共感してくれる】
寒いなって眉を顰めながら、布団から顔を出す。朝起きて、一番にスマホに触れて見慣れたピンクのハートのアイコンをタップする。お決まりのキャッチコピーが表示され、「ロード中」の文字が浮かび上がる。
ピンク色の背景は、寝ぼけ眼で見るにはまぶしくて、私は画面の明かりを暗くした。
【おはようございます。今日は大学の入学式です。たぶん、足がすくんじゃうけど、頑張って行ってきます】
誰かが見てくれている。誰かが共感してくれている。
それだけで胸の重しはすっと軽くなる。
アプリに今の想いを書き込んだ私は、まだ眠っている身体をなんとか起こして、リビングへと続く階段を降りる。階段の壁に「おはよう」「ありがとう」という挨拶の言葉を書いたA4サイズの紙が貼ってあるのを横目で見やる。見慣れたいつもの風景だ。
今日は「おはよう」や「ありがとう」を言えるかな。
中高生時代、毎朝心で祈っていたことを、大学の入学式がある今日も、変わらずに祈り続ける。
「初めまして。私の名前は本間美都です」
自己紹介を唱えながら階段を降りると、お母さんが私の好きな卵焼きとトーストを作って、待ってくれていた。
「おはよう美都。今日は入学式ね。さっきのは、自己紹介の練習?」
「げ、聞かれちゃった?」
「丸聞こえよ。階段でぶつぶつ喋りながら降りてくるんだもの」
「うう……」
私は身体を縮こませ、恥ずかしさに顔が火照っていく。でもお母さんは、そんな私を見ても揶揄うことはせず、「大丈夫?」と心配そうな表情を浮かべた。
「大丈夫、と思う。とりあえず今日は、誰かに話しかけられたら嬉しい」
「そっか。でも無理しちゃだめよ」
「うん、ありがとう」
お母さんが心配する声を、私はこれまでの何百回、何千回と聞いてきた。
大学生になってまで、心配かけたくない。
トーストに齧り付くと、マーガリンの香りが鼻から抜けて、今日の門出の日を甘く、色づけてくれるような気がする。勘違いでも自己暗示でもなんでもいい。私は今日、絶対に誰かと口を利く。そして、大学では友達をつくる。そう決めたんだ。
塩気の効いた卵焼きは、入学式の朝の私に気合を入れてくれるのに十分な、心強い味がした。
「行ってきます」
お母さんに買ってもらった新しいスーツを着て、リュックを背負った私は、堂々と玄関の外へ一歩、足を踏み出した。
天気は晴天。まぶしいくらいの朝日が、私の背中を暖かく照らす。部屋の中は少し寒いと思っていたけれど、外の世界は思ったよりもポカポカとしていた。
大丈夫、私は大丈夫——。
何度も唱えながら、大学の最寄り駅まで電車で揺られていた。
途中、手の中にあるスマホから「ピコン」という通知音がして、朝私がつぶやいた投稿に、コメントが来ていることが分かった。
【入学式なんですね! 頑張ってください。kano】
kanoという知らない人物からの励ましに、私は背中を押された。
【はい、頑張ってきます】
電車のアナウンスが、大学の最寄駅の名前を告げる。
さあ行こう。
私の新しい人生の、始まりの日だ。