サディアスは、十八年前にレオンクル王国の第二王子として生を受けた。将来はこの国の国王となる兄、キンバリーの予備のような存在でもある。
幼い頃から、自分の立場を理解していたつもりだ。だから、その立場に異論も反論も何もない。兄を支えるのが、自分の役目であるとも理解している。
レオンクル王国は竜の庇護を受け、竜の世話人とも呼ばれている聖なる乙女――聖女によって豊かな国土を保っている。それでも、残念ながら数十年に一度は厄災に襲われている国でもあった。
厄災といっても自然災害である。
大雨が降り、川が溢れ、家屋が沈む。強い風が吹き、実のなった農作物を奪い去る。もしくは、雨が降らずにカラカラの日照りで農作物が育たない。虫が大量に発生して、作物を食らいつくす。
そういった厄災が訪れると言い伝えられているし、実際に数十年に一度、そのような災害が起こっている。
いくら竜や聖女といえども、自然の摂理には抗えない。くるべき厄災に対策を行いつつも、それから救ってくれるのはやはりこの国を古から守り続けている竜であり、それの手伝いをするのが聖女の役目でもあった。
そのため聖女は『済世の聖女』とも呼ばれているのだ。
サディアスが、その聖女と初めて出会ったのは、今から二年前になる。
彼女はラティアーナと名乗った。翡翠色の瞳がはかなげに揺れていたのを今でも覚えている。
その目を見た瞬間、彼女を守りたいという気持ちが全身を駆け抜けた。なぜか庇護欲に掻き立てられたのだ。そう思わせるような何かが、彼女にあった。
彼女が王城を訪れたのは、キンバリーと婚約するためである。
当時十八歳ですでに立太子していたキンバリーと済世の聖女の婚約は、国民に希望をもたらした。
だがキンバリーは、聖女であり婚約者であるラティアーナには不満をもっていたようだ。周囲にサディアスしかいないときに、ボソリと口にする。
――身体が貧相だ。
サディアスは彼が言わんとしていることを即座に理解した。
ラティアーナは線の細い女性である。キンバリーの一つ年下であるとは聞いていたが、年齢のよりには身体が成長していないようにも見えた。
それでもサディアスにとっては、彼女は美しく尊い存在である。彼女の美しさは、内面から滲み出てくるものなのだ。彼女の心がそうさせている。
残念ながらキンバリーは、その魅力に気づいていない。
そんな彼を愚かだと思いならも憐れんだ。だが、気づかぬことに安堵もした。
ラティアーナの魅力は、自分さえ知っていればいいという優越感によるものかもしれない。
ラティアーナは神殿で暮らしていたが、それはキンバリーと婚約した後もかわらなかった。
必要に応じて、王城へ足を運ぶ。
そしてそのときだけが、サディアスが彼女と会える時間でもあった。
ある日サディアスが、教師の目を盗んで庭園で休んでいると、風にのって女性の歌声が聞こえてきた。
青空が広がっており、穏やかな風が吹いている。
だからサディアスは外へと逃げてきた。澄み切った空を見ていたら、部屋に閉じこもって勉強しているのが馬鹿らしくなったのだ。
課題は終わらせてあるし、何も問題はないだろう。何もせずに、あの部屋でただ時間を過ごすほうが無駄であると、勝手に判断した。
庭園の噴水の脇にある長椅子に寝転んで、空を流れる雲を眺めていると、自分という存在がちっぽけに思えてくる。
そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
(……?!)
どこからともなく聞こえてくる旋律が気になった。気になったら確かめたい。好奇心の塊のようなサディアスは、歌声の主を探して庭園を歩き始める。
(こっちか?)
風が吹くたびに声の聞こえる方向が変わってくる。それでもサディアスの探求心が勝った。
あきらめずに声を追う。
『ラティアーナ様?』
歌声の主は、庭園の外れにある花畑に座り込んで、花冠を作っているところだった。ちょうど木が影を作っている場所でもある。
サディアスの声に反応して顔をあげた彼女は驚いた様子であったが、その顔に満面の笑みをすぐに浮かべた。
『サディアス様、どうかされましたか?』
小鳥がさえずるような声で名を呼ばれると、顔に熱が溜まるような気がした。それに彼女に名前を呼んでもらえたことが、嬉しい。
『いえ、どうもしないのですが。ただ、歌が聞こえてきたので』
『歌?』
まるで心あたりがないとでもいうかのように首を傾ける姿は、実年齢よりも幼く見えた。
『あ』
そう言葉を漏らした彼女の顔は、みるみるうちに赤くなる。
『ごめんなさい』
恥ずかしさのあまり、ラティアーナはそう言ったのだろう。
『いや。素敵な歌でした。曲名を聞いても?』
『お褒めいただきありがとうございます。わたくしの故郷に伝わる子守歌のようなものです』
俯きながら答えるラティアーナともっと言葉を交わしたい。
心の中のサディアスが叫んでいる。ここなら他に誰もいない。
『あの』
サディアスは少しだけ声を張り上げた。
『隣に座ってもよろしいですか?』
いつもより心臓が力強く動いている。少しだけ、胸が痛い。
『どうぞ。ここはわたくしだけの場所ではありませんもの』
その言葉でうるさかった高鳴りが落ち着き、胸の痛みも和らいだ。断られるのが怖かったのだ。
『では、失礼します』
すとんと彼女の隣に腰を下ろす。
『花冠を作っているのですか?』
見ればわかるのに、サディアスはそう尋ねていた。少しでも会話をしたいと望む気持ちからくるものだろう。
『ええ、少し時間が空いてしまって』
『今日は、兄に会いに来られたのですよね』
『そうですね。そういうお約束でしたから』
手はしっかりと動かしながらも、彼女は少しだけ視線を逸らした。
『ごめんなさい』
サディアスのその言葉に、彼女の手がふと止まる。
『どうしてサディアス様が謝るのですか?』
『兄が、あなたとの約束を破ったわけですよね』
彼女は「いいえ」と首を横に振る。
今日のラティアーナは、空色の髪の毛をゆるく三つ編みにしている。そうやって彼女が顔を動かすたびに、三つ編みの先端がしっぽのように揺れた。
『キンバリー様は忙しい方ですから、仕方ありません。それに……こうして待っている間も、わたくしは楽しんでおりましたから』
彼女の手が動き出す。花を摘み、重ねて、まとめて、わっかになっていく。
『器用ですね』
『これを作ると、子どもたちも喜んでくれるのです』
そう言って彼女は、最後の花をくるっと止めた。
『できました』
サディアスはその花冠の行方が気になり、それから目が離せなかった。すると、ラティアーナの目尻が下がる。
『ご迷惑でなければ、これをもらっていただけないでしょうか。作ってみたのはいいのですが、この後のことをすっかりと忘れておりました』
つまり、花冠を手にしたままキンバリーには会えないと言いたいのだろう。
サディアスとしては、彼女がくれるというのであれば喜んでもらう。
『僕がいただいてもよろしいのでしょうか?』
『ええ、ご迷惑でなければ』
『では、喜んでちょうだいいたします』
彼がにっこりと微笑むと、彼女も極上の笑顔で返す。そして、ぽふっとサディアスの頭に花冠をのせた。
『サディアス様には、冠が似合いますね。こちらに、わたくしの力を付与しましたので、数年は枯れることなくこのままの状態を保つと思います』
『聖なる力ですか?』
『そう呼ばれているかもしれません』
あのときラティアーナからもらった花冠は、今でも枯れることなくサディアスの机の上に飾られている。
幼い頃から、自分の立場を理解していたつもりだ。だから、その立場に異論も反論も何もない。兄を支えるのが、自分の役目であるとも理解している。
レオンクル王国は竜の庇護を受け、竜の世話人とも呼ばれている聖なる乙女――聖女によって豊かな国土を保っている。それでも、残念ながら数十年に一度は厄災に襲われている国でもあった。
厄災といっても自然災害である。
大雨が降り、川が溢れ、家屋が沈む。強い風が吹き、実のなった農作物を奪い去る。もしくは、雨が降らずにカラカラの日照りで農作物が育たない。虫が大量に発生して、作物を食らいつくす。
そういった厄災が訪れると言い伝えられているし、実際に数十年に一度、そのような災害が起こっている。
いくら竜や聖女といえども、自然の摂理には抗えない。くるべき厄災に対策を行いつつも、それから救ってくれるのはやはりこの国を古から守り続けている竜であり、それの手伝いをするのが聖女の役目でもあった。
そのため聖女は『済世の聖女』とも呼ばれているのだ。
サディアスが、その聖女と初めて出会ったのは、今から二年前になる。
彼女はラティアーナと名乗った。翡翠色の瞳がはかなげに揺れていたのを今でも覚えている。
その目を見た瞬間、彼女を守りたいという気持ちが全身を駆け抜けた。なぜか庇護欲に掻き立てられたのだ。そう思わせるような何かが、彼女にあった。
彼女が王城を訪れたのは、キンバリーと婚約するためである。
当時十八歳ですでに立太子していたキンバリーと済世の聖女の婚約は、国民に希望をもたらした。
だがキンバリーは、聖女であり婚約者であるラティアーナには不満をもっていたようだ。周囲にサディアスしかいないときに、ボソリと口にする。
――身体が貧相だ。
サディアスは彼が言わんとしていることを即座に理解した。
ラティアーナは線の細い女性である。キンバリーの一つ年下であるとは聞いていたが、年齢のよりには身体が成長していないようにも見えた。
それでもサディアスにとっては、彼女は美しく尊い存在である。彼女の美しさは、内面から滲み出てくるものなのだ。彼女の心がそうさせている。
残念ながらキンバリーは、その魅力に気づいていない。
そんな彼を愚かだと思いならも憐れんだ。だが、気づかぬことに安堵もした。
ラティアーナの魅力は、自分さえ知っていればいいという優越感によるものかもしれない。
ラティアーナは神殿で暮らしていたが、それはキンバリーと婚約した後もかわらなかった。
必要に応じて、王城へ足を運ぶ。
そしてそのときだけが、サディアスが彼女と会える時間でもあった。
ある日サディアスが、教師の目を盗んで庭園で休んでいると、風にのって女性の歌声が聞こえてきた。
青空が広がっており、穏やかな風が吹いている。
だからサディアスは外へと逃げてきた。澄み切った空を見ていたら、部屋に閉じこもって勉強しているのが馬鹿らしくなったのだ。
課題は終わらせてあるし、何も問題はないだろう。何もせずに、あの部屋でただ時間を過ごすほうが無駄であると、勝手に判断した。
庭園の噴水の脇にある長椅子に寝転んで、空を流れる雲を眺めていると、自分という存在がちっぽけに思えてくる。
そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
(……?!)
どこからともなく聞こえてくる旋律が気になった。気になったら確かめたい。好奇心の塊のようなサディアスは、歌声の主を探して庭園を歩き始める。
(こっちか?)
風が吹くたびに声の聞こえる方向が変わってくる。それでもサディアスの探求心が勝った。
あきらめずに声を追う。
『ラティアーナ様?』
歌声の主は、庭園の外れにある花畑に座り込んで、花冠を作っているところだった。ちょうど木が影を作っている場所でもある。
サディアスの声に反応して顔をあげた彼女は驚いた様子であったが、その顔に満面の笑みをすぐに浮かべた。
『サディアス様、どうかされましたか?』
小鳥がさえずるような声で名を呼ばれると、顔に熱が溜まるような気がした。それに彼女に名前を呼んでもらえたことが、嬉しい。
『いえ、どうもしないのですが。ただ、歌が聞こえてきたので』
『歌?』
まるで心あたりがないとでもいうかのように首を傾ける姿は、実年齢よりも幼く見えた。
『あ』
そう言葉を漏らした彼女の顔は、みるみるうちに赤くなる。
『ごめんなさい』
恥ずかしさのあまり、ラティアーナはそう言ったのだろう。
『いや。素敵な歌でした。曲名を聞いても?』
『お褒めいただきありがとうございます。わたくしの故郷に伝わる子守歌のようなものです』
俯きながら答えるラティアーナともっと言葉を交わしたい。
心の中のサディアスが叫んでいる。ここなら他に誰もいない。
『あの』
サディアスは少しだけ声を張り上げた。
『隣に座ってもよろしいですか?』
いつもより心臓が力強く動いている。少しだけ、胸が痛い。
『どうぞ。ここはわたくしだけの場所ではありませんもの』
その言葉でうるさかった高鳴りが落ち着き、胸の痛みも和らいだ。断られるのが怖かったのだ。
『では、失礼します』
すとんと彼女の隣に腰を下ろす。
『花冠を作っているのですか?』
見ればわかるのに、サディアスはそう尋ねていた。少しでも会話をしたいと望む気持ちからくるものだろう。
『ええ、少し時間が空いてしまって』
『今日は、兄に会いに来られたのですよね』
『そうですね。そういうお約束でしたから』
手はしっかりと動かしながらも、彼女は少しだけ視線を逸らした。
『ごめんなさい』
サディアスのその言葉に、彼女の手がふと止まる。
『どうしてサディアス様が謝るのですか?』
『兄が、あなたとの約束を破ったわけですよね』
彼女は「いいえ」と首を横に振る。
今日のラティアーナは、空色の髪の毛をゆるく三つ編みにしている。そうやって彼女が顔を動かすたびに、三つ編みの先端がしっぽのように揺れた。
『キンバリー様は忙しい方ですから、仕方ありません。それに……こうして待っている間も、わたくしは楽しんでおりましたから』
彼女の手が動き出す。花を摘み、重ねて、まとめて、わっかになっていく。
『器用ですね』
『これを作ると、子どもたちも喜んでくれるのです』
そう言って彼女は、最後の花をくるっと止めた。
『できました』
サディアスはその花冠の行方が気になり、それから目が離せなかった。すると、ラティアーナの目尻が下がる。
『ご迷惑でなければ、これをもらっていただけないでしょうか。作ってみたのはいいのですが、この後のことをすっかりと忘れておりました』
つまり、花冠を手にしたままキンバリーには会えないと言いたいのだろう。
サディアスとしては、彼女がくれるというのであれば喜んでもらう。
『僕がいただいてもよろしいのでしょうか?』
『ええ、ご迷惑でなければ』
『では、喜んでちょうだいいたします』
彼がにっこりと微笑むと、彼女も極上の笑顔で返す。そして、ぽふっとサディアスの頭に花冠をのせた。
『サディアス様には、冠が似合いますね。こちらに、わたくしの力を付与しましたので、数年は枯れることなくこのままの状態を保つと思います』
『聖なる力ですか?』
『そう呼ばれているかもしれません』
あのときラティアーナからもらった花冠は、今でも枯れることなくサディアスの机の上に飾られている。