「もしもし」
声が震えてるのが自分でも嫌という程わかる。
これは、学校を休むと毎回かかってくる電話だが、いまだに慣れそうにない。
「小鳥遊さん、電話出てくれてありがとう」
優しく落ち着く声。
クラス委員の福本くんは、わたしが学校を休むと必ず丁寧に今日やった授業の内容などを話してくれる。
中学からおんなじでクラスが一緒になるのは2回目だった。
前のときは接点なんてなかったけど。
「ごめんね、毎回こんな夜遅く」
「……いえ」
電話越しなので見えるはずもないけど、首を横に何回かふる。
もうすぐ0時が回る。世間一般的にはたしかに遅い。
でも、むしろ遅くしてくれているのはわたしのためだった。
「体調はどうかな? 明日は学校これそう?」
「……明日の午後は行けるとは思います」
「よかった。待ってるからね」
少し無言になり、わたしがもうこれ以上なにも話さないとわかるとプツッと電話が静かに切れる。
最後まで優しく声をかけてくれたのに、またありがとうさえ言えなかった。
自分の思うことを言葉にするのがどうしても苦手だった。
「……まだ眠くないなぁ」
しーんと静まった部屋に言葉が零れた。
わたしの体内時計ではいまが昼なのだから、眠たくないに決まっている。
高校生になってからだんだんと朝に起きることができなくなっていった。それはただの昼夜逆転生活とかではなかった。
朝目が覚めると頭痛や立ちくらみが多々続いた。
お母さんに勧められ、病院にいってみてもらったところ、起立性調節障がいという病らしい。起きるとき身体や脳への血流が低下する病気なので朝は体調が優れない。なので、午後から登校するか、もしくは一日休むことが多くなってしまった。
夜にはほぼ回復する。
だから、夜がわたしの一日のスタートみたいなもんだった。
こんな生活なんてたのしくないし、せっかく受験した第一志望の高校にもあまり行けないなんて辛かった。
「小鳥遊さん、おはよ」
ガラッと教室のドアをあると、福本くんが笑顔で挨拶をしてくれた。
午後から登校したから、もうとっくにおはようの時間ではないのに。
「あ、おはようございます」
「もうクラスメイト2回目なんだからさ、他人行儀やめようよ」
冗談交じりの笑顔で言う。
でも、わたしは笑えなかった。
だって、わたしたちは友だちなんかじゃない。
ただクラスメイトってだけ。そんなの他人じゃん。
今日もおんなじ時間帯に電話がかかってくる。
「今日はね、僕がみた夢の話を聴いてほしいんだ」
「……なんですか?」
いつもよりたのしそうな弾んでいる声がしている。
話が長くなりそうなのが嫌で冷たく返す。
はやくおわってほしい。
善意でかけてきてくれるのにそんなこと思うわたしは最低だ。
「2月10日に小鳥遊さんが僕に告白してくれて付き合った夢」
「……は、え?」
自分でも状況がよくわからず、声が裏返る。
「びっくりしたよ。小鳥遊さんが僕の夢に出てくるなんて」
「……」
なんて言えばいいかわからなかった。
2月10日ってあとちょうど10日後だ。
部屋にあるカレンダーを横目にみた。
電話をもつ手から顔が熱いことが伝わってくる。
急に変なこと言われて頭の中が真っ白になる。
好きとかそんな感情をいままで意識したことはなかったせいで、言葉が出てこない。
「もしかして正夢になったりするかもね。
なったらいいな、なんて。……あはは、困らないでよ。
あくまで夢なんだから」
気まずさを元に戻そうと必死に声のトーンを上げているのがわかる。
わたしと福本くんがつりあうわけがない。
そもそも夢の話なんだから、わたしだって真に受ける必要はないのになぜかドキドキしてしまった。
今日はなぜかいつもより調子が良くてお昼前から登校ができた。
自分の席に着いて、福本くんを目線で追いかける。
昨日のことを気にしているのか、いないのか、いつものおはようの挨拶はしてくれなかった。
それが少しだけ悲しかった。
あんなにどうでもよかったはずなのに。
「小鳥遊さんって福本くんのこと好きなの?」
「え?」
頭上から降ってくる声に顔を上げてみると、隣の席の中野さんだった。
ふふって小さく笑う姿がいかにも女の子って感じでかわいらしい。
「中学がおんなじだけど、そんなんじゃない」
「そっか!」
わたしのそっけない答えにあまり満足してないみたいで、少し不満そうだった。
すぐどこかへ行ってしまった。
まあ、わたしと話してもどうせつまらないだろう。
なんて話したらみんなみたいに仲良くなれるかわからないんだから。
目線を戻すとバチッと福本くんと目が合う。
その瞬間、わたしのもとへと駆けてきた。
「小鳥遊さん、おはよう。
あのさ、昨日は変なこと言ってごめんね」
「……」
うんうん、と下を向きながら小さく首を横にふる。
どうしても夢の話を意識してしまい、目を合わせられなかった。
これも全部、全部福本くんのせいだ。
「あれ、ひとり?」
その問いかけにこくりと小さく頷く。
放課後の教室でひとりでほうきを握っていると、どこから現れたのか福本くんの姿があった。
どんどんわたしの目の前まで距離をつめる。
彼は人との距離感が近い。
「手伝うよ」
「いえ、これはわたしの仕事なんで……」
今日はわたしの班が掃除当番だった。
なのに、ひとりでいることを不思議に思うだろう。
でも、みんなはわたしが学校に行ってない間、わたしの分まで掃除をしてくれている。
だから、わたしがきたときにみんなの分までやるのは当然のことだ。
べつに押し付けられたとか思わない。
「……小鳥遊さんは充分がんばってるよ」
「え……」
いきなりなにに対して言っているのかわからずきょとんとする。
「中学のときから嫌な顔ひとつせずみんながやりたがらないごみ捨てしたり、教室のお花の水をかえてあげたり、僕にはできないそういうところが尊敬する」
わたしのことをまっすぐみつめる。
だれにもみられてないと思ったからやっていたことなのにみられていたことに驚いた。
「なんでそれを」
「みてるよ。僕はいつもきみのことみてるから」
そんな熱をもった眼差しでみられたら、はずかしくて顔が少し熱くなった。
「小鳥遊さんはもう少し肩の力を抜いて話してみたらどうかな?
このクラスはみんないい人たちだから少しくらい言葉に詰まったって優しくまってくれるよ」
「がんばってみま……じゃなくてがんばってみるよ」
わたしが敬語をやめたのを聴くと、うんうんと大袈裟に頷いてくれた。
それからふたりで仲良く教室の掃除をすることにした。
時折、話しかけてくれる彼にわたしは言われたことに応えるだけしかできず、自分から話しかけるだなんて難易度が高かった。
それでも前より話せるようにはなっていた。
「小鳥遊さん」
次の日、学校にきた瞬間、班のリーダーである水野くんに呼び出された。
わけがわからず、ついていくとだれもいない階段の下で急に頭を下げられる。
「ごめんなさい」
「へ?」
謝れることをされた覚えはなくて息を呑む。
「昨日、颯太に怒られたんだ。
小鳥遊さんは学校に来たくても来れないのに、来たときに班の仕事を押し付けるのはちがうだろって」
颯太というのは福本くんの名前だ。
昨日の掃除のことだろう。
福本くん、もしかしてわたしのことを心配して言ってくれたのだろうか。
「……そんなわたしは押し付けられたなんて」
「でも、ごめん。颯太に言われて気づいた」
福本くんの言う通り、このクラスの人たちはみんな優しいのかもしれない。
こんなにも真剣に謝ってくれて、なんだか心まで軽くなった気がした。
「全然大丈夫だよ。
わたしこそいつもいなくて迷惑かけてごめんなさい」
珍しくスラスラと言葉が出てくる。
思っていることを正直に伝えられた。
お互い謝って頭を下げていたらなんだかおかしくなってきて、ふたりで笑いあった。
このときから少しずつ班の人と話せるようになってきた。
「小鳥遊さん、今日一緒に帰らない?」
授業がおわると、福本くんが真っ先にわたしの目の前にくる。
「……うん」
周りの目もあるのに、声をかけてくれたんだから、わたしは笑顔をつくって答える。
福本くんはやっぱりコミュニケーション力が高くて、わたしがどんな答えを放っても話が尽きることはなかった。
そんな彼の横を歩くのはほかのだれかと話すのと比べて気を遣うことはなくとても楽だった。
「この公園、小さいころから好きだったんだよな」
いつの間にか公園の前を通ってたらしく、福本くんが指をさしながら言う。
ここは静かで、電柱がないため真上を見上げると星空がきれいに見える。
だから、星空公園と呼ばれている。
「少しよってく?」
控えめに言うと、
「いいの? やった!」
その声とともにすぐブランコに走っていった。
普段は学級委員を務めて真面目なのに、こういう一面みると彼もひとりの男の子なんだと実感する。
わたしもすぐ隣のブランコに腰かける。
「最近、小鳥遊さんクラスに馴染んできたね」
「そうかな」
馴染んでるかなんて自分ではわからなくてとぼけてみる。
「そうだよ。前は話しかけてもよそよそしい感じだったけど、いまではみんなも話しかけやすいって言ってたよ」
もしわたしが変わったってことならそれはきっと福本くんのおかげだ。
福本くんのことを意識するようになったら、視える世界が少しだけ色づいた気がする。
「あの、中野さん。この問題教えてほしい」
わたしが恐る恐る声をかけると、一瞬目を開いたように驚いていた。
でも、自然と口角があがり、
「……もちろん!」
と笑顔で返してくれた。
「ここはね、少し複雑だけど、この公式を使ってあてはめるとわかりやすいよ」
「ほんとだ、すごい」
丁寧にゆっくり教えてくれて勇気をだしてよかったと思った。
少しずつでいいから彼女ともいい関係を築けたらないいな。
「えっと……ありがとう!」
「いえいえ!」
わたしの感謝の言葉にびっくりしたのか少し時が止まった気がするけど、すぐにいつものような笑みに戻っていた。
前のような気まずさなんかもうなくなっていた。
これならもっと仲良くなれるかもしれない。
2月10日。
夢の世界での今日はわたしたちが付き合う日だ。
でも、現実のわたしはまだベッドの中だった。
もう太陽が真上に登っている。
「陽菜、学校どうするの?」
コンコンとノックが鳴り、お母さんが入ってきた。
「……やめる」
「そう、学校には電話しとくわね。
最近はずっと調子よかったのに大丈夫?」
わたしのそばにきて顔色を窺う。
「うん」
お母さんに心配かけないように無理矢理笑う。
わたしにとってはちょうどよかった。
今日は福本くんにあわなくてすむ。
会わなければ告白されることも、することもない。
きっとこれでよかったんだ。
わたしたちの関係はずっと平行線のまんまでいい。
「陽菜、もうすぐ日付けが変わるわよ。
元気になったのはいいけど、はやく寝なさいよ」
「……はーい」
リビングの時計をチラッとみて、仕方なくテレビの電源を消す。
お母さんが寝室へいったのを確認して、リビングでずっと時計とにらめっこをしていた。
チクタクチクタクと秒針が心音のように脈打つ。
0時0分。
日付けが変わり、2月11日になってしまった。
「ほら……やっぱ正夢になんないじゃん」
時計を見ながら、ため息をひとつ零す。
正夢になるかもね、だなんて調子のいいこと言わないでよ。
でも、よく考えてみればあたりまえだ。
福本くんがみた夢の話だ。現実ではない。
わたしが告白するなんてありえない。
そもそも、わたしが福本くんのこと好きなわけ……。
「……っ」
気づいたら頬を冷たい雫が伝う。
〖小鳥遊さん、ありがとう〗
〖小鳥遊さんは充分がんばってるよ〗
〖僕はいつもきみのことを見てるから〗
頭の中で彼がくれた温かい言葉たちを反芻する。
わたし、福本くんにはまだ正直な気持ちをひとつも伝えられていない。
もう日付けが変わってしまった。
けど、いまからでも遅くないんじゃない?
自問自答してみる。
いかないと。彼のもとへ。
無我夢中で家を飛び出し、思いっきり走った。
だんだんと息が苦しくなってきたとき、星空公園が見えてきた。
そこには、よく見慣れたシルエットがあることに気づく。
「福本くん!」
わたしが大きな声で叫ぶと、彼は声のしたほうにキョロキョロと見渡す。
「え、小鳥遊さん? こんな時間にどうしたの?」
彼のもとへと全速力で駆けていったため、息がまだ荒い。こんなに走ったのはいつぶりかわからない。
それでも、彼の双眸をじっと見つめる。
「あのね……わたし、わたしね、」
怖い。福本くんだけには嫌われたくない。
でも、言わないと現状は変わらない。
想っていることを伝えないと。
「……わたし、福本くんのことが」
続きを言おうとして口を開けると、彼はゆっくりと表情を緩める。
「好きだよ」
「へ?」
いきなりの彼の告白に素っ頓狂な声が出てくる。
頭の中がパニックになっているわたしのことを優しくみつめて、もう一度はっきりと告げる。
「あなたのことが好きです、陽菜さん。
僕とお付き合いしてくれませんか?」
何秒見つめあったかわからない。
周りの音なんかすべて聞こえない。
自分の鼓動がうるさくてしょうがない。
出された手にそっと自分の手を絡めにいく。
手から伝わる暖かい温もりがこれは嘘じゃないとはっきり教えてくれる。
「わたしも好きです」
消えそうなくらい小さくなってしまったけど、答えることができた。
すると、彼はひまわりのような笑顔を浮かべる。
「ちゃんと正夢になったね」
「え、でも……日付けは変わっちゃったよ」
家を出る前ににみた時計を思い出す。
そのとき、0時を告げる鐘が公園中に鳴り響いた。
「あれ?」
「お家の時計が壊れてたんじゃないの?」
「そうだったのかも」
もうなんだっていい。
いまわたしはこうやって行動して、想いを伝えられたのだから。
満天に輝く星空がまるでわたしたちの交際を祝福しているようだった。
真夜中は深海のように静かでふたりしかこの世界にいないんじゃないかと思ったくらいだ。
そう、まるでわたしたちだけの世界。
手を繋いで、わたしの家まで送ってくれる。
福本くんは星空公園でなにをしていたか訊いてみたところ、まさにわたしに電話をかけようとしたところだったみたいだ。
なんでも学校休むとかかってくる電話はいつも外からかけていたらしい。
「びっくりしたよ。夜はほんとに回復してあんなに走れるんだね」
驚いた、と言わんばかりに彼が話す。
「あ、うん。朝起きるときに血液の流れが悪いせいで立ちくらみとか頭痛は多いけど、午後からは徐々に回復するよ」
「でも、無理はしないでね」
「あの、ありがとう」
「ん?」
「今日だけじゃなくて、いつも電話で色々教えてくれてありがとう。
いつもみていてくれたみたいでありがとう」
数々の感謝の言葉をやっと言えた。
すると、彼はそんなことないよと破顔した。
「陽菜」
わたしの家の前にきたときにふいに名前を呼ばれる。
はじめての呼び捨てに胸のドキドキが止まらない。
「な、なんですか?」
彼が近づき、こっそりと耳打ちする。
その言葉に吃驚する。
「っ!」
「……んじゃ、これからもよろしく!」
わたしの真っ赤な顔を見るなり、にやりと笑い逃げるように去っていった。
〖陽菜が告白する夢なんかみてない。
全部嘘だよ。陽菜をどうしても振り向かせたかったんだ〗
そう言って無邪気に笑った彼をわたしは一生忘れないだろう。
彼は真面目の皮を被ったとんでもない大嘘つきなのかもしれない。