天智天皇(てんちてんのう)2年(663年)の飛鳥時代のこと。

 大津皇子(おおつのみこ)は、のちの天武天皇(てんむてんのう)となる大海皇子(おおあまのみこ)と彼の妃の1人である大田皇女(おおたのひめみこ)との間に、天皇の第3皇子として生まれる。

 漢詩集の『懐風藻(かいふうそう)』によれば、彼は「状貌魁梧(じょうぼうかいご)器宇峻遠(きうしゅんえん)(身体容貌に優れ、器量も大きい)」で文武にも非常に秀でていた。
 また「性頗放蕩(せいすこほうたう)、法度に拘わらず、節を降して士を礼す(性格が大らかで自由、また偉そぶるところもない)」人物のため、人々からの人望も厚い。

 彼は訳語田舎(おさだのいえ)を住居とし、宮の近くには磐余の池(いわれのいけ)もあった。また宮から少し行ったところには寺川が流れており、この地よりやや西北のほうに目を向けると、その先にはニ上山(ふたかみやま)が大きくそびえ立っている。

 また子供のころは、彼が5歳の時に母親の大田皇女が亡くなり、その後は同母の姉である大伯皇女(おおくのひめみこ)と一緒に、祖父の天智天皇の元に引き取られて青年期を過ごすこととなる。

 その後姉の大伯皇女のほうは、斎王(さいおう)となり、ここから離れた伊勢の地へと行ってしまう。

 また彼には他に草壁皇子(くさかべのみこ)という異母兄がいるのだが、共に次の天皇候補とされているため、この兄とも少し微妙な間柄にいた……

 だが彼の母親が天皇の皇后であるのに対して、自分には母親が既におらず、同母姉も伊勢にいる。そのため今の置かれている状況を考えると、彼の立場は弱かった。

 彼の唯一の救いは、父親の天武天皇との信頼関係だけである。


 そんな大津皇子ではあるが、ある時彼は1人の女性に恋をしてしまう。その相手とは女流歌人の石川朗女(いしかわのいらつめ)と呼ばれる女性だ。

 だが彼女は、大津皇子以外にも何と草壁皇子からも想いを寄せられていた。

 そんな微妙な関係の中であっても、大津皇子の石川朗女への想いはとても強く、皇子の彼女への気持ちは日に日に深かまるばかりである。

「もちろん、草壁の兄上に対して申し訳ない気持ちはある。だがそれでも俺は彼女が諦めきれない……」

 対して石川朗女のほうも、そんな純粋に気持ちを向けてくれる彼に、次第に好意を抱くようになる。

 だがそんな2人を気がきでない思いで見ていたのが、大津皇子の異母兄である草壁皇子だった。

大名児(おほなご)を、彼方野辺(をちかたのへ)に、刈る(かや)の、(つか)(あひだ)も、我れ忘れめや」巻第2-110
※大名児:石川朗女

(大名児のことを、野に刈る草の束のように、ほんのわずかの間も忘れたりはしない)

 彼は心配の余り、こんな歌を詠んで、石川朗女を何とか自分に引き止めようとする。
 相手はあの人望の厚い大津皇子だ。彼女がそんな彼に心引かれても何らおかしくはない。

 つまりは石川朗女という1人の女性を、2人の皇子が取り合う形となってしまった。