時は、遡る──。
東の五条院、帝の母である大后様のお屋敷に、若い姫君が世話になっていると、業平は耳にした。
もっとも、女に不自由していない業平は、鼻で笑っていたが、この東の五条院の主、順子の兄は、時の権力者、太政大臣、藤原良房。世が世なら、業平は、良房にかしずかれていたのだ。
世を思いのままに動かしている、良房へ、一泡吹かせてやろうと、業平にイタズラ心が沸き起こる。
良房は、その世話をしている姫とやらを入内させ、女御、更には、皇后へと押し上げるつもりと読んだ業平は、帝より先に、熟す前の果実を摘み取り、甘美な蜜を味みしてみるかと思い立つ。
入内前の姫が、外の男と通じてしまえば、さて、どうなることか。
良房の慌て様は、どれ程のものだろう。
業平は、あちらこちらへ、根回しし、やっと、その姫君──、五条の姫こと、名を高子という女の元へ忍ぶ手はずを整える。
業平、32歳、高子、15歳の秋の事だった。
通じている女房と落ち合って、業平は、姫君の元へ案内させようと試みるが、なぜか、屋敷を囲む塀に出来た穴へ連れて行かれた。
女房は、
「申し訳ございません。御屋敷の門は全て、見張りの随身がおります」
と、小さく答えた。
「で、ここからと……これは、これは」
聞けば、この穴は、壊れた塀を、屋敷にいる行儀見習い中の童子達が、通り抜けられる様に開けたものとか。
門から出入りするには、見張り役と顔を会わせなければならない。逐一、行き先を問われるのも面倒。良いものを見つけたと、穴を広げて使い始めたのだ。
それに乗じ、裏方の大人達も、ここを使い始め、屋敷では、暗黙の抜け道になっているのだという。
「人払いは、出来ております。西の対屋、釣灯籠が照らす部屋……。ですが、そちらは、西門に近こうございます。見張りに見つかりませんよう、お気をつけて……」
掲げ持つ小袖で、女房は顔を隠すと、悪事から逃れようとした。
前にいる怯える女を業平は、さっと引き寄せ、力強く抱きしめる。
「この業平、あなたとの夜を忘れたとお思いですか?」
言うが早いか、そのまま女房の唇を業平は、奪った。
驚きよりも官能からの息を吐く女房を残し、業平は、素知らぬ顔で穴を潜りぬける。
(さて、女の口封じは、あれでよし。しかし、これ程まで姫君の守りが固いとは……、ますます、面白い話になりそうだ)
その時の業平は、高子という姫に、興味の欠片もなく、ただ、ただ、良房へ嫌がらせのつもりだった。
そして……。
告げられたように、釣灯籠が灯り、廊下を照らしている部屋が見えた。
業平は、夜空を仰ぐ。
(ちょうど良い具合の薄明かり。月も、私に見方している。)
そんな事を思いつつ、業平は、足音に気をつけながら、忍んで行く。
「誰ぞ……誰ぞ……」
幼さの残る、それでも、凛とした声が、仕える者を呼んでいる。
しかし、幾度呼べども、誰からも返事はない。どうなっているのかと、声の主も、どこか不安そうに、それでも、声をかけている。
──確かに、人払いは出来ているようだった。
(はっ、田舎娘か……。良房め、自分の欲の為に、適当な娘を用意したな。)
それでは、都の流儀を教えてやろうと、業平は、風に舞うかの様に、縁側へ飛び上がり、そのまま、声がする部屋へ踏み込んだ。
東の五条院、帝の母である大后様のお屋敷に、若い姫君が世話になっていると、業平は耳にした。
もっとも、女に不自由していない業平は、鼻で笑っていたが、この東の五条院の主、順子の兄は、時の権力者、太政大臣、藤原良房。世が世なら、業平は、良房にかしずかれていたのだ。
世を思いのままに動かしている、良房へ、一泡吹かせてやろうと、業平にイタズラ心が沸き起こる。
良房は、その世話をしている姫とやらを入内させ、女御、更には、皇后へと押し上げるつもりと読んだ業平は、帝より先に、熟す前の果実を摘み取り、甘美な蜜を味みしてみるかと思い立つ。
入内前の姫が、外の男と通じてしまえば、さて、どうなることか。
良房の慌て様は、どれ程のものだろう。
業平は、あちらこちらへ、根回しし、やっと、その姫君──、五条の姫こと、名を高子という女の元へ忍ぶ手はずを整える。
業平、32歳、高子、15歳の秋の事だった。
通じている女房と落ち合って、業平は、姫君の元へ案内させようと試みるが、なぜか、屋敷を囲む塀に出来た穴へ連れて行かれた。
女房は、
「申し訳ございません。御屋敷の門は全て、見張りの随身がおります」
と、小さく答えた。
「で、ここからと……これは、これは」
聞けば、この穴は、壊れた塀を、屋敷にいる行儀見習い中の童子達が、通り抜けられる様に開けたものとか。
門から出入りするには、見張り役と顔を会わせなければならない。逐一、行き先を問われるのも面倒。良いものを見つけたと、穴を広げて使い始めたのだ。
それに乗じ、裏方の大人達も、ここを使い始め、屋敷では、暗黙の抜け道になっているのだという。
「人払いは、出来ております。西の対屋、釣灯籠が照らす部屋……。ですが、そちらは、西門に近こうございます。見張りに見つかりませんよう、お気をつけて……」
掲げ持つ小袖で、女房は顔を隠すと、悪事から逃れようとした。
前にいる怯える女を業平は、さっと引き寄せ、力強く抱きしめる。
「この業平、あなたとの夜を忘れたとお思いですか?」
言うが早いか、そのまま女房の唇を業平は、奪った。
驚きよりも官能からの息を吐く女房を残し、業平は、素知らぬ顔で穴を潜りぬける。
(さて、女の口封じは、あれでよし。しかし、これ程まで姫君の守りが固いとは……、ますます、面白い話になりそうだ)
その時の業平は、高子という姫に、興味の欠片もなく、ただ、ただ、良房へ嫌がらせのつもりだった。
そして……。
告げられたように、釣灯籠が灯り、廊下を照らしている部屋が見えた。
業平は、夜空を仰ぐ。
(ちょうど良い具合の薄明かり。月も、私に見方している。)
そんな事を思いつつ、業平は、足音に気をつけながら、忍んで行く。
「誰ぞ……誰ぞ……」
幼さの残る、それでも、凛とした声が、仕える者を呼んでいる。
しかし、幾度呼べども、誰からも返事はない。どうなっているのかと、声の主も、どこか不安そうに、それでも、声をかけている。
──確かに、人払いは出来ているようだった。
(はっ、田舎娘か……。良房め、自分の欲の為に、適当な娘を用意したな。)
それでは、都の流儀を教えてやろうと、業平は、風に舞うかの様に、縁側へ飛び上がり、そのまま、声がする部屋へ踏み込んだ。