「今でもはっきり覚えてる」
これ、校庭の桜?
はい。ありのままの桜の木です。
これ、一か月に二枚描いてるってことは、ずっとこれしか描いてないの?
成長を見てほしかったので、ずっとです。
これは一枚だけでいいんだよ、伝わるから。もっと別の作品にしてくれない?
…え?
だから、これだけ描いてちゃ無駄だってこと。素原くん、絵の質はいいんだからさ。もっと有効活用していかなきゃ。
でも、俺はこの桜でみんなを感動させたくて…。
「『わかってるでしょ?大事なのは桜じゃなくて、君の絵がどれだけみんなの注目を集めるかなんだよ』…だってさ」
その絵を見て、美術部の部員増加に貢献して、雄才な部員を見つけて入部させて、コンクールに応募させて、その高校の名が知れ渡るように。そんな裏の世界が、見えてしまった。
誰だって、好きなものや憧れているものを侮辱されたり否定されるのは嫌いだ。けれど、灯輝さんの植物への愛情は、そんな簡単な言葉で変えられるようなものじゃない。だから、過去の記憶を引きずりながらも、ずっと絵を描き続けているのだ。
灯輝さんの植物への優しさは、そんなもので揺るがないはずだ。
「結局、その言葉は無視したよ。その部長が卒業するまでね。一年間描き続けたけれど、二年生になってからは、もう桜は描かなくなった。その代わりに、色々な植物を描いてたよ」
「…灯輝さんは、今でも桜が嫌いなんですか?」
とっさに言ってしまったからなのか、どんな風に返してくれるか、なんの見当もつかなかった。
「嫌いじゃないよ。だけど…」
灯輝さんの声が震えた。
「…思い出すと、寂しくなるよ」
涙は出ていなかった。ただ、その桜に対して、ごめんね、と語りかけているようだった。
私も、心がじわりと沁みてきた。
「でも、やっぱり最後に描いちゃったんだ。どうしても忘れられなくて」
「…そうなんですか?」
確か家にあるな、と言ってから、温かく微笑んだ。
「うん。卒業の時に、思い出に残したくて。すごい大きな木の板に、すごく時間をかけて描いたんだ。それで、最後に色落ち防止でニスを塗ったら、卒業し終わっちゃって、入学式の日に、校庭に持ち帰りに来たの。ちょうどよく乾いてたよ。入学祝いも兼ねた作品になってよかったぁ」
思い出し笑いをする灯輝さんが、その日の入学生の視線は冷たかったと話していた。
そんな灯輝さんを見て、ある考えがぽわっと頭の中に浮かんだ。
あくまでも、だいぶ憶測だが。