画面に映った秋希は、病室、それもベッドの上にいる。
半年前と変わらないように感じたのも束の間、前よりも痩せていることに気付いた。
『理桜ちゃん、久しぶり。驚いた?』
理桜の混乱なんて無視して、秋希は手を振っている。
その笑顔も声も、あまりにも記憶通りで、嬉しいような切ないような、いろいろな感情が混ざりあって、涙が込み上げてくる。
『理桜ちゃん、怒ってるだろうなあ……と思いつつ……言いたいことがあったので、動画を撮ってます』
すると、秋希は視線を上下に動かして悩み始めた。
そんな秋希を見て、理桜は笑い声をこぼした。
「なに? どうしたの?」
その声、その表情は、まだ秋希が好きだと物語っている。
『……ダメだ、言いたいことがありすぎる。よし、一番伝えたいことだけにしよう』
秋希は名案と言わんばかりに、人差し指を立てて腕を伸ばす。
そして、優しすぎる笑みを浮かべた。
理桜が忘れかけている恋心を思い出させるには、十分すぎる笑顔だ。
『理桜ちゃん、僕と出会ってくれて、ありがとう。理桜ちゃんと出会って、理桜ちゃんを好きになれただけで、僕は生まれてきてよかったって思える。もし、人生で誰かを好きになるための気持ちに限りがあるなら、僕の気持ちは、全部理桜ちゃんのものだよ』
そこまで言って、秋希の笑顔は照れ笑いに変わった。
それから、視線が落ちる。徐々に、秋希から笑顔が消えていく。
『でもね、僕のことは忘れてくれていい。僕の気持ちも、僕との思い出も、全部全部、忘れてね』
秋希は泣きそうになりながらも、口角を上げる。
そして、手を振った。
『バイバイ、理桜ちゃん。大好きだよ』
動画は、そこで終わった。
理桜は動けなかった。秋希の状況や言葉を処理するのに、時間が必要だった。
スマホの画面がそっと暗くなったとき、新たにメッセージが届く。
また画面を開き、メッセージに目を通す。
“はじめまして、朝倉秋希の兄の、一颯です。今の動画は、一ヶ月前に弟に頼まれて撮ったものです。弟は貴方に見せるつもりはないと言っていたのですが、俺は見せるべきだと思い、送りました”
理桜は会ったこともない相手にメッセージを送ることに緊張しながら、文字を打っていく。
“はじめまして、向坂理桜です。動画、ありがとうございます”
それを送ってから、病室で笑う秋希の姿を思い出す。
“秋希は、元気ですか?”
送られたメッセージを見て、理桜は送信を取り消そうとした。
だが、それより先に返事がきた。
“今朝、息を引き取りました”
「……は? え、待って……嘘……」
理桜は混乱したまま、秋希のスマホに電話をかける。
「はい」
何度もかけてきた電話口から、知らない男の人の声がする。
その動揺も相まって、理桜は言葉に詰まった。
「あの、秋希が……秋希が、死ん、だって……」
「……はい」
声の暗さから、それが真実なのだと思い知らされる。
理桜も一颯も、積極的に言葉を発しない。
重たい沈黙の中で、理桜は感情を押さえ込み、一筋の涙をこぼす。
夜空に浮かぶ月は、理桜を闇から引き上げようとしているように見えた。
「……秋希に、会いたい……」
ずっと、言いたくても言えなかった言葉。
涙だって、堪えきれなくなっていた。
「……会いますか?」
電話の向こうから、躊躇いつつ提案される。
秋希に会える。
それが、どういうことなのか。
理桜は当然理解していた。
「……会いたいです」
だからこそ、その表情は覚悟を決めていた。
✿
一颯は、出入り口で理桜が葬儀場に到着するのを待っていた。
月明かりに照らされて、彼女はやって来る。
「向坂理桜さんですよね。はじめまして、朝倉一颯です」
「……はじめまして」
腰を曲げた理桜が顔を上げると、弱っているのがわかった。
一颯は、言葉に迷う。
来てくれたことへの感謝か。彼女への気遣いか。
どれも、違う気がした。
「……こっちです」
屋内に入り、階段を登っていく。
一颯は、背後から聞こえてくる足音に合わせて、足を運んだ。
安置室に入ると、誰の姿も見えなかった。
「ご家族の方は……」
「両親には寝てもらってます。身体的にも、精神的にも疲れていると思ったので」
一颯の言葉に、簡単に相槌を打ち、理桜は秋希の元に向かう。
知っている寝顔がそこにはあり、ここまで来ても、秋希が息をしていないことが、信じられなかった。
「……触れても?」
振り向くと、一颯は手のひらで許可をする。
伸ばした指先は、怯えながら、秋希の頬に触れた。
当然、温もりは感じられない。
理桜は一気に実感した。
それでも、涙を流しながら笑顔を作る。
「……久しぶり、秋希」
静まり返った室内で、理桜の鼻水をすする音が響く。
唯一、理桜を見守っている一颯は、視線を落としていた。
『理桜ちゃんは、桜みたいな人なんだ』
あの動画を撮ったとき、一颯は理桜の人となりが気になって聞いた。
その答えが、それだった。
『儚くて美しいってことか』
『もちろんそれもあるけど、それだけじゃない。理桜ちゃんは、一人で立つことができる強さのある女性だ』
秋希が未練を抱いている表情を見て、一颯は理桜への嫌悪感を抱いた。
『だから、病気のお前を捨てて、一人で生きる選択をしたと?』
一颯の不機嫌そうな声を聞くと、秋希は驚き、首を横に振る。
『まさか。理桜ちゃんは病気のことは知らないよ。教えてないんだ。このことを知っちゃうと、きっと、理桜ちゃんは耐えられない。だから、僕からお別れをしたんだよ』
秋希が言っていた、儚さや弱さ、そして強さ。聞いたときは矛盾していると思っていたが、理桜の姿を実際に見て、一颯は理解した。
「秋希は……いつから、病気だったんですか?」
振り向いて一颯に話しかけるが、理桜は秋希の傍を離れようとしない。
「高校時代に罹った病気が、年が明けたくらいに再発したんです。体調を崩したのは、それより前……秋ぐらいって言ってたかな。ただ、今回は治る見込みがなかったようで……」
一颯はその先を言えなかった。
理桜の視線は、また秋希に移る。
「そんなに前から一人で闘ってたなんて……言ってよ……」
理桜の悔しそうな声を聞いて、一颯は知らないとはいえ、あんなことを言ってしまったことを後悔する。
きっと理桜は、秋希の病気のことを知っていたら、毎日でも病室に来たんじゃないか。
まだ顔を合わせて数分しか経っていないのに、そう感じた。
それと同時に、このままでは、理桜が秋希に囚われてしまうような気がした。
「……秋希は、貴方に、自分のことは思い出にしてほしい、なんなら、忘れて他の人と幸せになってほしいと」
「忘れませんよ、秋希のことは」
理桜の力強い声が遮った。
「本当は、忘れようと思っていました。私の想いが、いつか秋希の邪魔になる気がしていたから。でもこれは、秋希が生きていたらの話です」
秋希の思いが無下にされた気分だった。
だけど、理桜の真剣で、寂しそうな横顔を見ると、なにも言えない。
「私は、これからも秋希がいない世界を生きていくんです。無理に秋希の願いを聞いて、心を殺しながら生きていくなんて、できません」
『理桜ちゃんは、一人で立つことができる強さのある女性だ』
それをひしひしと感じる佇まいだった。
理桜は今一度、秋希の頬に触れる。
変わらない現実に、視界が滲む。
「……秋希、メッセージありがとう。私だって、秋希に全部気持ちをあげたいけど、怒られそうだから、やめておく。少しだけ、これから出会うかもしれない誰かに残しておくよ」
理桜は一歩、後ろに下がった。
動画の秋希と同じく、涙を浮かべながら笑顔を作る。
「バイバイ、秋希。大好きだったよ」
そして安置室を出ていく理桜の背中を、一颯は見ていることしかできなかった。
一人残った一颯は、ゆっくりと秋希に近寄る。
止まってしまった、弟の時間。そうは感じさせない表情だが、触れれば嫌でも思い知らされる。
兄弟でも心が食いちぎられそうなのに、恋人だと、どれほど苦しかっただろう。半年、その温もりを感じていなかったとしても、あの様子だと、簡単に忘れられなかったことだろう。
それでも彼女は、ここで笑顔を見せた。
「……彼女、桜みたいな人だな」
『でしょ?』
一生聞こえるはずのない声に、嬉しそうに返された気がした。
❀
凍てつく寒さは和らぎ、すべての生命が生きやすい季節がやってきた。
理桜はベッドから降りて、カーテンを開ける。窓の向こうには、美しい水色が広がっている。さらに窓を開けると、爽やかな空気が流れ込んでくる。
深呼吸をしながら、身体を伸ばす。
それから、お気に入りのものを置いたスペースの前に移動した。
「おはよう、秋希。今日はお花見日和だよ。どこの桜を見に行こうか」
応える声はなくとも、理桜の笑顔は柔らかかった。
半年前と変わらないように感じたのも束の間、前よりも痩せていることに気付いた。
『理桜ちゃん、久しぶり。驚いた?』
理桜の混乱なんて無視して、秋希は手を振っている。
その笑顔も声も、あまりにも記憶通りで、嬉しいような切ないような、いろいろな感情が混ざりあって、涙が込み上げてくる。
『理桜ちゃん、怒ってるだろうなあ……と思いつつ……言いたいことがあったので、動画を撮ってます』
すると、秋希は視線を上下に動かして悩み始めた。
そんな秋希を見て、理桜は笑い声をこぼした。
「なに? どうしたの?」
その声、その表情は、まだ秋希が好きだと物語っている。
『……ダメだ、言いたいことがありすぎる。よし、一番伝えたいことだけにしよう』
秋希は名案と言わんばかりに、人差し指を立てて腕を伸ばす。
そして、優しすぎる笑みを浮かべた。
理桜が忘れかけている恋心を思い出させるには、十分すぎる笑顔だ。
『理桜ちゃん、僕と出会ってくれて、ありがとう。理桜ちゃんと出会って、理桜ちゃんを好きになれただけで、僕は生まれてきてよかったって思える。もし、人生で誰かを好きになるための気持ちに限りがあるなら、僕の気持ちは、全部理桜ちゃんのものだよ』
そこまで言って、秋希の笑顔は照れ笑いに変わった。
それから、視線が落ちる。徐々に、秋希から笑顔が消えていく。
『でもね、僕のことは忘れてくれていい。僕の気持ちも、僕との思い出も、全部全部、忘れてね』
秋希は泣きそうになりながらも、口角を上げる。
そして、手を振った。
『バイバイ、理桜ちゃん。大好きだよ』
動画は、そこで終わった。
理桜は動けなかった。秋希の状況や言葉を処理するのに、時間が必要だった。
スマホの画面がそっと暗くなったとき、新たにメッセージが届く。
また画面を開き、メッセージに目を通す。
“はじめまして、朝倉秋希の兄の、一颯です。今の動画は、一ヶ月前に弟に頼まれて撮ったものです。弟は貴方に見せるつもりはないと言っていたのですが、俺は見せるべきだと思い、送りました”
理桜は会ったこともない相手にメッセージを送ることに緊張しながら、文字を打っていく。
“はじめまして、向坂理桜です。動画、ありがとうございます”
それを送ってから、病室で笑う秋希の姿を思い出す。
“秋希は、元気ですか?”
送られたメッセージを見て、理桜は送信を取り消そうとした。
だが、それより先に返事がきた。
“今朝、息を引き取りました”
「……は? え、待って……嘘……」
理桜は混乱したまま、秋希のスマホに電話をかける。
「はい」
何度もかけてきた電話口から、知らない男の人の声がする。
その動揺も相まって、理桜は言葉に詰まった。
「あの、秋希が……秋希が、死ん、だって……」
「……はい」
声の暗さから、それが真実なのだと思い知らされる。
理桜も一颯も、積極的に言葉を発しない。
重たい沈黙の中で、理桜は感情を押さえ込み、一筋の涙をこぼす。
夜空に浮かぶ月は、理桜を闇から引き上げようとしているように見えた。
「……秋希に、会いたい……」
ずっと、言いたくても言えなかった言葉。
涙だって、堪えきれなくなっていた。
「……会いますか?」
電話の向こうから、躊躇いつつ提案される。
秋希に会える。
それが、どういうことなのか。
理桜は当然理解していた。
「……会いたいです」
だからこそ、その表情は覚悟を決めていた。
✿
一颯は、出入り口で理桜が葬儀場に到着するのを待っていた。
月明かりに照らされて、彼女はやって来る。
「向坂理桜さんですよね。はじめまして、朝倉一颯です」
「……はじめまして」
腰を曲げた理桜が顔を上げると、弱っているのがわかった。
一颯は、言葉に迷う。
来てくれたことへの感謝か。彼女への気遣いか。
どれも、違う気がした。
「……こっちです」
屋内に入り、階段を登っていく。
一颯は、背後から聞こえてくる足音に合わせて、足を運んだ。
安置室に入ると、誰の姿も見えなかった。
「ご家族の方は……」
「両親には寝てもらってます。身体的にも、精神的にも疲れていると思ったので」
一颯の言葉に、簡単に相槌を打ち、理桜は秋希の元に向かう。
知っている寝顔がそこにはあり、ここまで来ても、秋希が息をしていないことが、信じられなかった。
「……触れても?」
振り向くと、一颯は手のひらで許可をする。
伸ばした指先は、怯えながら、秋希の頬に触れた。
当然、温もりは感じられない。
理桜は一気に実感した。
それでも、涙を流しながら笑顔を作る。
「……久しぶり、秋希」
静まり返った室内で、理桜の鼻水をすする音が響く。
唯一、理桜を見守っている一颯は、視線を落としていた。
『理桜ちゃんは、桜みたいな人なんだ』
あの動画を撮ったとき、一颯は理桜の人となりが気になって聞いた。
その答えが、それだった。
『儚くて美しいってことか』
『もちろんそれもあるけど、それだけじゃない。理桜ちゃんは、一人で立つことができる強さのある女性だ』
秋希が未練を抱いている表情を見て、一颯は理桜への嫌悪感を抱いた。
『だから、病気のお前を捨てて、一人で生きる選択をしたと?』
一颯の不機嫌そうな声を聞くと、秋希は驚き、首を横に振る。
『まさか。理桜ちゃんは病気のことは知らないよ。教えてないんだ。このことを知っちゃうと、きっと、理桜ちゃんは耐えられない。だから、僕からお別れをしたんだよ』
秋希が言っていた、儚さや弱さ、そして強さ。聞いたときは矛盾していると思っていたが、理桜の姿を実際に見て、一颯は理解した。
「秋希は……いつから、病気だったんですか?」
振り向いて一颯に話しかけるが、理桜は秋希の傍を離れようとしない。
「高校時代に罹った病気が、年が明けたくらいに再発したんです。体調を崩したのは、それより前……秋ぐらいって言ってたかな。ただ、今回は治る見込みがなかったようで……」
一颯はその先を言えなかった。
理桜の視線は、また秋希に移る。
「そんなに前から一人で闘ってたなんて……言ってよ……」
理桜の悔しそうな声を聞いて、一颯は知らないとはいえ、あんなことを言ってしまったことを後悔する。
きっと理桜は、秋希の病気のことを知っていたら、毎日でも病室に来たんじゃないか。
まだ顔を合わせて数分しか経っていないのに、そう感じた。
それと同時に、このままでは、理桜が秋希に囚われてしまうような気がした。
「……秋希は、貴方に、自分のことは思い出にしてほしい、なんなら、忘れて他の人と幸せになってほしいと」
「忘れませんよ、秋希のことは」
理桜の力強い声が遮った。
「本当は、忘れようと思っていました。私の想いが、いつか秋希の邪魔になる気がしていたから。でもこれは、秋希が生きていたらの話です」
秋希の思いが無下にされた気分だった。
だけど、理桜の真剣で、寂しそうな横顔を見ると、なにも言えない。
「私は、これからも秋希がいない世界を生きていくんです。無理に秋希の願いを聞いて、心を殺しながら生きていくなんて、できません」
『理桜ちゃんは、一人で立つことができる強さのある女性だ』
それをひしひしと感じる佇まいだった。
理桜は今一度、秋希の頬に触れる。
変わらない現実に、視界が滲む。
「……秋希、メッセージありがとう。私だって、秋希に全部気持ちをあげたいけど、怒られそうだから、やめておく。少しだけ、これから出会うかもしれない誰かに残しておくよ」
理桜は一歩、後ろに下がった。
動画の秋希と同じく、涙を浮かべながら笑顔を作る。
「バイバイ、秋希。大好きだったよ」
そして安置室を出ていく理桜の背中を、一颯は見ていることしかできなかった。
一人残った一颯は、ゆっくりと秋希に近寄る。
止まってしまった、弟の時間。そうは感じさせない表情だが、触れれば嫌でも思い知らされる。
兄弟でも心が食いちぎられそうなのに、恋人だと、どれほど苦しかっただろう。半年、その温もりを感じていなかったとしても、あの様子だと、簡単に忘れられなかったことだろう。
それでも彼女は、ここで笑顔を見せた。
「……彼女、桜みたいな人だな」
『でしょ?』
一生聞こえるはずのない声に、嬉しそうに返された気がした。
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凍てつく寒さは和らぎ、すべての生命が生きやすい季節がやってきた。
理桜はベッドから降りて、カーテンを開ける。窓の向こうには、美しい水色が広がっている。さらに窓を開けると、爽やかな空気が流れ込んでくる。
深呼吸をしながら、身体を伸ばす。
それから、お気に入りのものを置いたスペースの前に移動した。
「おはよう、秋希。今日はお花見日和だよ。どこの桜を見に行こうか」
応える声はなくとも、理桜の笑顔は柔らかかった。