夢も未来も、苦痛も葛藤も、全てが一瞬にして散ってしまうということに気づいたのは僕自身の葬式をみた時だった。

『葉加瀬 音斗 告別式』

 丁寧に並べられた菊と百合、喪服に身を包み目の辺りを覆う人、僕の写真に向かって手を合わせる人。広い会館を埋めるように押し寄せる人の中に彼の姿だけが見当たらない。

「まさか音斗がこうなるとはな……」

「仕方ない、交通事故だったんだ……悔やんでも悔やみきれないよ」

「加害者側は飲酒状態で居眠り運転だったって……音斗が知ったらどう思うか……」

 瞬時に回る噂に、既に亡くなっているはずの胸が痛む。

「加害者側も亡くなってるなんて誰も責められないじゃん……こんなの卑怯だよ!」

 そう嘆き泣き崩れる女子生徒は生前の彼女。
入学式の日、彼女からの告白で僕達の交際は始まった。異性との関わりも薄かった僕が初めて彼女の手に触れた時、彼女の目が潤んだことを僕は鮮明に覚えている。
それから恋人らしいこともしてあげられないまま、次に彼女の目を潤ませたのが僕の死だなんて、最低な彼氏だと思う。恨まれても仕方がない僕のことを惜しんでくれた彼女には頭が上がらない。

「コンクール当日でお忙しい中駆けつけていただいて……申し訳ありません」

 頭を下げる母の前には生前所属していた吹奏楽部の顧問の姿があった。
厳格で妥協など一切許さない彼の指導には賛否両論の声があったけれど、僕は忖度なしに評価を下す彼の言葉が好きだった。

「何をおっしゃるんですか、星街高校の吹奏楽部にとって音斗の存在がどれだけ大きかったか……」

「え……」

「廃部寸前の吹奏楽部の存続を引き留めたのは他でもない彼なんですよ」

 そんな過去もあったと、今更ながらに思い出す。二年前、音の無い音楽室に足を運んだ僕は顧問に吹奏楽部の存続を嘆願した。
二週間で十六人の部員と、その倍にもなる存続の署名を集め校長室に掛け合ったことも今となってはいい思い出だ。
顧問の背後には啜り泣く部員の姿があったけれど、やはり彼の姿だけは見当たらない。

「あの先生……神代さんは……」

「詩季はまだ音斗の写真をみる勇気がないと会館の外に……」

 僕が探していたその人は、まだ僕の現状を受け入れられずにいるようだった。
もう気づかれない身体を使って彼の元へ行く、会場の外は冷たさの残る風とは対照に皮肉なほどの快晴に包まれていた。

「詩季……」

 届くはずもない声で彼の名前を呼ぶ、俯きながら滴を溢すその姿を直視することが怖かった。
震えた手には、隣でステージに立つはずだった『Sea of Remembeance』の楽譜が握りしめられている。

「音斗先輩、どうして……」

 酷く震えている肩を、今すぐにでも抱きしめたい。
前すら見えなくなっているその瞳が、彼が初めて僕に心を開いたあの瞬間と同じ光を取り戻すことを無責任に願っている。

「ごめんね、詩季」

 聞こえない声で、拭いきれない悲しみを償うことは罪深いことだろうか。
ただ今の僕には、彼に何ができるのかすらわからないでいる。

ー*ー*ー*ー*ー

 数ヶ月という時間が過ぎ去る実感もないまま、次の年の春になった。
この時間で僕は僕自身の死を実感し、彼は僕の死を受け入れた。どこか忘れたふりをしながら、新しい景色を見るために逞しく進んでいる。

「詩季先輩!」

 そう呼ぶ彼の後輩の声を今週に入ってからよく耳にするようになった。
俯いたまま辿々しい言葉を並べる一年前の彼とは違う、社交的で周囲に光を灯す大切で欠かせない存在。

「詩季、随分立派になったね」

 僕は今日も変わらず、届かない声を発し続ける。
応答はなく目線すら合わない、それを実感する度に生前の視線と声を名残惜しく、愛おしく思ってしまう。僕自身の死を一番悔やんでいるのはきっと、他でもない僕自身だと思う。

「詩季先輩!今年のコンクールって……」

「今年から制度が変わって課題曲じゃなくて自由曲が審査対象になったんだ」

 先輩らしい姿を誇らしく思ってしまう、そんな感情を抱く資格など僕にはないはずなのに。

「じゃあ今日の発表って……」

「僕達が選んだ曲を一年生に向けて発表するんだよ」

 ふたりのやりとりを一年前の僕達に重ね合わせてしまう、悲しみよりも寂しさよりも先に微笑みが溢れてきた。

「これが楽譜だよ、本番まで頑張ろうね」

「『Sea of Remembrance』で読み方あってますか……?」

「そう!正解、意味わかる?」

 聞こえた曲名に胸が締め付けられる、きっと生きていたら涙が溢れている。

「意味……教えていただいてもいいですか?」

「『追憶の海』っていう意味なんだ、故人を思って遺骨を海に撒く。その行為への心情の揺れ動きが繊細に描写されている曲なんだよ」

「壮大なテーマで理解が追いついていないですけど、素敵な曲だということはわかりました」

 久しくみていなかった切なく、寂しげな彼の瞳。
きっと今の彼の脳裏には僕の影がある、我儘だけれどそうであってほしい。

「どうして詩季先輩はこの曲に詳しいんですか?」

「……」

「先輩……?」

「僕の大切な人との最期の想い出の詰まった曲なんだよね」

目を背けてきたのも、忘れたふりをしていたのも本当は僕自身で、きっと彼はずっと僕という存在に向き合っていた。

「その方って……」

「準備室に立てかけられてる僕との写真に映るトランペット奏者の先輩だよ」

 ありがとう、詩季。
きっとこの言葉は僕の声で伝えなければいけない、伝えきれない感謝と謝罪を抱きしめ続けた数ヶ月間。
燃やしきれなかった魂で、僕は詩季に逢いに行く。