僕にとって『RINNE』として生きていられた時間は本当に幸せなものだった。
ずっとあのまま、何もないまま誰にも見つけられない部屋の中で惰性で息をし続けているだけの自分を想像すると今でもすごく怖い。
僕には活動の原点となる存在がいたことを最期にこの場を借りて書き遺しておきたい。
そんな僕のきっかけである彼は『転生』という名で声を武器に活動するアーティストだった。彼と出逢ったのは十五回目の夏。学校にもまともに通わず家族から軽蔑の視線を受けながらパソコンと向かい合わせの日々を送っていたあの頃、彼の存在は僕にとっての神様そのものだった。音楽という形でさえ『人』を感じることが怖かった僕が彼の声にだけは心を預けることができた。
それと同時に、そこに流れる視聴者からの言葉に心地よさを覚えた。それぞれが生きていて、何を発言しても咎められない平面上での空間がすごく温かった。
そんな彼の活動を生涯追いかけようと思った先に待っていた結末は絶望だった。
『転生』の名が世間に広まっていく度に流れていく言葉が量産されただけの陳腐な言葉で溢れていった。本質を考えようとしない囲いと反射的な批判が増え、次第に『転生』自身の活動が萎縮していった。
そして十八回目の夏のある朝を境に彼は一切姿を見せなくなった。
彼の突然の失踪はSNS上を震撼させた。ただそれでも変わらない気味の悪さや、不自然な統一感の溢れた言葉がなくなることはなかった。
彼の失踪は、すぐにマスコミの餌となった。失踪から半年、週刊誌に彼の顔写真の隠し撮りが掲載された瞬間。性別以外非公開だったからこその神聖な空間に泥を塗られたような感覚になった。
だから何かを変えようと、彼の失踪をきっかけに僕は活動を始めることを決意した。最初は何かが変わかもしれない予感に体が熱くなっていた。何度も彼と自分を対比し、誰かの神様になりたいと必死に足掻いていた。
足掻いた分、生きていることを実感させられる言葉を痛いほど浴びることができる。
ただ、今は失踪当時の彼の気持ちがよくわかるような気がする。『人』が『人』でなくなる瞬間。命を削った分、利用され捨てられていく感覚が痛いほどわかる。
 ただ最期に僕が『生』を感じる瞬間を味わえたことは、不幸中の幸いなのだと思う。僕の卑怯すぎるトラップに気づいてくれる存在に出逢えたことだけで僕が『RINNE』として生きたことが間違いではなかったと認められた瞬間なのかもしれない。
 そんな恩人に対して申し訳ない気持ちはあるけれど最期は最高の景色を目の前で見せてほしい。
きっと、それが僕の最期の望みだから。