眠りにつく前、目に飛び込んできた情報は目を疑うものだった。

 『RINNEの生命線を絶つ瞬間がきたみたいです』

新曲が投稿されて数時間。一瞬の出来事に気でも狂ったのだろうかと驚嘆する。とりあえず情報共有のツイートを急ぐ。

 『これってRINNE引退しちゃうの?』

すぐに反応の通知が鳴る。手間のかからないボタンひとつの反応から、長文の共感まで、今の話題の中心には確実に私がいる。『RINNE』のファンとしての呟きを不定期に繰り返しているうちに自分という存在を前へ出さなければ気が済まなくなっていった。そうでなければ満たされないようになってしまった。

 『めるてゃんが一番ショックだよね……大丈夫?』

『めるてゃん』というのは私のユーザーネーム。いかにもそれらしい名前に我ながらよく名付けたなと思っている。正直『RINNEのファン』としてSNSで息をしているけれど、本当に欲しているのは『RINNE』の存在ではなく、それを好んでいる私への賞賛だった。ファッションといったら不適切になるのかもしれないけれど、その表現が一番今の自分には適切な言葉のような気がする。どうしようもない承認欲求を抑制できなかった結果に自分ですら醜さを感じる。その醜さをいかに隠すかが今の私に必要な技。
現実にいたとしても、その欲は埋められるどころか抉られるだけだった。
小洒落た喫茶店へ行けば、隣に座っているインスタグラマーに記号の数で負けてしまう。以前メンズ地下アイドルを追いかけていた時も、ホストに貢いでいた時も、その界隈の統率をとっている子の財力に勝つことはできなかった。現実で娯楽を求めても勝者になれる世界線が私にはなかった。
そんな私にとって『RINNE』は都合が良かった。顔も性別も年齢も全てが非公開な存在を追いかけることは、誰も知らない幻想を追いかけることと同じ。正解がなく、間違いを指摘されることもない。ただ『好きだ』と確証のない言葉を強く主張した者が勝者になれる。ここは、私にとっての生きる場所。

 『RINNEがいない世界なんて生きていけないよ……める悲しい』

だからこの言葉はある意味本心なのかもしれない。その存在がなくなることは、私が息をできる場所がなくなること。あの生き苦しさに再び埋もれなければいけないということ。
『RINNE』が本当に存在を消したとなると、新しい情報がなくなる。過去の情報を持っていない私は手札がなくなったも同然。既存の曲の新たな考察を適当に偽装するか、作品と今回の事態をこじつけて数字を稼ぐか。

 「この曲好きだったな……」

曲を聴きながら無意識に感情が口から漏れた。私が初めて『RINNE』に触れた曲。ポップな曲調に乗った皮肉の効いた歌詞。牙を向いているだけのような曲の中に終わりのない孤独を感じてしまうような曲。この曲を生み出した人の曲を二度と聴けないと思うと少し感傷に浸ってしまう。
もっと純粋に曲を愛せば良かった、自分に酔いしれず素直に作品を受け取れば良かったと後悔が募る。

 『めるてゃんに速報!この男がRINNEを追い詰めたのかも!』

フォロワーからのメッセージに貼られたリンクの先にアクセスする。そこにある画像に衝撃を受けた。

 『これは新曲じゃない』

今まで見たことのない類のコメントだった。これをアンチと呼ぶか、意見と捉えるか難しいところではあるけれど、このリンクを送ってきたフォロワーは間違いなく前者と捉えたのだろう。これはすごい炎上沙汰になりそうだ。面倒なことになる前に気づかないふりをしようとした時、追い打ちをかけるように通知がなった。見たことのないアドレスに若干の疑いを持ったが、迷わずに通知を開く。

 『RINNEが消えた本当の理由はこれだよ。君はこの界隈を牛耳っているようだからリークしておくね』

メッセージに添えられたリンクを押すと何枚ものスクリーンショットが貼られていた。
それは『RINNE』と女性ファンの交際を示唆するような内容だった。中学生の恋愛を象徴するような純粋な言葉から、理解し難いディープな愛情表現までそこには記されていた。

 「なにこれ……信じられない」

衝撃的すぎる事実をうまく呑み込めず、画面を閉じた。