現実では満たされることのない行き場を失った承認欲求の掃き溜めで構築された地獄絵図こそが、僕達の生きる現代SNS。人気者になりすます者、秀でた作品を盗む者、意思もなく粗を探し叩く者、数えればキリのない醜さがそこにはあった。
かつて人々の心を掴み揺さぶった数々の光は、形骸化した文化の一部に片づけられ、その存在だけが独り歩きしている。綺麗な去り際を逃した泥まみれの概念の中で変わらずありふれた単語が羅列された。

 『〇〇の曲は人間が創ったとは思えないくらい全部神』
 『一体何曲この世に神曲を生み出すんだ……』
 『全てが神』

僕が追い求めていた神の概念はいつからこんなにも陳腐なものと化してしまったのだろう。
一昔前では非難されて所謂『オタク』と呼ばれる存在は、SNSの普及と共に世に強く根を張り、やがて煌びやかな集団となった。同時にメディアの餌となり、継承されるべきだった特有の秀でた語彙の数々や対象へ向けられる熱量が日を重ねるごとに薄れていっている気がする。ここまで来てしまうと、応援の対象である『推し』が好きなのか、それを追いかける『オタク』である自分が好きなのか愛の対象すらをも見失う現象が頻繁に見受けられる。
 SNSでの活動を始めて、気づけば既に十年以上が過ぎていた。時代と雰囲気の変化は痛い程感じている。『昔の方が好きだった』と無責任に嘆くつもりはないけれど、今のSNSに荒波を起こしたいという願望を拭いきれずに今日も曲を創り続ける。
生まれつき病弱だった僕にとって、曲を創ることは命を削ることだった。その削った命に心で応えてくれる画面越しの誰かを信じていた頃が懐かしい。賞賛だけでは語りきれないまとまりのない言葉。自我を強く感じる批判的な感想。その全てが生きていて画面越しに体温すら感じていた。
 あの生々しさが入り混じった世界を僕はもう一度体感したい。