翌日は学校を休んだ。睡眠負債のせいで頭痛がしていたし、雨に打たれたせいで身体も少し熱っぽかった。
 午前中は家で寝ていて、体力が回復した午後は、シャーペンの芯とノートがなくなっていることを思い出したので母の買い物についていきたいとお願いした。
 母は「買ってくるわよ」と言ってくれたけれど、シャーペンの芯にもノートにもこだわりがあったので自分で直接選ぶことにしたのだ。

 訪れたショッピングモールで、年始の一度だけ親戚の集まりで顔を合わせる女性に偶然会った。彼女は母の妹──つまりわたしの叔母にあたる存在で、遠方で暮らしているためなかなか顔を合わせる機会がない。


「どうしてこんなところにいるの? 連絡してくれればよかったじゃない」
「仕事の関係でたまたま戻ってきてたの。連絡してなかったなんて、あたしったらうっかりしてたわ」
「もう、昔からあなたはそうなんだから……」


 はきはきしている母とは対照的に、叔母さんは昔からおっとりしている。親戚の集まりでも、大人同士の話題に自ら参加するわけではなく、少し離れたところで控えめに笑っているのを何度も見た。

 楽しそうに会話をする二人を見ていると、ふと、叔母さんは母に向けていた視線をわたしに移した。おだやかな双眸がわたしをとらえる。


「瑠胡ちゃん、学校はどう? 楽しい?」


 その言葉が耳を通り抜けた瞬間、心臓がぎゅっと縮まる感覚がした。
 目を合わせるのがなんだか気まずくて、ゆるくパーマのかかった髪ばかりに視線が向いてしまう。
 脳内で、ゆっくりと質問を反芻した。


 学校は楽しいのか。
 

 学生に会った時、大人が必ず訊く典型的な質問。
 この質問には、あらかじめ模範回答がある。


 わたしは口の端をあげて、無理やり笑みのかたちをつくった。

「はい、楽しいです」

 すると叔母さんは「あらそう、頑張ってね」とにこやかに笑って、また母との世間話に花を咲かせる。わたしは少し離れた場所で、強く唇を噛んだ。

 もし、いいえと答えたならば、彼女はどんな反応をするだろうか。母は、どんな反応をするのだろうか。
 きっと、「楽しくない」なんて反応が返ってくるなど思わないだろうし、わたしがいくら暗い顔をしたって、親戚というつながりしかない彼女には関係ないことだ。おそらく困惑されるか、軽く流されて終わりだ。


 無理やり楽しい素振りをするだけで、精神が削られていく。
 わたしはいつまで、こうして嘘を吐き続けるのだろう。


 母と叔母さんを見やると、まだ話は続きそうだった。そっと二人のもとを離れて、文具コーナーに行く。


 昔から、文具コーナーを眺めるのが好きだった。買うわけでもないのに、並んでいる製品を見ているだけで満たされた気分になる。それぞれの製品に工夫がなされていて、たくさんの人の努力を概念的に感じられるからかもしれない。


 中学の時からずっと使い続けているシャー芯を手に取る。『ずっと手綺麗、文字綺麗』のキャッチコピー通り、書いている途中に手でこすれても、紙や手が汚れない仕組みになっている。
 文字を書くたびに汚れた手を洗う手間が省けるので、長年の愛用品だ。


 シャー芯を選んだあと、ノートコーナーで五冊セットのノートを選び、その他に何か足りないものはないか考える。もともと物をあまり多く持ち運ばないタイプなので、しばらく考えてみたけれど特に不足している物はなかった。


 母たちの会話は終わった頃だろうか。
 もし終わっていなかったら、わたしはその間何をして時間を潰せばいいのだろう。


 ぐるぐると行き場のない気持ちが胸に広がって染みを作っていく。
 


 わたしの生活は、わたし中心で回ってはいない。わたしは家族の生活リズムに合わせて生活しているし、学校では緋夏たちに同調して過ごしていた。

 母の世間話が長いからと言ってわたしだけ早めに帰ることはできないし、少なくとも今は母中心の生活にわたしが合わせなければいけない。


 自分で自分の行動を決めるのは、わたしにとってとても難しいことだ。

 人に言われたとおりに動いて、上手くいくように努めて、予定通りいかなければ自分のせいではないと責任転嫁をする。

 わたしは今までもこれからもずっと、そうやって弱くずるく生きていくしかないのだ。



 ふと、シャーペンを眺めていると、委員会の日に先輩が握っていたシャーペンを見つけた。無意識のうちに近寄って手に取っていた。

 ぶわっと先輩の顔が浮かんで、泣きそうになる。
 昨日、先輩は駅に現れなかった。

 長いトンネルの中に潜ってしまったように、先が見えない。
 この先に、出口があるのかどうかすら分からない。




「……先輩」


 先輩とまた会える日が来るのか。

 その答えはまだ分かりそうになかった。