「お父さん、お母さん。話があるの」

 リビングには、仕事帰りの両親がいた。疲れきった表情で、ソファや椅子に座っている。わたしが声をかけると同時に、どこか焦点を定めていない瞳が動き、わたしを捉えた。

「……わたしね、将来の夢が決まったんだ」

 無表情のままたたずんでいる二人。聞いているのか聞いていないのか分からないけれど、わたしは息を吸ってその先を続けた。

「その夢を叶えるための勉強はこれから自分でやっていくつもり。頑張って叶えられるように、しっかりやるべきことを果たそうって思う」

 興味すらなくなってしまったのだろうか。
 以前のわたしなら、両親がこんな状態になってしまったら泣き叫んで謝っていただろう。従うからどうか見捨てないでくれと喚いていたに違いない。

 けれど今のわたしは、自分でも信じられないくらいひどく冷静だった。自分の伝えたいことを言うことができれば、相手の反応なんてどうでもいいと思えるようになっていた。

(だって昔は、きっと期待してたから)

 良い点をとって帰れば「すごいね」「頑張ったね」と褒めてもらえると思っていた。だけど実際はできない部分だけを見られて、「できるところ」にはいっさい目を向けてくれなかった。
 わたしはずっと両親に【できる子】だと思われたかった。うちの子はすごいのだと、誇ってほしかったのだ。

「わたしはこの先やりたいことをやって、学んで、楽しみながら生きていく。自分の人生は自分で決めるから」
「……」
「お母さん」

 呼ぶと、お母さんが顔を上げてわたしを見つめる。光を失ったような目だ。けれど前みたいに失望の色に染まっているわけではない。

「お母さんがわたしのためを思ってくれてるのは分かってる。だからできるだけお母さんのために頑張りたいって思った」

 限界を超えてでも。ぼろぼろに傷ついたとしても。
 それでもお母さんのためなら、頑張ろうって自分を奮い立たせていた。

「だけど、頑張りすぎなくてもいいんだって、大切な人が教えてくれた。だからわたし……」
「ごめんね」

 ふいに耳に届いた声に、思わず口を閉じる。それは長年聞いていなかった、本来のお母さんの声だった。柔らかくて、弱々しくて、どこか儚いような響き。この独特な空気の震わせ方が、わたしは昔から好きだった。

「お母さん、あれから色々と考えたの。そしたら、やりすぎだったことに気がついたわ。たしかに瑠胡の人生は瑠胡のものだもの。お母さんが決めるものじゃないのよね」
「お母さん……」
「これからは好きに生きてちょうだい。さっき教えてくれた夢が叶うように、お父さんもお母さんも全力でサポートするから」

 お母さんの言葉に、お父さんが立ち上がってわたしの方へと近寄ってくる。久しぶりに対面したお父さんの顔は、なんだか見慣れなくて妙な感覚がした。

「……ずいぶん明るい顔をしているな」
「え?」
「お父さんもお母さんも、お前の笑顔が好きなんだよ。将来の瑠胡がずっと笑っていられるように、幸せになれるようにって詰め込みすぎてしまったんだ。辿る道は本人が決めるべきなのに。悪かった」

 ときどき、夜遅くまで喧嘩や言い合いが続いていたことをわたしは知っている。会話の中に『瑠胡』という単語が出ていたことも。

「ありがとう、お父さんお母さん。これからも、よろしくね」

 両親が微笑む。久しぶりに見た、とても優しい表情で。
 もう無理だと諦めていたことも、気持ちを伝えるだけで案外壁はすぐに壊れる。分かりあうことができる。
 すべてを抑え込んで卑屈になっているだけでは見えない世界が山ほどあるのだと。抱え込むことが解決につながるわけではないのだと。


 この春、出会った彼がわたしに教えてくれた。