高朧(こうろう)国は、かつて四つの国に分かれていたという。繰り返す長い戦の果てに大国となり、当時の頂点に君臨した瑚家の者は、多くの恨みや憎しみを向けられることとなった。それらは呪怨となって皇帝の体や精神を蝕み、結局彼は帝位について間もなく崩御する。

 状況を重く見た瑚家は、優秀な術士たちを集め自分たちに送られる負の感情や呪いから身を守るよう命じた。

 彼らは加術士《かじゅつし》と呼ばれ、それぞれの四神獣の加護の元、帝都の東西南北に拠点を置き、高い地位と生活の保証を約束され今日に至る。そのうちのひとつ、汪青家がなくなり十年が経とうとしていた。

 時の皇帝は、瑚秦鳶(しんえん)。ここ数年、床に臥せることが多く、御代替わり囁かれている。瑚秦鳶には五人の皇子がおり、正妃との間に生まれた第一皇子の名は煌揚(こうよう)。あとは即妃との間に生まれた乾廉(けんれん)姜亥(きょうがい)と続く。すべて母親が違い、性格も異なった。

 こうして瑚家の血が脈々と受け継がれていくのは、後宮――華楼(かろう)宮の存在があるのにほかならない。後宮佳麗三千人の言葉通り国中の権力者の娘たちをはじめ、歌や舞の才がある者、美人と評される者、和平のため差し出された異国の娘など、仕える女官を含め、多くの女性たちがひしめく女の園だ。

 そこでの立ち振る舞いや身の振り方、いかにして皇帝からの寵愛を受けるかによって立場は変わる。

 年齢と病状から現皇帝は華楼宮にほぼ通えていない。皇帝のためだけに用意されている華楼宮の最奥にある天平(てんぴょう)殿以外を、皇子たちのために明け渡している状態となっている。瑚家の血を絶やすわけにはいかない。

 そうなると御代替わりに先立ち、どの皇子に愛されるのかが彼女たちの命運を分ける。

 その名の通り桜の花が咲き誇り、皇宮に春の訪れを告げる季節。華楼宮には何人もの新しい側妃の輿入れがあり喧騒に包まれていた。

 一方で皇帝の居所、大極(だいごく)殿から少し離れた皇子たちの住まい、第二皇子の住まう白雉(びゃくち)殿では、を前に厳粛な雰囲気の中で跪いてこうべを垂れている者がいた。

(おもて)を上げろ」

 凛とした空気を裂くような声を受け、ゆっくりと頭を上げる。

 現れたのは、深い夜を思わせる双眸だ。口元を布で覆い、表情はよく見えないが、揺れない瞳がしっかりと皇子を捉えた。加術士の正装となる黒い狩衣《かりぎぬ》は目を引き、袖括《そでくく》りの紐と指貫《さしぬき》は白だ。まるで異国の装束を彷彿とさせる。

 意志の強そうな面差しに引き換え、体格は華奢で線の細さが際立つ。今から見せられるのが舞だと言われても、誰も疑わないだろう。

 瑚家と加術士の関わりは国の誕生まで遡る。どこまで本当かはわからないが、瑚家に注がれる呪怨から身を守るため、皇族の位の高い者は専従の加術士をつけるのが習わしだった。そして今日、新たに第二皇子専従の加術士として遣わされた者との対面が行われている。

 第二皇子が不躾に視線を送るが、相手は瞬きひとつせずこちらを見つめている。表情はもちろん感情の欠片さえ読み取れない。 

「太白の者と聞いた」

 差袴《さしこ》の色でわかりきってはいるが、あえて水を向けてやる。

「はい。このたび第二皇子、乾廉さまの加術士を拝命いたしました。歓咏(かんえい)と申します」

 淀みない音はよく通った。声変わり前の少年のような声は見た目通りと言うべきか。乾廉は苦々しく思いながら、それを顔には出さずに続ける。

「そなたはとても優秀な加術士だと聞いた。その命を主である私に捧げる覚悟で身を粉にし尽くすように」

 決まりきった文言。歓咏の前に仕えていた加術士にも同じように伝えた。その前もだ。乾廉本人がどう思っていても立場上そう告げるしかない。

「御意」

 その答えも聞き飽きた。これ以上、新しい加術士と話すこともない。必要以上に関わるつもりも。上座から見下ろしていた乾廉は静かに席を立つ。

 ちらりと歓咏を視界に映し、あとは任せる旨を側近である慶雲(けいうん)に告げ、乾廉は奥へと戻っていった。

 乾廉のうしろ姿が見えなくなるまで見つめ続け、歓咏は燻り続けていた気持ちがやっと赤い炎を吹き始めたのだと実感する。真っ黒な消し炭は今か今かと火がつくのを待っていた。

 太白歓咏――その正体は、十年前に皇帝の命によって族滅させられた四大加術家のひとつ、汪青家の生き残りの少女、汪青春咏だった。