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 また様子を見に来るという言葉の通り、燦人は次の日もその次の日も香夜の部屋を訪ねてきた。
「あの、燦人さま。こう毎日様子を見に来ずともちゃんと準備も進めておりますから……」
 香夜は何故自分が選ばれたのだろうという疑問を解消出来ずにいながらも、養母の言う通り嫁入りのための準備を進めていた。
「そういう心配をして来ているわけではないよ? 貴女に会いたいから来ているんだ」
「あのっ、ですからそういうことを言われると……私、どうしていいか分からなく……」
 燦人の甘く優しい様子は最早いつものことで、それに香夜が戸惑い気恥ずかしい思いをするのもいつものこととなっている。
 いつも熱がぶり返してしまったのではないかと思うほどに顔が熱くなり、その熱のせいで赤くなった顔を見られたくなくて俯くと、そっと燦人の指が頬を掠める。
 くすぐったくてつい顔を上げると、溶けてしまいそうなほどに甘い微笑みがあった。
「ああ、本当に可愛いな」
 思わず零れ出たというような言葉に、香夜はまともに息も出来ぬほどになる。
(こっ、この方は私の息の根を止めるおつもりなのかしら?)
 ずっと求めていたという言葉の通り、燦人は自分を必要としてくれているのだろう。
 燦人の砂糖と蜂蜜を混ぜたかのような甘さに、たった数日でもそれが理解出来た。
 だが、だからこそ謎は深まる。
 一体自分の何が良くてそこまで求めてくれるのか。
 これ以上絆されてしまう前に、その辺りをはっきりさせようと思った。
「あっ、あのっ! その……やはり疑問なのです。一体私のどこが良くて選んでくださったのか……。美しいわけでもないし、力だってないですし……」
「ずっと求めていたと言っただろう? それに、貴女に力はあるよ」
「え?」
 前半の言葉は予測出来たもの。だが、後半は予測どころか思ってもいないことだった。
「今は閉ざしてしまっている様子だけれど、貴女には力がある。八年前に感じた力ある気配は、確かに貴女のものだ」
「え? え?」
 理解出来ず戸惑う香夜に、燦人はゆっくり八年前のことを話してくれる。
 遠くても感じた気配。燦人と当主しか感じ取れなかったが、確かに力があったという話。
 一通り聞いて、それでも信じられないでいる香夜に燦人は重ねるように言葉を加えた。
「先程も言ったが、今は閉ざしているだけだ。開いて力が扱えるように私も手助けするから、どうか否定しないでくれ」
 手を取り、優しく微笑まれる。
 自分の手を包む燦人の手は温かく、香夜の心を少しずつ溶かしていった。
 嘘を言っているとは思えない。例え嘘だったとしても、そんなことをして燦人に利があるとも思えない。
 だが、それを信じるとなると……。
「でも、それが本当だとしたら……私はやはり両親を見捨てた穢れた娘ということに……っ」
 ずっと否定し続け、でも心のどこかでその通りかもしれないと思っていた事実。
 母が、自分だけは助けようと結界を張ってくれたのだと思った。
 だが、母の力は子供だった自分の全身ですら守れるほどのものではなく、香夜に傷一つないなどということはあり得なかったのだ。
 だからその点がずっと疑問だった。
 それが、燦人の話を真実とすると辻褄が合う。聞くところによると、おそらく時期も同じ頃だ。
「私は、両親を守ろうともせず……自分だけっ……!」
 言葉が詰まり、涙が溢れる。
 どんなに理不尽な目に遭おうとも耐えてきた涙。両親のことを言われても、グッと耐えてきたはずだったのに。
「香夜……すまない、失礼するよ」
 いたわし気な声で名を呼び、燦人はそう断りを入れると香夜を自分の胸に引き寄せた。
「っ⁉」
「自分を責めるな。十という(よわい)で力を制御出来る者はいない。その頃の貴女には、自分を守るのが精一杯だったというだけだよ」
 宥める様に背中を軽く叩きながら、燦人は優しく語り掛ける。
 その優しさが、溶け始めている心にするりと入り込んできた。
「うっ……ひっく、ああぁ……」
 優しさに甘えては駄目だ。
 そう思うのに、涙は止まってくれなくて……。
 これ以上心を許しては、後で傷つくことになるかもしれない。
 そう思うのに、燦人の優しさに縋ってしまう。
 これはもう手遅れなのかもしれない。
 心に作った壁はまるで役に立たず、燦人という存在を受け入れてしまっている。
 信じても良いのだろうかという迷いすらも、彼は甘い囁きと微笑みで溶かしてしまう。
 いずれ傷つくようなことになったとしても、後はもう自業自得なのだと……。
 そんな覚悟をするべきなのかもしれないと、香夜は泣きながら思ったのだった。