「ほう……。今、流行りの古民家カフェってやつか……。女が喜びそうだな」
「……お客様?」

 背後から美聖が問いかけると、勢いよく振り返った男は口元を歪めて、尊大な態度で言い放った。

「あっ、俺……。降沢って人に、絵を描いて欲しいんだけど」
「…………はっ?」

 その一言に、美聖は硬直し、トウコは慌てて厨房から飛び出してきた。
 奥の座席にいる降沢だけが素知らぬふりを貫いていた。

 店全体が居心地の悪い、森閑に支配された。


「……絵……ですか?」

 美聖はどうして良いか分からず、降沢の方を見ようとして、我慢した。
 大体、降沢本人が出張って来ないのだ。
 あそこに画家本人がいますと、教えて良いものなのか分からなくなっていた。

「確かに、ここは降沢のアトリエではありますが、あくまで喫茶店です。そういったご依頼は、事務所を通してお願い致します」

 にっこりと笑顔を作りつつ、揺るぎない口調で、トウコが美聖の前に出てきた。
 やはり、降沢がここにいることは、言わない方が良いらしい。

「ふーん。門前払いってわけか? 俺、知っているんだぜ。降沢はここで絵のモデルを探してるって……」
「なっ!?」

 驚愕したのは、美聖の方だった。

(そんなこと、知らないわよ)

 一度もそんな話を聞いたことがない。
 降沢在季の名前で、ググってみたことはあるが、幾つかのコンクールに過去入選経験があることと、作品数が少ないという情報のみだった。

(いつも、やる気なさそうに、フラフラしていたのは、そういうわけだったのか………………なんて)

 ……いきなり、信じられるはずもない。

「あら、嫌だ。私、貴方のことテレビで見たことがあるわ」

 そんな美聖のパニックぶりを知ってか、知らずか、トウコがさりげなく、男性に注目を戻してきた。

「確か……貴方、バンドのボーカルの最上もがみ……」
「えええっ!?」
「美聖ちゃん?」

 そこにまた大仰に反応した美聖に、トウコの方がぎょっとした。

「嘘でしょ? トウコさん!?」

 皆まで聞かなくても、その名前は知っている。

(まさか……。だって、有り得ないわ!)

 顔を真っ赤にして、興奮する美聖に、観念したのか、男性は溜息を吐き捨てた。

最上(もがみ) (はじめ)……だよ」
「うわっ! まさか本物!?」
「化物でも見たように、騒ぐなよ。ミーハー」

 口はとてつもなく、悪い。
 けれど、美聖は生まれて初めて、芸能人を間近で見たのだ。黄色い声をあげたくもなるだろう。
 しかも、こんなに間近で……だ。

(顔、小さい……)

 テレビで見るより、一層小さく、整った目鼻立ちをしていた。
 最上 初にファンではないくせして、美聖はドキドキしてしまった。

「最上初さん……! こんなところでお会いできるなんて、とても嬉しいです」
「本当か? その割に、さっきはおもいっきり、胡散臭い顔で睨んでなかったか?」
「とんでもない! ちょっと、このお店の客層と違ったイメージだったので、びっくりしただけで……。まさか、ウィザードのボーカルが山奥のこんなところまでいらっしゃるなんて……」
「ウィザード?」

 降沢があからさまに、分からないといった面持ちで、奥の席で首を傾げている。
 美聖はぽつりと呟かれた言葉を聞き逃さずに、彼の隣に行って、小声で降沢の耳元に答えを吹き込んだ。

「バンドの名前ですよ。ウィザード。今、若い子に絶大な人気なんですよ」
「ふーん。そうなんですか」

 降沢は、本当に知らないようだった。
 北鎌倉とて、電気は通っているだろうに、テレビを見ないのだろうか……。

(この人、仙人か何か?)

 美聖も馬鹿だった。
 最初に、気づいておけば良かったのだ。
 腕の赤いバラはロックバンド『ウィザード』のトレードマークである。
 売れているどころの騒ぎではない。
『ウィザード』は、音楽不況と言われている中で、珍しいミリオンを達成できるくらい人気のあるバンドなのだ。

(どうして、ここに一人で来たわけ?)

 有名人がお忍びで一人で来るほど『アルカナ』は、有名な場所でもない。
 とりあえず、サインをもらったほうが良いのではないかと、またしても、ミーハー心に火がついたものの、しかし、最上の不機嫌そうな仏頂面を目の当たりにして、すぐに気持ちは萎えてしまった。
 最上は手前の椅子を引っ張って勝手に座ると足を組んで、テーブルに肘をついている。

「あー、だからさ、あんたたちじゃ話にならないんだよ。降沢先生、呼んできてくれない? 金は積むから、もっと売れるように、俺を描いて欲しいんだわ。まさか、そこのオカマのおっさんが降沢っていうわけでもないだろう?」
「トウコさん?」

 美聖は狼狽しながら、黙り込んで最上と対峙しているトウコを見上げた。
 彼は、何かを思案しているらしい。

 ……が、短気な最上は、机をばんと叩いた。