「…………有難うございます。一ノ清さん」
「えっ? 私ですか。お礼を言われるほど、何もしていませんが?」
「僕は、君のおかげだと思います」
「…………そう……なんですか。何だか、分かりませんが、お役に立てたのなら、嬉しいです」

 一体、どういう意味なのだろう。
 それは、期待しても良いフレーズなのか。

(トウコさんの言う通り、降沢さんって、期待すると落とされるタイプだから、あまり喜ばないでおこう)

 それでも、彼の真意が知りたくて、じっと目を凝らせば、さっと目を逸らされた。
 軽くショックだが、仕方ない。

「何だか、僕が来た頃と、ほとんどお店が変わってしまった気がしますよ。一ノ清さん」
「お店が一段と増えましたね。私は、結構頻繁に鎌倉には来ている方ですけど、それでもたった数カ月で随分と変わった感じがします。飲食店もそうだし、パワーストーンの店も増えましたね。あそこもあそこも、石のお店ですね」

 物珍しさに、美聖はすぐ近くの天然石の店先に走った。
 そこは日陰となっていて、涼しかった。
 色とりどりの石が、すでにブレスレットの状態となって、店先で売られている。

「気持ちいい! 生き返るようです」

 自動扉が開くと、冷房の風がどっと外に流れだす。
 美聖がそれを掬うようにして、自分に向けて扇いでいると、降沢が美聖を店の中に誘った。

「一ノ清さん、ちょっと、ここで涼んでいきましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「君、興味があるんでしょう。こういうの?」
「……あっ」

 そういうところだけは、変に鋭い。

「はい、好きですね。自分の誕生石は何かなってくらいは、興味があります」
「そういえば、浩介は、時々、茶色の石をしていますね」

 料理担当のトウコは、料理中気になるからと言って、装飾品を一切身に着けないのだが、鑑定の時、たまに持参したブレスレットをはめている時がある。

「トウコさんは、虎目石(タイガーズアイ)と水晶のブレスレットですね」
「分かるんですか?」
「虎目石は、仕事運向上ってよく聞きますから……」
「へえ……」
「ほら、これですよ」

 豊富な種類の石が色別にショーケースの中に飾ってあったので、虎目石の場所もすぐに分かった。

(それにしても、混んでるな……)

 最近オープンしたらしい、天然石の店は、若い女性客でおおいに賑わっていた。
 外観からは狭いイメージがあったが、店内に入ると、奥行きがあってゆったりとしていた。女性が好きそうなヨーロピアンテイストの凝った内装に、天然石のペンダントや、指輪が並んでいる。もちろん、石一つから購入することのできるコーナーも設けられていた。
 こういう可愛らしい場所に、降沢と二人でいるなんて……信じられない。
 もう二度とこんな機会は、ないのかもしれない。

「それで、一ノ清さんの誕生石は何なのですか?」
「ああ、私は五月生まれなので、エメラルドですね」
「えっ、五月?」

 今更なリアクションで降沢が仰け反った。

「……それじゃあ、もう終わってしまってるじゃないですか?」
「ええ。今年もつつがなく……歳を取ってしまいました」
「一ノ清さんの誕生日を、浩介は知っていたんですよね?」
「はい、履歴書を見たせいだと思いますけど、トウコさんには、何でか誕生日プレゼントまでもらってしまって。だから、今回はちゃんとお返しと感謝をこめて贈り物をしたかったんです」 
「ふーん」

 そのあからさまに機嫌の悪そうな物言いに、以前の美聖だったら、それとなく距離を取りたくなっていただろう。
 でも、もう……さすがに慣れてしまっている。
 彼は、単純に自分だけ知らなかったことが気に入らないだけなのだ。

(困った中年よね。まったく……)

 美聖は一つから購入できる天然石のコーナーで立ち止まると、その中で一つ水晶を手に取った。クリスタルの澄みきった怜悧な雰囲気は、降沢の凛とした姿を彷彿とさせる。

(これを買ったら、降沢さんの気持ちも紛れるかしら?)

 かえって、悪くなったら、目も当てられないが、石に罪はないと言い聞かせてみるのも手だ。
 いらないのなら、美聖が返してもらえばいいのだ。
 そんなふうに、安易な気持ちで、美聖はそれをレジに持って行った。