◆◆◆
――ヒグラシが鳴いていた。
北鎌倉は夏であっても、少し日没が早いように感じる。
山の中にひっそりと佇む『アルカナ』は尚のことだ。
午後二時を過ぎた途端、徐々に翳りはじめた日差しを確認しながら、美聖は閉店準備のことを考える毎日を送っていた。
だいぶこのアルバイトに慣れたとはいえ、急な鑑定が入ってしまうと、片づけが雑になってしまっているような気がして、最近一人で反省していたところだった。
美聖の至らないところを笑いながら、一人でカバーしてくれているトウコに申し訳ない。
(トウコさんに、なんかお礼がしたいんだけどな……)
丁度、お中元の季節だ。
日頃の感謝を、ここぞとばかりに形で渡したいところだが、唐突にプレゼントをするのも、恐縮されてしまうように思えて、気が引けていた。
それに、トウコに贈り物をするのなら、降沢にも何かしなければいけないだろう。
(困ったな……)
トウコには気軽にプレゼントも渡せそうだが、降沢に渡すとなると、格段に難易度が高まる。
美聖には無理だ。
(……と、いけない。いけない)
がらがらと引き戸が開く音が響いた。
その合図に合わせて、美聖は早足で店の入口まで出て行った。
本日、ぴったり二十人目のお客様だ。
「いらっしゃいませ!」
そのお客様は、満面の笑みで応対した美聖とは正反対の仏頂面をしていた。
腕組みをして、店先に佇んでいる長身の女性。
四方八方、隅々を舐めるように、鋭く観察していたお客様は『アルカナ』には珍しい一人客のようだった。
胸元の開いた黒いシャツに、体にフィットした膝丈の花柄スカートをはいている。肩掛けの小さなポシェットは、ブランド品だ。女性の持っている手提げ袋の店名も、セレブ御用達の都内の洋菓子店のものだろう。美聖はテレビでその店の放送を見たことがあった。
とても、ハイキングの途中で、迷い込んだというふうには見えない。
わざわざ、この店を目指して来たようだった。
そして、そういうお客さんの九割方が『占い』目当ての人だった。
「あの……どうかされましたか?」
多分、占いをご所望なのだろうが、そうだと言ってくれないと、美聖も対応できない。
むっつりと押し黙られていても、困るだけだ。
しかし、美聖が問いかけても、微笑みかけても、彼女はうんともすんとも応えてくれず、無表情のままだ。
その割に、鋭い双眸が美聖に向かって、値踏みするように細められているので、怖くて仕方なかった。
(ひーっ、なんで初対面なのに、怒ってるの?)
美聖は内心、肝を冷やしながら、必死に仕事をこなそうとしていた。
「あっ、今日は、お一人様ですか?」
「………………」
それからしばらく、女性は黙っていたものの、やがて美聖以外の人間が来ないことを悟ったらしい、億劫そうに口を開いた。
「ええ。私、一人……よ。ここにトウコっていう占い師がいるって聞いたんだけど?」
「ああ、トウコさんですね」
そういうことか……。
トウコ目当てだったから、美聖にはあまり興味がなかったらしい。
(……て、いや……だったら、そう言ってくれてもいいよね?)
……などと、心の中でいろんな愚痴を零しながら、美聖は笑顔の仮面を装着し直した。
「トウコさんは、接客中で今すぐの鑑定は難しいのですが、お待ちになりますか?」
トウコは美聖より遥かに忙しいのだ。
軽食だって作るし、デザートも担当している。
今は丁度、軽食のお客さんと、ケーキセットのお客さんが重なる時間なので、店内にそれほど客がいない状態であっても、トウコだけはてんてこまいなのだ。
美聖もデザート作りくらい手伝いたいと申し出ているのだが、トウコ曰く、占いを勉強しろということなので、彼の言葉に甘えてしまっていた。
そういうことで、基本的に現在『アルカナ』の占い担当は、美聖なのだが、トウコ指名というのなら、取り次ぎをしないわけにもいかなかった。
「じゃあ、どのくらい、かかるの?」
自分の時計を見下ろして、苛々しながら尋ねてきた。
美聖も自分の時計を見下ろす。
丁度、二時ぴったりだった。
ランチタイムが二時三十分までなので、それ以降ならトウコも多少融通は利くだろう。
以前も、そのように案内したことがあったし、基本的にトウコは、鑑定までに待ち時間を設けるタイプなのだ。
「あと三十分ほどですね」
「三十分!?」
女性は、感情そのままに舌打ちをした。
――ヒグラシが鳴いていた。
北鎌倉は夏であっても、少し日没が早いように感じる。
山の中にひっそりと佇む『アルカナ』は尚のことだ。
午後二時を過ぎた途端、徐々に翳りはじめた日差しを確認しながら、美聖は閉店準備のことを考える毎日を送っていた。
だいぶこのアルバイトに慣れたとはいえ、急な鑑定が入ってしまうと、片づけが雑になってしまっているような気がして、最近一人で反省していたところだった。
美聖の至らないところを笑いながら、一人でカバーしてくれているトウコに申し訳ない。
(トウコさんに、なんかお礼がしたいんだけどな……)
丁度、お中元の季節だ。
日頃の感謝を、ここぞとばかりに形で渡したいところだが、唐突にプレゼントをするのも、恐縮されてしまうように思えて、気が引けていた。
それに、トウコに贈り物をするのなら、降沢にも何かしなければいけないだろう。
(困ったな……)
トウコには気軽にプレゼントも渡せそうだが、降沢に渡すとなると、格段に難易度が高まる。
美聖には無理だ。
(……と、いけない。いけない)
がらがらと引き戸が開く音が響いた。
その合図に合わせて、美聖は早足で店の入口まで出て行った。
本日、ぴったり二十人目のお客様だ。
「いらっしゃいませ!」
そのお客様は、満面の笑みで応対した美聖とは正反対の仏頂面をしていた。
腕組みをして、店先に佇んでいる長身の女性。
四方八方、隅々を舐めるように、鋭く観察していたお客様は『アルカナ』には珍しい一人客のようだった。
胸元の開いた黒いシャツに、体にフィットした膝丈の花柄スカートをはいている。肩掛けの小さなポシェットは、ブランド品だ。女性の持っている手提げ袋の店名も、セレブ御用達の都内の洋菓子店のものだろう。美聖はテレビでその店の放送を見たことがあった。
とても、ハイキングの途中で、迷い込んだというふうには見えない。
わざわざ、この店を目指して来たようだった。
そして、そういうお客さんの九割方が『占い』目当ての人だった。
「あの……どうかされましたか?」
多分、占いをご所望なのだろうが、そうだと言ってくれないと、美聖も対応できない。
むっつりと押し黙られていても、困るだけだ。
しかし、美聖が問いかけても、微笑みかけても、彼女はうんともすんとも応えてくれず、無表情のままだ。
その割に、鋭い双眸が美聖に向かって、値踏みするように細められているので、怖くて仕方なかった。
(ひーっ、なんで初対面なのに、怒ってるの?)
美聖は内心、肝を冷やしながら、必死に仕事をこなそうとしていた。
「あっ、今日は、お一人様ですか?」
「………………」
それからしばらく、女性は黙っていたものの、やがて美聖以外の人間が来ないことを悟ったらしい、億劫そうに口を開いた。
「ええ。私、一人……よ。ここにトウコっていう占い師がいるって聞いたんだけど?」
「ああ、トウコさんですね」
そういうことか……。
トウコ目当てだったから、美聖にはあまり興味がなかったらしい。
(……て、いや……だったら、そう言ってくれてもいいよね?)
……などと、心の中でいろんな愚痴を零しながら、美聖は笑顔の仮面を装着し直した。
「トウコさんは、接客中で今すぐの鑑定は難しいのですが、お待ちになりますか?」
トウコは美聖より遥かに忙しいのだ。
軽食だって作るし、デザートも担当している。
今は丁度、軽食のお客さんと、ケーキセットのお客さんが重なる時間なので、店内にそれほど客がいない状態であっても、トウコだけはてんてこまいなのだ。
美聖もデザート作りくらい手伝いたいと申し出ているのだが、トウコ曰く、占いを勉強しろということなので、彼の言葉に甘えてしまっていた。
そういうことで、基本的に現在『アルカナ』の占い担当は、美聖なのだが、トウコ指名というのなら、取り次ぎをしないわけにもいかなかった。
「じゃあ、どのくらい、かかるの?」
自分の時計を見下ろして、苛々しながら尋ねてきた。
美聖も自分の時計を見下ろす。
丁度、二時ぴったりだった。
ランチタイムが二時三十分までなので、それ以降ならトウコも多少融通は利くだろう。
以前も、そのように案内したことがあったし、基本的にトウコは、鑑定までに待ち時間を設けるタイプなのだ。
「あと三十分ほどですね」
「三十分!?」
女性は、感情そのままに舌打ちをした。