「なんか、彼……。ずっと通学のバスが一緒だったらしくて、私のことを気にかけてくれていたみたいなんですよね。結構好みのタイプだし、優しそうだし、好きになれそうなんです。今日は時間ないから無理だけど、今度、美聖先生に占ってもらおうかな。彼のこと」
「うん……。まあ、それはいいけど。えーっと……」

 若い子の考え方は謎だ。
 歳を取ったと実感はしたくないけれど、十代の感覚が美聖には読み取れないのも事実だ。
 彼女と同じ年の頃、美聖は響子ほど成長していなかった。

(……そう簡単に、誰かと付き合えるのかしら?)

 特に、真面目で一途っぽい響子が寂しいからとか、ただの当てつけで次の男性に目移りするはずがない。
 その点は、占い師として、見抜いていたはずだ。
 いきなりの展開についていけない美聖が目を丸くしていることに気づいたのだろう。響子は穏やかに話した。

「私……美聖先生にみてもらってから、色々と考えたんです。でも、段々、先生の……彼のことをどう想っていたのか、分からなくなってきちゃったんです。すごく大人な感じがして、ミステリアスなところがあったけれど、今考えると、ただの優柔不断な人だったのかなって。美聖先生も、先生は私のことを好きは好きだけど、複雑な心理だって言っていたじゃないですか?」
「そうね。言ったわね……」

 彼女の好きとは少し種類が違うという話だった。

(……でもね)

 彼の好きは、響子の好きとは異なるけれど、でも『好き』ではあったはずだ。
 そう考えてみると、はるかに響子より先生の好きの方が重いような気がしてくる。

「だけど、響子ちゃん。毎日先生と顔合わせているんでしょう? 辛くはないの?」
「あと少しのことですから。大丈夫です。あんまり話もしないし、会わなければ……」
「……そっか」
「じゃあ、絵もいらないですか……」

 降沢がスケッチブックに描いた素描を彼女に見せた。
 夏の日差しに恋焦がれるように、上を向いた大輪のヒマワリの絵。
 それには、バレッタから着想したとは思えないほど、郷愁を誘う風景画となっていた。
 下の方には小さく降沢のサインが入っている。
 響子はその絵を目の当たりにしてから、間髪入れずに答えた。

「……私、その絵、欲しいです。おいくらですか?」
「えっ?」

 素早い反応だけではなく、購入するつもり満々のところが更に美聖と降沢を驚かせた。

「買うんですか?」
「はいっ!」

 降沢と美聖が顔を見合わせている間に、響子はピンク色の長財布を取り出していた。

「すいません。今、ちょっと手持ちがなくて……お財布の中に三千円しかないんですけど。とりあえず、これでいいですか? 画家さんの絵だから、もっと高いと思うんですけど、後でちゃんと金額分払うよう頑張りますので」
「えっ、いや……響子ちゃん」
「そんなに仰々しくならなくても。別に欲しいのなら、タダで良いですよ。無理言ったのは、僕なんでいすから。最初からそのつもりだったんです」
「そんなの、駄目ですよ」

 響子は身を乗り出して、降沢を睨んだ。

「画家さんの絵をタダではもらえません」
「いいじゃない。くれると言っているんだから、有難く受け取っておけば。そんなに律儀だと、いつか、あくどい奴に騙されちゃうわよ」

 美聖が笑いながら指摘するものの、響子は有無をも言わさない勢いで、三千円をテーブルの上に置くと、すぐさま鞄の中に財布を戻してしまった。

「三千円は出しますので、美聖先生には、飲み物代だけ、よろしくお願いします」
「響子ちゃん?」

 毅然とした物言いに、美聖は彼女の内心をおもんぱかった。
 彼女もまた何かを秘めたのではないか……と。

(タロット持って来れば良かったな)

 今日は、ただ響子と会うだけだと聞いていたのでカードを持ってこなかった。
 タロットカードを使えば、今度こそ響子と先生の想いが視えるかもしれないのに……。

「さっ! 今日は、これから家でピアノのレッスンがあるんです。帰らなきゃ……」
「先生と、放課後にレッスンすることはやめたんですね?」

 降沢が淡々と問うと、響子も事務的に答えた。

「ええ。音大狙ってみようと思って……。今まで趣味の延長みたいにピアノをやっていたんですけど、本気で頑張ってみようと思います」
「…………そうですか」

 降沢は間延びした声で、小さくうなずくと、彼女が置いていった三千円を手に取り、微笑んだ。

「分かりました。この三千円は有難く頂きます。そういうことで、この絵はこの瞬間から、君のものです。どうぞ、お好きに。持って行って下さい」

 そうして、スケッチブックの一枚を切り取ると、革鞄から取り出したA4サイズの封筒に入れて、響子に手渡した。

「嬉しいです。ありがとうございます」

 恭しく受け取った響子は、置きっぱなしだったバレッタをポケットの中に入れてから、降沢の絵を鞄の中に丁重に仕舞い込んだ。

「じゃあ、美聖先生、降沢先生。私は、これで失礼します!」
「あっ、響子ちゃん」
「はい?」 

 美聖は呼びとめたものの……。
 振り返った響子の凛然とした笑みに、息を呑んだ。


「また『アルカナ』に遊びに来てね……」
「もちろん!」

 そう言い残して、颯爽と踵を返す。
 彼女の高く結った髪を束ねているのは、赤色のリボンだ。
 やはり、リボンの方が年相応で似合っている。

 そうして、響子は一礼すると、太陽のような輝きを放って、陽炎の立ち込める外界に飛び出して行った。