「さっき、僕と浩介が話していたことが気になったのでしょう……」
「……すいません。気になります」
「どうして、謝るんですか? 大方、浩介から聞いた話でしょうに?」
「降沢さんの従姉さんが、美術教師だったって。店に飾ってあるあの絵は、彼女を想って描いたものではないのですか?」
「ちゃんと、分かっているじゃないですか……」

 ――と、降沢は一度、鉛筆を動かす手を止めてから、静かに告げた。

「あの絵に『慕情』というタイトルをつけたのは、浩介なんですよ。僕はそんな大層な名前をつけて欲しくなかった」
「……はっ?」
「従姉の沙夜子姉さんと僕は、十歳年が離れていました。しかも、彼女は美術教師。僕は高校の頃から絵を描いていた……とすると、今回の響子ちゃんと、共通点が多いでしょう? だから、浩介はあんなことを言ったのです」
「そういうことですか……」

 それにしては、あの絵は……。

(…………綺麗だけど、なんか怖かった)

 いや、降沢の絵はいろんな物をキャンバスに入れてしまうから、あの絵がイコール彼女のイメージという訳ではないのだろうけど……。

「降沢さんは、だから……あの子に関するものを描いてみたいと思ったのですか?」
「今、描きながら、そうだったんだと、納得しました」
「今……分かったんですか?」
「ええ。僕の場合限定かもしれませんが、偶然が必然となることって、間々あるんです。君がこの店に来てから、最上さんのこともそうですけど、僕の子供時代につながる偶然が続いているような気がします」
「どうしてなのでしょう?」
「……今更ですけど、あの人が僕に伝えたいメッセージがあるのかもしれませんね」
「すいません。好奇心とかなんだとか言って、立ち入ったことを聞いてしまって」
「君は、謝ってばかりいますね?」

 降沢は、あっけらかんとしていた。

「三か月、君はこの店にいてくれたのです。すべてと言わずとも、多少の説明義務もあるでしょう。僕の仕事も、君の仕事も私的なことにリンクしている職業ですしね」

 そうして、再び鉛筆を動き始めた。

「あの人も画家になりたいと言いながら、美術教師をしていました。僕の絵を見て、画家になるべきだと、熱弁をふるっていましたよ」
「……降沢さんは、従姉さんの夢を叶えたのですね」
「さあ、どうなんでしょうね。少なくとも……僕にとって、絵を描くことは」

 言いかけて、降沢は唇を噛みしめた。
 その先が言いにくいのだろう。
 降沢には、美聖には入れない境界線のようなものがある。
 そして、それは美聖も同じだった。

「私の肉親も……つい最近亡くなったんです」

 刹那の沈黙後、はっとして顔を上げた降沢は何とも言えない表情を浮かべていた。

「ああ、いいんですよ。それこそ、降沢さんと一緒。勝手に私が話し始めたんですから」

 美聖は微笑む。けれど、まだぎこちない。
 降沢と同じ、十数年経てば、もう少し上手く笑えるようになるのだろうか……。
 今は、まだ何も分からなかった。