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「先日は従妹と、初がお騒がせしました」

 お客さんが少ない、月曜の午後だった。
 いかにもなロックミュージシャンの出で立ちの最上初とは、真逆の清楚な小花柄のワンピースで来店した女性は、態度もまた正反対で、美聖と顔を合わせた途端に、黒石(くろいし) 芽衣(めい)と、自らの名前を名乗り、深々と頭を下げてきた。

「従妹からも、私のことを『アルカナ』の店員さんに話したと聞いてはいたのですが、先日、初に久々に会って……。皆さまに、ご迷惑もおかけしたようなので、これも何かの縁だと思って、お詫びに伺わせて頂きました」
「えっ、いや! とんでもない! むしろ、わざわざ、すいません!」

 美聖は恐縮して、彼女と同じくらいお辞儀をする。
 さすが著名なロックミュージシャンの最上が、忘れられない元カノだ。
 若干、以前来店してくれた『従妹』の女の子と似た部分はあるものの、彼女の一連の所作には色気が漂っている。
 同性であるにも関わらず、美聖が息をのんでしまいそうなほど、芽衣は女性的で美しかった。

「初が、せっかく降沢先生に絵を描いてもらったのに、買い取らなかったと聞きましたから、もしよろしければ、私に絵を買い取らせてもらえませんか?」
「…………それは……その」

 言葉を濁した美聖は、とりあえず女性を庭の見える奥の席に案内した。
 ――それと、ほぼ同時だった。

「申し訳ありませんが、僕の絵をモデル以外の方に販売するのは、御遠慮しているのですよ」

 例によって、気配なく降沢が美聖の隣に立っていた。
 心なしか、今日はやって来るタイミングが早いような気がする。

「貴方は…………?」

 芽衣がさらさらの髪を掻き分けて、降沢を見上げた。

「申し遅れました。僕が最上さんの絵を描いた降沢です。最上さんから、聞いてませんでしたか?」

 降沢は、画家だとは名乗らなかった。
 女性は数瞬、遠くを振り返るように、フリーズしたが、すぐに我に戻ったのか照れ笑いをした。

「あっ、貴方が降沢先生……ですか。失礼しました。初からは、詳しいことは、何も聞いてなくて。ただ、私が昔話した内容が若干違っていたことと、画家先生に絵を描いてもらったけど、買わなかったって、それだけを聞いて……。無理言って、描いて欲しいと押しかけたくせに、酷いなって思ったんです」
「ああ、そうでしたか。僕は降沢 在季と申します。貴方は、かつてここに住んでいた僕の祖母のことを最上さんに話したようですね」
「ごめんなさい。昔のことを、よく確かめもせずに……」

 女性は赤面して、うなだれた。

「実は私……幸せになれるわよって、降沢先生から聞いて鵜呑みにしてたんです」
「降沢先生?」

 美聖はとっさに、降沢を目で追ったが、女性はやんわりと訂正した。

「……失礼しました。降沢 沙夜子先生です」
「ああ」

 降沢は得心がいったとばかりに、顎を撫でた。 

「あの人ですか。やはり……」

 ――やはり……ということは、降沢なりに予想していたということなのだろうか?

「降沢先生は、私の高校の担任だったんです。あの頃、まだメジャーデビューしていなかった初と、私は付き合ったばかりで。でも、初……やんちゃだったから、しょっちゅう、別れようかって悩んでいたんです。そんな私を心配して、先生がこちらにに連れて来てくれたんです。……といっても、だいぶ昔のことで、当時は普通の民家だったはずなのですが……」
「喫茶店を開業したのは、五年前からですからね」
「そうだったんですか……。実は私、降沢先生に卒業してから一度も会ってなくて、連絡つかなくなってしまったんで、それもあって、今回こちらに伺ったんです。画家の降沢先生と沙夜子先生は親戚なんですよね?」
「ええ。降沢沙夜子は、僕の従姉です」
「ああ、やっぱり。降沢……在季先生……。ちょっと、沙夜子先生の面影がありますものね」
「……一応、お褒めの言葉だと思っておきますよ」
「それで、降沢在季先生、沙夜子先生はどうされていますか?」
「それは……」

 降沢は困惑した面持ちで、淡々と告げた。

「実はあの人は、亡くなっています」 
「えっ?」 

 途端に、芽衣が表情をこわばらせた。

「亡くなった?」
「はい。僕が大学生の頃に」
「……そんな」

 まるで、タイミングを見計らったように、トウコが水とおしぼりと、冷たいレモンティーを運んできた。
 初めて耳にする名前に、美聖は言葉一つ発することができない。
 息苦しさに横を向くと、降沢の描いた『慕情』が目に飛び込んできた。

(もしかして、あの絵は、その人と関係があるんじゃ……?)

 そんな気がしてならなかった。