「思った通りだったわ。今日、一か八かの賭けをしてみて、良かった。やっぱり、彼女は視えない。でも、察する力はある。それはそれで、大変なこともあるかもしれないけど、彼女の程度なら、私もカバーできるはずだわ。雇って正解ね」
「…………僕たちの都合で利用しているのに、正解も何もないでしょう。……可哀相に。一ノ清さん、震えていましたよ。彼女を生贄(スケープゴート)にするつもりですか? 分かっていて、離れに行かせるなんて自殺行為じゃないですか?」
「人聞きが悪いこと言わないでよ。このままバイトを続ける上で、貴方のことは知っておいてもらった方が良いと思ったから、離れに行かせたのよ。それが彼女の希望でもあったから……。私だって渋々だったのよ」
「浩介……。つまり、一ノ清さんは、自ら望んで離れに来たということですか? 一体、どうして?」
「当然、貴方のことが心配だったからでしょう……」
「よく……分かりませんね」

 …………分からない。

 出会って一カ月ちょっとの人間がひきこもっていようが、どうだって良いことではないのか。
 まして、彼女は降沢のことを畏怖していた。
 多少、苦手意識は薄れたようだが、それでも一ノ清美聖にとって、降沢は関わりたくない人種であることは間違いない。

(今日、触れた時だって嫌がりはしなかったけど、怯えていたようだし……)

 思わず、抱きしめたくなったのは、強がって震えている小動物を見た時の感覚に近いものだと、降沢は自分に言い聞かせている。

「心配しているの?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃあ、あの子に辞めてほしいの?」
「………………店の経営に関しては、貴方に一任していますからね」

 話題をそらしたつもりだったりのに、浩介は降沢の意図に気づきながらも、汲んではくれなかった。

「貴方もなかなか心配性よね。大丈夫よ。美聖ちゃんは強い。引きずられないし、食われもしないわ。…………私のようにはね」
「視えないリスクも、知っているくせして、まったく、貴方は」
「視えるとか、視えないとか、関係ないわよ。視えたって、視えなくたって、堕ちる人は堕ちるわ。あの子はね、ちゃんと地に足がついているの。生きる目的をきちんと持っている。占い以外はちょっと鈍感なところもあるけれど。…………貴方と同じだけど、生き方が正反対だってことよ」
「えっ?」

 ――同じ?

「僕と?」
「ええ。彼女も肉親を亡くしているらしいわ。そのことを貴方と同じく引きずっていて、生きる目的にしている」

 初耳だった。
 目を丸くしている降沢を確認した浩介は、四角い顎を撫でつけながら、にやりと笑う。

「それにしたって、貴方が人を気にするなんて、珍しいわよね? いつだって、来る者拒まず、去る者追わず、執着しない貴方が……。女の子をねえ」
「いえ……。ちょっと、気になることあっただけですから」

 以前、占い師になった理由を訊いた時に、答えにくそうにしていた。
 降沢だって、画家になった理由を、一言で語ることなど出来ないだろう。
 ましてや、部外者には……。

(あの人も、僕と同じなのか……)

 ――あの時、室内に飛び込んできた彼女が光を纏って現れたように見えた。

 降沢が初めて描いた油絵『慕情』。
 ユリの絵を怖がりながらも、綺麗だと評した人は初めてだった。

(月なんて必要ないのに……)

 指の中にまで、入りこんでしまった絵の具の赤。
 まるで、血の色のようだ。

(僕は、ただのエゴで堕ちるだけだ)

 暖かい風に、長くなり過ぎた前髪がふわふわと揺れた。
 一ノ清 美聖が切った方が良いと言っていた前髪を、降沢は指でつまみあげる。
 普段なら、ほとんど気にしないのに、やけに気になるのは、どうしてなのだろう。

(…………そろそろ、切りに行った方が良いかな)

 そんなことを、考えてしまうのは…………。




 後日、指輪を受けとりに来た最上は、降沢の予想通り、絵を買おうとはせず、代わりに、美聖に占いを頼んで、恋愛運と仕事の方向性を鑑定して行った。

 その三か月後、今までとは違うバラード路線でソロ活動を開始した最上の新曲は『ウィザード』並みには売れなかったものの、テレビ画面で見る限り、最上からはあの時の荒々しさは、綺麗に消え失せていた。

 恋愛については、付き合っていた元彼女と再会した方が良いと、美聖はアドバイスをしたものの、彼がその通りに動いたかどうか……。


 降沢がその答えを知ったのは、もう少し先の話だ。