離れは、平屋で洋風の造りとなっている。
 降沢の父母が住めるように、祖母が建てたとか……そんな話を聞いてはいたが。

(どれだけ金持ちなんだろうね……。降沢家って)

 開店前の掃除中に、戦前の貴族の別荘のような離れを、目にする機会はあったが、いざ自分がその建物に足を踏み入れると思うと、少し緊張してしまう。

 美聖は深呼吸をしてから、玄関扉を勢いよくノックした。

「ごめんください……」

 予想はしていたが、返事はない。

「……降沢さん、入りますからね」

 美聖は小声で断りながら、トウコから預かっていた鍵で、離れの扉の鍵を開けて、玄関を開けた。
 室内に入った瞬間に、絵の具特有の独特な香りに鼻腔が刺激された。
 
(降沢さん……。やっぱり画家だったんだな)

 今更の話だが、実感する。
 靴を脱いで、玄関の入ってすぐのスイッチを入れると廊下一帯がパッと明るくなった。
 離れの部屋は、現在一つしかないと、トウコが言っていた。
 ならば、真っ直ぐ廊下を進むしかないと、美聖は抜け足差し足で歩き始めた。

「降沢さん……。いらっしゃますか?」

 相変わらず、降沢からの返事はない。
 何分歩き続けただろうか……。
 汗がじっとりと滲むほど、歩いたところで、廊下の突き当りに大きな白い扉が見えた。

「ここが……アトリエ?」

 静かな空間が落ち着かないので、独り言が多くなる。
 降沢の作業場の前まで行ったら、扉越しにサンドウィッチを置いて、店に戻る……と。
 トウコに言われた通りにするのなら、ここで美聖の仕事は終了だ。

(少し、気になるけど……)

 彼がどんな絵を描くのか、美聖は知らない。
 検索結果で出てきたのは、学生時代に入選した絵が数点ほどだ。
 しかも、その画像もぼやけているので、降沢の作品について、特徴めいたものは、一切分からないままだ。

 ――この扉を開けたら、降沢の絵があるのだろうか?

「だから、駄目だって……」

 ここまで来て、好奇心を燃やしてどうするのだ。
 今は、とりあえず、降沢に何か食べてもらうことが重要なのだ。

「お疲れさまです。降沢さん! 一ノ清です!」

 美聖はサンドウィッチの乗ったトレイを抱えながら、もう片方の手でノックをした。

 …………しん……としている。

 沈黙が広がるだけで、いっこうに降沢からの応答はない。

(声が届いていないのかしら?)

 美聖は、更に激しくノックをしてから、軽食の乗っているトレイを扉の前に置き、大声で呼びかけた。

「絵……完成したって、トウコさんから聞きました!! 早い仕上がりだそうで、おめでとうございます!! それで、トウコさんからサンドウィッチを預かって来たので、扉の前に置いておきますので……」

 召し上がって下さい……と、そのまま続けようとした時だった。

 がたんっ!!
 部屋の中で、大きな音が轟いた。

「えっ?」

 何か大きな物が地面に落ちたような不快な音に、美聖は怖気を立てる。
 無視できるレベルでなかった。

「ちょっと、今の音なんですか? 降沢さん! 大丈夫ですか!? 答えて下さい!!」

 美聖は両手で扉を叩きながら、室内にいるだろう降沢を必死で呼んだ。

「大丈夫なら、返事をしてください。降沢さんっ!」

 何のリアクションもないのは、一体……。

(本当に、降沢さんは生きているの……?)

「まさか……?」

 密室状態で三週間。
 降沢は誰とも会っていない。
 良い絵が描けたら、死んでも良いと口にしていた降沢の鬼気迫る顔が、再び美聖の脳内によみがえった。

 …………もう、迷ってなんていられなかった。