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「トウコさん」

 降沢が離れにこもって、三週間目の閉店後。
 美聖は、いよいよ行動に移すことにした。

「このままでは、降沢さん、本当に死んじゃいそうです。私、ここの材料で軽食作って、降沢さんのいる離れに持って行ってみても良いですか!?」
「別に、放っておけばいいのに……」
「駄目ですよ! 一応、降沢さんは、ここのオーナーなんですし、生存しているかどうかだけでも、確かめないと……」

 一体、このやりとりを何度繰り返せば良いのだろう。
 せめて、夜食だけでも運びたいと、美聖は立候補をしているのに、トウコがなかなかOKを出してくれない。
 作業場のある離れには近づかない方が良いと釘を指すだけで、頑なに首を横に振り続けた。

(一体、何の問題があるんだろう?)

 その辺りの説明がないから、もやもやするのだ。

「美聖ちゃんは、本当に心配症よねえ」

 サングラスの下のトウコの目が細くなったのが分かる。
 トウコは母親のように、優しい人だけれど、降沢のこととなると頑固な一面があるような気がした。

「そりゃあ、心配ですよ。降沢さん、ただでさえ細いんですから、栄養取らなきゃ、数日も持ちませんって」

 一体、降沢は何を食べて過ごしているのだろう。
 いつもなら、昼時には必ず店にやって来て、美聖と同じ賄いをトウコから提供されているのだ。

 ――それなのに。

 あれから、美聖は降沢と一度も顔を合わせていない。
 人気のない古民家は静かだ。
 森の中にあるので、住宅街の喧噪からも隔絶されている。
 美聖もトウコも帰宅してしまった後、この広い邸宅の中、たった一人離れで……。
 今まで考えたことがなかったが、想像してみただけで、美聖には耐えられない寂しさだった。
 降沢は、最上から預かった指輪の髑髏をモデルに絵を描いているはずだ。
 その姿を脳裏に思い浮かべてみただけで、禍々しい印象があった。

(だって、降沢さん……。あんなことを言うから)

 ――会心の一枚を一生のうちに一枚でも描くことが出来たのなら、死んだって構わない。

 クリエイターというのは、皆、そういう矜持を持っているのだろうか……。
 あの時の降沢がしていた情熱的な表情。
 爛々とした瞳を、美聖は忘れることが出来なかった。

「でも、在季のこと……。美聖ちゃんは、ずっと苦手だったじゃない?」
「ちっ、違いますよ」
「ううん。どこか一線引いている感じだったわ。まあ、あいつも、最初は貴方に対して、よそよそしかったけどね」
「別に、苦手っていうわけじゃないんです。私にも、どうして近づきがたいのか、よく分からないんですよ」
「多分……本能的なものでしょうね」
「…………えっ?」

 うふふと、笑いながらトウコは、皿洗いを終えて、エプロンで濡れた手を拭った。

「実はね、美聖ちゃん。ついさっき在季からメールで生存報告があったのよ。絵が仕上がりそうだから、軽食を頼むって」
「なんだ。それを早く言って下さいよ。本気で焦ったじゃないですか。一応……ちゃんと生きているんですね?」
「まあね。でも、今回の作品は早い方なのよ。下手したら、半年はこもるから」
「それ……。間違いなく、死にますよ」
「そうよねえ。一応、アトリエには、レトルトの食糧が備蓄されているから、ある程度は持つでしょうけど、無精な男だから、そんなに食べないでしょうし」
「……早く、軽食、持って行ってあげないと!」
「苦手意識を持っている割には、情が深いのねえ」
「だから、苦手ってわけじゃ……」

 降沢に対して、多少、やっかみの気持ちもあったかもしれない。
 でも、多分、それだけではないのだ。
 美聖が彼に近づくことを畏れている理由は……。

「分かったわ。貴方を信頼して、頼んでみようかしら。実は作り置きしていたサンドウィッチが冷蔵庫にあるの。それを離れまで持って行ってくれない?」
「もちろんですよ。了解しました!」

 美聖は威勢よく返事をすると、トウコが心変わりしないうちにと、サランラップできっちりと覆われたサンドウィッチと、ペットボトルの飲み物を素早くトレイに乗せた。
 小走りで店の外に出ようとした美聖の背中に、トウコの声が飛んでくる。

「あっ、再三言っているけど、離れの……在季の作業場(アトリエ)の前に置いてくれれば、良いからね」
「はいはい、分かっていますって」

 美聖は空返事をしながら、足取り軽く、降沢の作業場へと向かった。