わざわざ再度、最上に足を運んでもらったにも関わらず、降沢が肝心なことを言い忘れていたため、彼の機嫌は、最低最悪に落ちていた。

「何だ、それ? 俺をモデルに描くんじゃなかったのかよ?」
「貴方そのものより、その指輪の方に惹かれたんですよね」

 降沢は悪びれることもなく、あっさりと告白する。
 最上は赤髪をくしゃくしゃにしながら、左手の人差し指につけているシルバーの髑髏の指輪に、視線を落とした。
 彼にとっては、じゃらじゃらつけている装飾の一つに過ぎなかったそれに、今初めて注目したといった感じだ。

「……じゃあさ、もし、俺が指輪外していたら、どうするつもりだったんだよ?」
「お守りなんでしょう。貴方は、それをとても大切にしている。……だから、惹かれたのです」
「はっ?」

 意味が分からないはずだ。
 何しろ、美聖にだって、分からないのだから……。

(うー。黙っているのがしんどい……)

 今回の件が気になって仕方なかった美聖は、無理を言って、定休日に同席させてもらう許可を取り付けたのだ。
 条件は大人しくしていることなので、降沢に対して、あまり強く出ることが出来なくなっている。

(だけど……)

 降沢はマイペースで独特の言葉を発する。専用の通訳が必要のようだった。
 それが、いつもならトウコの役目だったのだろうが、あいにく彼はデザートの準備をしていて、席を立っていた。
 美聖は、トウコを大声で呼びつけたい気持ちで一杯だったが、ぐっと黙りこんだ。
 幸い、最上は沈黙よりも、喋ることの方を選んでくれた。

「これは、メキシコで買ったんだよ。なんかピンと来てさ。だけど、こんな……ただの指輪を描いて何かあるのか?」
「…………降沢さん」

 美聖は、隣に座っている降沢に視線で訴えた。

 …………確かに、視える……と。

 やはり、黒い靄のようなものが見えるような気がする。……だが、同時に金色の色彩も帯びているような気がした。

 降沢は満足そうに、小さく頷いた。
 それは、良いことなのか、悪いことなのか……。

「最上さん。正直、それを描いたところで、何かあるのか僕には分かりません。でも、貴方は僕に絵を描いて欲しいのでしょう? 僕も少し惹かれる程度の指輪ですけれど、これも何かの縁だと思うので、久々に絵を描いてみようかと思ったのです」
「…………画家先生の言うことは抽象的すぎて、凡人にはさっぱり分からんな」

 最上は、アイスコーヒーをストローで啜りながら、ぶつぶつと何か言っている。
 降沢は口元の笑みを絶やさずに、そんな彼を淡々と眺めていた。

「でも……。貴方だって、僕と同じ創造主ではないですか?」
「はっ?」
「僕は、貴方の作品を聞いたことがなかったので、今回、初めて聞いてみたんです」
「それは、有難い話だな。……で?」
「正直、よく分からなかったんですけど……」
「降沢さん……」

 美聖が小突いても、何が悪いのかと言わんばかりに、降沢は首をかしげていた。
 案の定、最上が噛みついてきた。

「あんた、俺を馬鹿にしてんのか?」
「いえいえ、別に。趣味の違いというだけですよ。馬鹿にするのなら、もっと徹底します」
「……まあ、なんだ。あんたは。ある意味、正直で面白いと思うよ」

 鬼の形相が一転、最上は頭を抱えて笑っている。
 その姿は、まるでずっと張りつめていた緊張が一気に抜けて、肩の荷を下ろしたようにも見えた。
 最上は急に砕けた様子で、訊いた。

「俗世間には興味なさそうな画家先生だから、それこそクラッシクとか、そんなのばかり聞いてるんだろ?」
「音楽自体、あまり聞かないのですよ。自分の浅学を恥じるところです。でも、今回貴方と知り合うことで、ロックというジャンルを聞くまでに至りました。ボーカルも、作詞、作曲もすべて貴方が手掛けていることも知りましたしね。売れる音楽を作り続けるのって、きっと、たった一人で暗い洞窟の中を模索しながら歩いているのと同じ意味なのではないか……と思います」
「あんたも……ある意味、こっち系だもんな」
「僕と貴方じゃ、全然違いますよ」

 降沢は、目尻にしわを寄せて、苦笑していた。

「僕は売れない画家なので、貴方に比べれば気ままなものです。特に、おかしな物ばかり描きたがる変わり者ですからね。……それでも」

 ハッとした。
 その時、美聖は間近で、降沢の閃く双眸を見たのだった。