「どういたしまして」

瑞希ちゃんが笑ってくれたことで、感謝の気持ちがきちんと伝わったのだとわかる。

瑞希ちゃんはこれからお見舞いだということで、私たちはその場で解散した。一人になった私は、さっきよりも軽い気持ちで帰路についた。



笠木さんのお見舞いに行くようになって、三日が過ぎた。

笠木さんと話すことは本当に他愛もないことなのに、毎回幸せな気持ちになれた。

「そういえば、いつの間にか笠木さんに戻ってるよな」

とある話題が一区切りつくと、笠木さんは思い出したように言った。

「俺はちゃんと円香さんって呼ぶようにしてるのに」

笠木さんは意地悪な笑みを向けてくる。

たしかに、あの一回しか呼んでいない。だが、それには理由がある。

ずっと笠木さんと呼んでいたものを、今さら簡単に変えることはできない。

なにより、恥ずかしくてどうしても逃げてしまう。

「円香さんが俺の名前呼んでくれたら、嬉しいのになあ」

笠木さんが私の名前にさんを付けるのは、間違いなくわざとで、からかっているようにしか思えない。

名前で呼ばれるのは嬉しいけど、違和感しかない。

「なんて、無理矢理呼ばせても気分よくないからいいんだけどさ」

笠木さんは苦笑すると、じっと胸元まで伸びたストレートの髪を見つめてきた。

「ところで円香さん、ヘアアレンジしてみてもいい?」

私の髪に向けて静かに手を伸ばしてきた。

その手からは逃げず、目を閉じて笠木さんに触れられるのを待つ。

「柔らかいな……さらさらだし」

毛先まで神経が通っているのではないかと思うほど、笠木さんが触れるところから全身に緊張が広がる。

「円香さん、反対向いて」

笠木さんに言われるがまま、体の向きを変えた。笠木さんが私に近付くことで、ベッドの軋む音がする。

優しく私の髪に指が通ると、触れられたときの緊張以上のものに支配される。

「笠木さんは、ヘアアレンジなんてできるのですか?」

ただ笠木さんに髪を触られるだけの無言の空間に耐えられなくなり、震える声で聞いた。

「できるんじゃない?」
「……適当ですね」
「そりゃまあ、やったことないし。わかんないよ」

そう言いながらも、手を止める様子はない。

誰かに髪を結んでもらうことは慣れているはずなのに、肩に力が入っていく。

「ふわふわした感じがいいけど……綺麗なストレートだし、無理か……」

独り言なのか、小声で言いながらいろんな髪型を試しているように思う。