笠木さんと視線が合うと、笠木さんは頬を赤らめて微笑んだ。

笠木さんが手を離したことで、やっと息ができたような気がした。

「お嬢様が名前呼ばれたくないなら、俺の名前呼ぶ練習でもしよっか」

笠木さんは名案だと言わんばかりに楽しそうに言った。

「俺の言った後について言うんだ。わかった?」

頷くけど、上手く言えるか自信はなかった。

「れ」

いきなり名前を言わせられると思っていたから、少し戸惑った。

笠木さんが発した通りの一音を真似て言う。

「……れ」

私が続けて言ったことで、笠木さんは満足そうに笑った。

「お」
「……お」
「よし、続けて言ってみようか」

笠木さんの笑顔が悪魔の笑顔に見えてしまう。

たった二音なのに、それが口から出てこない。

「お嬢様?」

目が泳ぎ、足元を見つめる。

言いたいという気持ちよりも、言わなければならないと思い始めた。

そのせいで焦りのようなものが出てくる。

「無理しなくていいから。な?」

切なそうな目が、私を逃がしてくれない。

「呼びたくなったときに呼んでくれたらいいよ。無理させてごめん」

幼い子を諭すような柔らかい言い方で、申し訳なさが込み上げてきた。

「ごめんなさい……」
「気にすんなって。あ、でも俺がお嬢様を名前で呼ぶのは大丈夫?てか、呼びたい」

なぜかこのタイミングで、笠木さんが病気であることを思い出した。

ここで恥ずかしいから嫌だとわがままを言って、笠木さんが私の名前を呼べずにいたら、笠木さんは後悔を残してしまうのではないだろうか。

それだけは、絶対に避けたい。

「……いいですよ。玲生、さん……」

語尾が小さくなった。

笠木さんは私の手首を掴むと、ベッドに誘導された。私は笠木さんの隣に座る。

視線の高さが合い、笠木さんは真っ直ぐ私を見つめている。すると、笠木さんの温もりに包まれた。

「あの……?」
「ヤバい……名前呼ばれただけなのに、めちゃくちゃ嬉しい」

その言葉と共に、笠木さんの力が少し強まる。

耳元で聞こえる笠木さんの声は、さらに私を緊張の沼に落とす。

笠木さんはすぐに離れてしまった。あれだけ緊張したくせに、手を握っていたときと同様に離れ難いと思ったらしい。

「さん付けってのも案外悪くないな。俺もそうしよう」

一人で納得した笠木さんはもう一度私に近付くと、耳元で囁いた。

「好きだよ、円香さん」

シンプルな言葉だから笠木さんの言葉がストレートに伝わってきて、顔まで熱くなる。

それに名前を呼ばれたこともあり、頭が真っ白になって、反応をすることが出来なかった。