先生に促されて、コップが前に置いてある席に座る。透明のプラスチックで桃色の水玉模様がデザインされたコップは、とても可愛らしい。

先生は自分の机に置いていたカップを取ると、私の左斜め前に座った。

「コーヒーは?」

先生が話始めるより先に、笠木さんの声が聞こえてきた。起きてコップの中身を確認して、不満そうにしている。

「そんなものありませんー。いつも言ってるでしょ?」

先生は笠木さんに向けて舌を出す。

「じゃあ、汐里さんが飲んでるのは?」
「紅茶」

先生が答えると、笠木さんは綺麗に舌打ちをした。そしてコップに手をつけることなく、また横になった。

「お二人は仲がいいのですね」

私の知っている教師と生徒の距離感には見えない。

「玲生くんは私の従弟だからね」

二人の距離の近さも、腑に落ちた。従弟ならば、下の名前で呼び合ってもおかしくない。

「私からも質問していい?」

肯定の意味を込めて頷く。

「どうしてこんな中途半端な時期に転校してきたの?」

コップに伸ばしていた手が止まった。先生の表情を伺うと、少し首を傾げられた。

現在は十月初旬で、誰だってそう思うだろう。それは多分、ちょっとした興味で聞いているはずで、適当に嘘で誤魔化してしまえばいい。

だが、変に間を作ってしまったせいで、先生から笑顔が消えた。

「悩みごとがあるなら、聞くよ?玲生くんがいて話しにくいって言うなら、追い出すし」
「笠木さんはお休みになられているのでは……?」

笠木さんのほうを盗み見しながら、小声で尋ねた。

すると先生は立ち上がり、ベッドの横に立った。しばらく笠木さんを見下ろすと、私のほうを向いて笑った。

「寝てないし、今日は体調もよさそうだから、大丈夫。気にしないで」

いくら養護教諭とはいえ、そんな一瞬で判断されては、逆に気を使ってしまう。

「いえ、私のことは大丈夫です。笠木さんを休ませてあげてください」

なんて、本当は授業をサボろうと寝たフリをしているだけかもしれないが。

だが、笠木さんが本当に体調が悪いかどうかは、今はどうでもよかった。私はただ、自分のことを話さなくていい理由がほしかった。

「そう?じゃあ、話したくなったらいつでも来てね」

先生はそう言いながら、自分の机に戻った。
一枚の紙を取ると、右手にペンを持ち、何かを書き始めた。

それを持って、私の前に立った。

「体調悪くなくても、心の調子が悪いときだってあるもんね」

さっき書いていた紙は、保健室利用証明書だった。私の名前まで記入してある。

利用理由は頭痛と記されている。

わざわざ嘘を書いた先生の顔を見る。人差し指を唇に当てている。

「誰にでもするわけじゃないから、ヒミツね」

この場合の誰でも、というのは普通に仮病で来た人にはやらないということだと思う。

いや、普通こういうことはしてはいけないだろう。

それでも、この行為が私の心を少しだけ軽くしてくれた。

逃げ場があるというのは、これほど安心できることなのかと思った。