「冗談だよ。そんな必死に言わなくてもわかってるから」

冗談だとわからず否定した自分が恥ずかしい。それも、少し声を荒らげるように言って。

普段であれば、こんなことは絶対にないから、余計恥ずかしい。

「お嬢様はもっとおしとやかな人だと思ってたけど、違ったみたいだな」

やっぱり笠木さんは私のことを知っているらしい。だけど、私は彼と会った覚えがない。

しかしそんなことよりも、彼に言っておかなければならないことがある。

「あの、お嬢様と呼ぶのはやめていただけませんか?……隠しているので」

笠木さんの顔が固まってしまった。と思えば、唐突に声を出して笑い出した。

「無理だって、お嬢様。身分を隠しても雰囲気は隠せない」

そう言われて、東雲さんと坂野さんの言葉を思い出した。

『お辞儀の時点で礼儀正しいと思った』
『敬語は使わなくてもいいんだよ?』

「思い当たる節があるって感じだな」

何か言い返そうと思ったのに、言葉が出てこない。ゆっくりと視線が落ちていく。

「まあいいや。お嬢様って呼ばなきゃいいんだろ?」

私は小さく頷く。

足音だけで笠木さんが降りてくるのがわかる。そして何も言わずに私の横を通り過ぎていった。

「あ、あの!」

特に言うこともないのに、笠木さんを呼び止めてしまった。笠木さんは足を止めて振り向く。

私の言葉を待ってくれているとわかっているのに、何も言えない。

「もう少し……お話、できませんか……?」

笠木さんは黙って私の顔を見てくる。その視線から逃げるように、顔を背ける。

「迷子になるなよ」

その言葉が聞こえて、顔を上げる。置いていかれないように、笠木さんの背中を追った。



笠木さんから一メートルほど距離を取って歩きながら、三限の始まりを告げるチャイムを聞く。

「転校初日で授業サボりだって。俺が怒られそ」

笠木さんは笑いながら言った。背中しか見えなくて、その笑顔を正面から見たいと思った。

誰かに対してそんなことを思ったことなどなかったから、自分が自分ではないような気がしてなんだか気持ちが悪い。

幸い誰の目に触れることもなく、今いる校舎の一階に降りた。階段を降りてすぐ右手に保健室があり、笠木さんはそこのドアを開けた。

「いらっしゃい、玲生(れお)くん。最近はどう?」
「まあまあだな。いつも通り」

笠木さんが返事をしたということは、玲生は彼の下の名前なのだろう。

養護教諭の先生とそんな挨拶を交わしながら、中に入っていく。体調が悪いわけではないのに保健室に入ることに抵抗があった私は、出入り口付近で動けないでいた。

「入れば?」

そんな私に、笠木さんはただ一言だけ言った。

恐る恐る保健室に入ると、笠木さんはドアを閉めた。保健室には長い髪をサイドでまとめ、白衣を身にまとった先生がいる。

「見かけない顔?もしかして、転校生?」
「はい。小野寺円香です」

名乗ると、先生は口に手を当てて、小さく笑った。