俺はポットのボタンを押す母さんの手に、自分の手を重ねた。急須を受け取り、お茶を淹れる。

「そんなことない。俺は母さんに感謝してるよ」

淹れたてのお茶を母さんに渡す。

「産んでくれてありがとう」

母さんはまっすぐ俺を見る。そして口元を抑え、声を殺して泣いた。

静かに泣く母さんの涙があまりに綺麗で、見とれて動けなかった。

母さんの涙が止まったときには、もう日が暮れかけていた。それぞれ露天風呂を堪能し、夕飯を食べることにした。

部屋に運ばれてきたのは刺身としゃぶしゃぶがメインの食事だった。

「玲生、学校は楽しい?」

母さんは刺身に醤油をかけ、一切れを口に運ぶ。それが美味しかったらしく、幸せそうな顔をしている。

「最近世間知らずのお嬢様が転校してきて、結構楽しいよ」
「お嬢様って、お金持ちの娘さんってこと?」

茶碗蒸しを食べながら頷く。

「そんなお嬢様が、玲生の学校に?どうして?」
「さあ?社交場が疲れたとは言ってたけど」

次はしゃぶしゃぶに手を伸ばす。どの料理も美味しくて、箸が進む。

「玲生、その子のこと、気になってるの?」
「冗談やめてよ。交友関係を作っても、恋人は作る気ないから」

その理由は言うまでもない。

母さんは察してくれたみたいで、それ以上お嬢様のことについては言ってこなかった。



目が覚めて、一瞬知らない場所で戸惑ったが、すぐに旅行に来ていたことを思い出した。

今まで自分で金を稼いでやりたいことをやってきたけど、誰かのやりたいことを一緒にやるのも、悪くない。

浴衣から持ってきていた服に着替え、顔を洗う。その途中に母さんが目を覚ました。

「おはよー……」

母さんは目を擦りながら洗面所に来た。母さんが顔を洗えるように少しずれる。

「おはよ、母さん」

お互い顔を洗い終えると、旅館を出る支度をする。

「次はもうちょっと遠くに行ってみたいね」

母さんはまた窓の外を眺めている。背中しか見えなくて、どんな気持ちで言っているのかわからない。

「……そうだね」

俺がもっと元気だったら、遠くに行くことも、長く寝泊まりすることも可能だ。

でも、俺がいつ体調を崩すかわからないから、今回みたいな旅行になった。

それでも楽しかったから、俺は満足だ。

「そうだ、汐里ちゃんにお土産買って帰ろうよ。何がいいかなあ」

振り返った母さんは笑顔で、俺は少し安心した。