ここに来て、見たことのないお父様ばかりを見ているような気がする。

「そんなにドア見つめてどうした?やっぱり帰りたいのか?」

笠木さんは少し残念そうに眉尻を下げている。

「いえ……父のこと、何も知らなかったんだなと……」

知らなかったと言っていいのだろうか。知ろうとしなかったの間違いではないか。

お父様と衝突することはあったが、私のことを怒るのは私のためではないと思い込んでいた。

いつも会社のことしか考えていないのだと、勘違いしていた。

話してもどうせ聞いてくれない。どうせ、頭ごなしに否定される。

そんなふうに思って、自分の思いを正直に伝えたことがなかった。

「知らなかったってわかったんなら、これから知っていけばいいよ」

笠木さんは穏やかに微笑んだ。

それでいいのだろうかと思ったが、不思議なことに、笠木さんに言われると問題ないように思えてくる。

笠木さんが丸椅子を叩き、私はそれに座った。

「それにしても……まさか本当に金を出してくれるとは思わなかったな」

笠木さんは思い出し笑いをしている。

「でも、結婚は許してくれたかは微妙だな」

言われてみれば、お父様はそれについて言及していなかった。

だけど、なぜか安心していた。

勢いで笠木さんとの結婚を決めたが、先のことなど一切考えていなかった。

「笠木さんは、私と結婚して……後悔、しませんか?」
「しないよ」

即答だった。嬉しい反面、不安は大きくなる。

「ああ、でもそうか。結婚しても、俺が円香を養えるかって言われたら、無理なのか」

笠木さんは思いついたように言った。

お父様に頼れば、お金の心配はしなくてもいい。だが、そこまで甘えるつもりはない。

「俺がちゃんと働けるようになるまで、婚約ってことにしておくか」

笠木さんは笑顔で提案してきた。

反対する理由がなかったため、素直に頷く。

「そうだ、忘れてた」

笠木さんが独り言のように小声で話すから、無駄に緊張する。私は黙って次の言葉を待つ。

「結婚したら苗字が一緒になるわけだから、今のうちに下の名前で呼ぶことに慣れておこう」
「え……」
「この前練習して言えたんだから、あとは慣れるだけだよ」

笠木さんは笑いかけているが、それが悪魔の微笑みに見えてしまう。

「……呼んで、と言われてすぐには……」

呼びたくないわけではない。ただ、どうしても恥ずかしいという気持ちが勝ってしまうのだ。

笠木さんはたしかに、と呟く。

「でも、結構待ったと思うんだけど?」

返す言葉もない。

「……頑張り、ます」
「うん、頑張って」

笠木さん、いや、玲生さんは終始笑顔だった。

私ばかり恥ずかしい思いをしているのは納得いかないが、玲生さんが幸せそうであるなら、こんなに嬉しいことはないと思った。