笠木さんが真剣に考えれば考えるほど、面白くなって、不思議と緊張がほぐれていった。

「円香さん、ヘアゴムって持ってる?」
「はい、ありますよ」

床に置いていた鞄を取ろうと頭を下げると、毛先が笠木さんの手からすり抜けていくのがわかった。

なんだか少し寂しい気分だ。

化粧ポーチの中から黒いヘアゴムを取り出して笠木さんに渡すと、またすぐに元の位置に戻った。

すると、後ろから小さく笑い声が聞こえてきた。振り向くと、笠木さんが声を殺して笑っている。

「そんなに俺に髪結んで欲しいんだ?」

図星だが、冷静に考えると子供のようで、急に自分がしたことを恥ずかしく思った。

「冗談だよ。そんな怒るなって」

私が黙り込んだことを拗ねているのだと勘違いしたらしく、頭を数回優しく叩かれた。

「……怒っていませんよ。笠木さんに結んで欲しいと思っているのは、事実なので」

少し素直に言っただけなのに、顔から火が出そうだ。

「それはよかった」

そして笠木さんは私のヘアアレンジを再開した。

後ろで一つではなく、サイドで一つに束ねることにしたのか、笠木さんは横に髪を集めている。

そのとき、ノックの音がした。

「はーい」

笠木さんが気の抜けた返事をすると、引き戸が開く音がする。ゆっくりと足音が近付いてくる。

私はドアに背を向けているから、誰が入ってきたのかわからない。

だが、入って来ても何も言ってこないのは妙だ。笠木さんのお母様でも、汐里先生でもないのか。

笠木さんは束ねていたはずなのに、髪をおろした。静かに手で髪を梳く。

「なんか言えよ、無言で立たれてると怖いんだけど」

私の知らない人でも入ってきたのだろうか。

私がいては話しにくいのではないかと動こうとするが、笠木さんは一向に手ぐしをやめようとしない。

「円香さんを返せ」

たったそれだけの言葉、声でそこにいるのが鈴原さんだとわかった。

急に全身が恐怖に支配される。

一方的に婚約を破棄し、怒っていないとは思っていない。しかし声だけでも相当怒っていることがわかる。

「返せって言われても、あんたのものでもなかったろ」

笠木さんが言い返したことで、室内の空気は悪くなる。

沈黙に支配され、どうしていいのかわからないのに、笠木さんは手でずっと私の髪をとかしている。

「どうして未来のない男を選んだのです、円香さん」

鈴原さんに問いかけられたが、笠木さんが手を離してくれないせいで、振り向くことが出来ない。

「彼は生きる気がない人間ですよ?そんな人と一緒にいて、傷付くことは目に見えてます」

そんなことは言われなくてもわかっている。わかっていて、私は笠木さんと過ごすことを選んだ。

「僕なら円香さんを幸せにできる」

鈴原さんは、はっきりと言い切った。

正直、その自信がどこから来るのかわからない。