親父は首をかしげた。
「理仁《りひと》、何が不満なんだ? ここ数年は事業も安定して、不自由をさせたことはなかっただろう? おまえたちが幼いころには何度か経済的に危ういことがあったが、それも一時的なもので、埋め合わせはしてきたつもりだよ」
 おれは肩をすくめて、やれやれと首を振る。親父のことなんかバカにし切った不良息子を演じる。
「金の問題じゃねーよ。あんた、自分がトチ狂ってるって、どんだけ理解してる?」
「親に対してその口の利き方は感心しないな。友達の前で見栄を張ったり悪ぶったりしたい年頃なのはわかるが」
 見抜いてくれやがって。確かにおれは、一人じゃ何もできなくて、まわりのみんながいるからここに立ってられるんだけどさ。
 数え上げてやるよ。おれがどんだけあんたを嫌ってるか、それを証明するための、あんたの罪の数を。
「七つあるんだよね。おれがあんたを嫌いな理由。一つ目、まずそもそも言葉の通じない相手だった。肉声を使ったり使わなかったり、どんなトーンで話し掛けても、返事しねぇんだもん。そんな相手、ガキのころのおれの狭い世界の中ではあんただけだった」
 まあ、そんなのよくある話だろう。世の中の父親のすべてが幼い息子や娘と上手に接することができるわけじゃあないんだ。
 だけどね、幼いって理由だけで王さまみたいに振る舞えて、しかも他人に命令できるっていうチカラを持つおれにとって、おれのことをまっすぐ見もしない親父の存在は異質で不気味で怖かった。怖いものは嫌いだった。
「二つ目、あんたはおれのチカラを利用することがあったよな。家に客を招いて、ガキのおれを客の前に立たせて【嘘をつくのは悪いことです】って言わせんだ。号令《コマンド》をかけられた客は、取引も何もなくなる。本音だけしゃべらされて、もうめちゃくちゃだ」
 推測だけど、会話は全部、録音してあったんじゃないかと思う。まずいことをしゃべっちまうやつだって、ざらにいただろう。
 親父がその音源をどんなふうに活用したか。胸クソ悪いイメージが浮かんでくる。噂によると、親父は交渉がうまいらしいけど、たぶん、おれがその片棒を担がされていた。
「三つ目、あんたはおれのチカラについて嘘をついた。ガキのおれが癇癪を起こして号令《コマンド》のチカラでわめいて人に気味悪がられて独りぼっちになったとき、そんなことがたびたびあったけど、そのたびにあんたはおれのチカラを『悪い子にしていた罰だ』って言った」
 だから、おれは自分が悪い子なんだと信じ続けていた。いい子にならなきゃいけないって、一生懸命だった。呪いみたいなチカラは、それでもおれに付いて回った。苦痛だった。
 どーせおれは悪い子だし? なんていうふうに開き直ったの、いつだったっけ。へらへら笑いの仮面で、何事にも手を抜くようになって、どんどん悪い子になるのがわかって自分のチカラを呪って、こんな自分で生きてるのがつらかった。
「四つ目、あんたは朱獣珠についても嘘をつき続けてきた。こいつは、あんたのモンじゃねーんだよ。あんたは運命と血に選ばれなかったんだ。あんたがどんなに望もうが、金をいくら積もうが、誘拐にまで手を染めようが、あんたは宝珠の預かり手にはなれねえ」
 今にして思えば、朱くて怖い石はずっとおれに呼び掛けていた。おれが目撃するたび、石はいつも親父の手の中で朱く光って、ぶんぶんと低く唸ってたんだ。
 皮肉な笑い話だけど、意思を持っているかのようなその光と唸り声がまた、おれには怖かった。朱雀のチカラを宿してるなら、鳳凰の姿になって夢枕に立つとかさ、もうちょい気の利いたことしてみせろっての。
「五つ目、あんたはやり口がセコいんだよ。警察に突き出されておかしくないことばっかやってるくせに一度も前科がないのは、あんたが上手に相手の弱みを握るからだ。ねえ、文徳《ふみのり》、パソコン得意だよね。そこのパソコンの画像、削除よろしくね」
 おれが言った途端、さよ子が顔を伏せた。パソコンに注目が集まって、空気が凍る。
 ごめんね、さよ子ちゃん。見られたいもんじゃないよね。わかってんだけど、おれはもう見ちゃったし、この状況じゃ仕方ない。
 パソコンのディスプレイを占領しているのは、椅子に縛り付けられた少女の写真だ。ずぶ濡れで、淡い青色のワンピースは透けてしまっている。目隠しと猿轡《ボールギャグ》。両脚を開いてロープを掛けられた姿は、肌の露出がなくても、十分に倒錯的で煽情的だ。
 こんな写真を撮られてしまった高校一年生の女の子が、あるいはその両親が、今回の一件を表沙汰にできるだろうか?
 できやしねぇんだよ。
 法で裁くことで報復してやりたいって気持ちは、もちろんあるだろう。でも、画像ごとその記憶を削除してしまえたらいいのにって切望する気持ちを、社会的に正しいだけの解決手段なんかじゃ越えられない。
 文徳は、自分の体で画面をみんなの目から隠すようにして、パソコンの前に立った。親父に背中をさらす格好になる。親父がチラリと文徳を見ると、煥《あきら》が音も声もなく、文徳をかばう位置に動いた。
 おれは続けて言う。
「六つ目、あんたには、動物をかわいがるとか哀れむとか、そういう感性がまったくないわけ? あんたが朱獣珠に願いをかけるためにペットの命を使い捨ててること、おれも姉貴も、現場はもちろん骨すら目撃できずに今まできたけど、全部わかってんだよ」
 朱獣珠がおれに夢で伝えた。現場の記憶を見せて、断末魔の悲鳴を聞かせて、大事な友達が消えてしまった残酷な事実をハッキリと告げた。
 姉貴もその夢をうっすらと見ることが多かった。まだ夜が明けないうちに、二人して真っ青な顔で目覚めて、慌てて探した。探して探して探して、見付かるわけがなくて、絶望感の中で、どこか遠くに行きたいねって話をした。
 動物愛護法ってものがあるのを知ったのは中二のころだ。ペットの虐待は、二年以下の懲役または二百万円以下の罰金だって。軽いな、って思った。二百万円なら、おれ名義の通帳の中にも余裕で入ってた。
 それでも、親父がこの法律に違反してることを訴えるにはどうすればいいんだろうって考えた。親父にとって罰金の額は大したことなくても、ニュースになれば社会的にダメージがあるはずだって。
 だけど、中三のころに母親が抜け殻になっちゃって、入院代とかいろいろ金が必要で、今の状況で親父を転覆させるわけにはいかなくなった。せめておれが自分で金を稼げるようになるまでは、汚い金でもいい、とにかく現状維持しなけりゃならない。
「七つ目、あんたがおかあさんを追い込んだ。おれが中三のころ、あんたはまた事業に失敗しかけたんだろ? 尻に火が点きそうになったとき、おかあさんが朱獣珠に願った。自分の身はどうなってもいいから夫を助けてほしい、って。その結果、おかあさんは……」
 死んではいない。でも、生きていると言い切ることが、おれにはできない。
 おかあさんってどんな人だったんだろう? 改めて考えると、よくわかんねぇんだ。強い人じゃなかったんだろうなって、姉貴と比べたらそう感じる。まあ、割とよく笑う人だったかな。好きな食べ物は知ってる。趣味は、たぶん特になかった。
 他人とトラブルを起こすことがない人だった。うちにはハウスキーパーが入って仕事してたんだけど、おかあさんもそこに交じって一緒に家事をしてて、うるさがられることが全然なかった。一方で、頼られるって感じでもなかったっぽい。
 空気、だったのかな。いなくなった途端、家の中で息ができなくなったから。