文徳が、クシャッと笑いじわを作ってみせた。
「待ってたんだぞ。理仁の家は大変そうだなって薄々知ってて、力になれることがあるにせよないにせよ、せめて俺のところを逃げ場として使ってもらえないかなって思ってて。俺は何もできなくても、煥がいるからどうにかなるかもしれないぞって」
 とっさに出た言葉。
「ごめん」
「何で謝るんだ?」
「おれにもわかんねえ」
「何だそれ?」
 文徳が噴き出す。
 不意に、おれは視野が広がった。みんながこっちを見ている。姉貴と目が合った。姉貴は、唇をきつく噛んでいる。
 話さなきゃいけない。おれと姉貴だけではどうにもできなかったから。
 おれは口を開いた。
「前もさ、四獣珠を呼び集めたのはおれんとこの朱獣珠かもしれないって言ったことあったと思うけど、あのね、事情を話したい。そして、一緒に戦ってほしいんだ。うちの親父を倒すために」
 誰も異議を唱えない。姉貴もおれを止めようとしない。
 予知夢の中で、この瞬間に似たシーンを見たことがある。何度も挑戦した。何度か失敗した。結末の前に目覚めたこともある。今ここで進んでいく現実のストーリーは、果たして、どこまで行けるんだろうか。
 おれは語り起こす。
「あいつさ、うちの親父のことだけど、もうまともな人間の精神をしてないと思う。おれが生まれてからずっと、あいつが朱獣珠を管理してた。おととし、自分で調べてみるまで、おれ、朱獣珠が自分に属するものだって知らなかった」
 みんなに聞いてもらうべきは、朱くて怖い石の話。
 親父がたびたび、ニタッと笑いながら朱い石をのぞき込む光景は、ごく幼いうちから記憶に焼き付いていた。直径二センチちょっとの石は、まるで生きた目玉みたいにギョロギョロとした光を放っていて、幼いおれには怖かった。
 ある夜、飼っていた犬が、ただごとじゃない悲鳴を上げた。ドア越しにそれを聞いたおれと姉貴は、慌てて庭に出て犬の姿を探した。
 朱い石が光っていた。朱い石を持った親父の足下に、犬は血まみれで息絶えていた。
 あのとき、親父は何て言っただろう? 強盗が入って、犬が命懸けで撃退してくれたとか、そういう嘘だった気がする。
「嘘ってことはわかってたよ。うちさ、しょっちゅうペットが死んで、すぐ新しい子が来てたんだけど、親父が利用するためだった。宝珠は、願いをかけて代償を差し出したら、どんな奇跡も起こしてくれる。その代償としていちばん価値が高いのは、命なんだ」
 朱い石が怖かった。
 おれと姉貴の大切な動物たちの命を次々と吸っていく朱い石は、魔物みたいだった。朱い石を使う親父もきっと魔物の仲間なんだと、いつしか思うようになっていた。
 高一の夏、ばあちゃんが死んだ。ひいばあちゃんから預かったという漆塗りの書類箱を、おれに残して。
 書類箱の中身は古文書だった。四獣珠について、預かり手の役割について、願いと代償の等価関係について、チカラと禁忌の均衡について。おれはそれを読んで、初めて、あの朱くて怖い石の正体を知った。自分と朱い石の関係を知った。
 ひいばあちゃんは先代の朱獣珠の預かり手で、おれが生まれると同時にチカラを失ったらしい。それは親父にとって絶好のチャンスとなった。朱獣珠は、預かり手ではない親父の手に渡った。
「おれんちの資産って、あのバカデカい学園も含めて全部、朱獣珠のチカラで引き寄せた代物なんだよ。その陰にあるのは、金額にしたら何万分の一に過ぎない動物たちの命でね。親父はちょっと手を汚すだけで、ポンポン資産を増やしてきた」
 文徳が痛々しそうに顔をしかめている。煥もそっくり同じ顔。やっぱり兄弟だな。
 鈴蘭が胸のあたりでギュッとこぶしを握ってるのは、青獣珠の鼓動を確かめてるんだろうか。鈴蘭はおれと姉貴を交互に見て、今にも泣きそうな顔をして言った。
「わたしは、宝珠に願いをかけてはならないって、預かり手だった祖母や母から聞かされて育ちました。預かり手は、ただ預かるだけ。宝珠は奇跡のチカラを持ちながら眠っていて、人間はその眠りをさまたげて因果の天秤を揺らしてはならない」
 姉貴が、歯型の付いた唇で、呪いの言葉を吐き出すみたいに言った。
「あいつは、朱獣珠を使えば使うほど狂っていった。あいつが勝手に破滅するだけなら、どうだっていいのよ。わたしたちの人生まで乱されたくなかった。だから、理仁が四獣珠の事実を知ったとき、わたしはあいつから朱獣珠を盗み出した」
 そう、おれひとりじゃ何もできなかった。姉貴が引っ張ってくれて、ビビりながらも、どうにか動くことができた。
 だけど、おれと姉貴のふたりでも、逃げるのが精いっぱいだった。親父に反撃することも、その野心を砕くこともできなかった。
 強くなりたい。もうおびえたくないし、逃げたくもない。