襄陽学園の屋上から見晴らす眼下には、変わりなくなつかしい街並みが広がっている。
 複雑な道筋が迷路みたいで、それがまたおもしろくて風情があるってんで、全国的にも有名らしい。港は昔ほど栄えちゃいないけど、キレイな町だ。清潔で、公園も街路樹もあって、川の水も澄んでいて。
 川を挟んで向こう側の町から、若葉色の各駅停車が白い鉄橋を渡ってやって来る。
 がたんごとん、がたんごとん。自動車道路をまたぎながら緩いカーブに差し掛かるあたりで、必ずアナウンスが入るんだ。
 まもなく玉宮、たまみやー。駅に入る手前、電車が揺れます。電車が止まりますまでお席をお立ちにならないか、吊革や手すりにおつかまりください。
 子どものころからちょいちょい利用してた路線だから、景色もアナウンスも覚えてる。セリフの丸暗記は得意分野だ。
 電車が玉宮駅に到着する。レトロなヨーロッパ調の外観。まあ、ヨーロッパの実物を見てきたおれからすると、やっぱ日本だなって思うけど。ゴミ落ちてないし、ドブくさくないし、ネズミいないし。
 あの駅前は、何度かライヴを聴きに行った。条例で、高校生以上のストリートライヴが許可されてるエリアだ。親友がギター持って、ベースとカホン連れて、爽やか系の曲を披露してた。
 ほんとはあいつ、ヴォーカリストじゃないんだけどね。ヴォーカリストは年齢制限に引っ掛かっちゃうんで、同じく年齢的にアウトなキーボーディストと一緒にお留守番してたそうで。
 五人そろった本物の音を聴かせてもらう約束だった。それを果たす前に、おれは日本から逃げ出す羽目になっちまった。そのまま、ほぼ連絡なしで一年。
「やーっと約束が果たせるね、文徳《ふみのり》」
 金網フェンス越しの景色を一望しながら、ひとりごとをつぶやく。
 さっき鳴ったチャイムが放課後のスタートを告げたから、西日の中の学園は部活の時間に向けてソワソワし始めている。
 おれが登校したのはついさっきで、昼近くまで寝てた。
 夢を見て起きて、また寝て夢を見て起きて、の繰り返しだったから、時差ボケを一発で解消するには至ってない感じ。まあ、このくらいならどーにでもなる。食欲はあるし。
 さて、そろそろ日向ぼっこ終了。文徳んとこに行こう。
 学校の屋上って、普通はガッツリ施錠されてて出入り禁止になっている。襄陽学園もご多分に漏れず、ドアに鍵が掛かってる上に、取っ手に鎖が巻かれて南京錠で封印されている。
 じゃあ、なぜおれが今、屋上にいるかというと、合鍵を持ってるからにほかならない。学校じゅうの鍵は全部、親父のとこから拝借してコピーした。この程度の管理体勢って、だいぶ杜撰《ずさん》だよね。
 屋上を元どおりに施錠して、おれは階段を降りる。
【誰もこっち見ないでね~。屋上にこっそり忍び込んでた悪い子なんか、いないからね~】
 放課後のワイワイした階段と廊下に号令《コマンド》を飛ばせば、おれは誰とすれ違っても、見なかったことにしてもらえる。透明人間ごっこ。すっげー気楽。
 このままずっと透明人間って、ダメかな? ダメだろな。
 考えんのは好きじゃないんだけど。マジ嫌いなんだけど。生きてたら、やっぱあれこれ考えて悩んで、もうほんとにしょっちゅう頭ん中ぐちゃぐちゃになる。
 高校は一応出たほうがいいんだろうなとか、大学って行かなきゃいけないもんなのかなとか、もっと効率よく社会人スキルをアップさせてく方法はないのかなとか。