壮行会当日。体育館は独特の熱気に包まれていた。
 普段、オレは集会なんか出ない。人の密集したところは苦手だ。ステージ袖からフロアを見下ろす。うんざりする。
 師央がオレの隣で浮ついていた。
「すごいなぁ! いろんなユニフォームがあるんだ。あっ、寧々さんがいます。アーチェリー部の、旗手のすぐ後ろです。一年生だけど、エース級なんですよね。カッコいいなぁ!」
 ステージ側も、それなりに混雑している。演奏を披露するのが、三組ある。オレたちと、吹奏楽部と、雅楽部、応援団とチア。全員そこいらに控えてるおかげで、うるさい。
 兄貴がステージ上から戻ってきた。生徒会長としての仕事が済んだらしい。
「スタンバイするぞ、煥。本番だけは、きちっとやれよ」
「わかってる」
 オレたちが演奏するのは二曲だけ。ステージ衣装は制服のまま。音響も照明も、設備はショボい。盛大でも本格的でもないライヴ環境だ。
 それでも、本気でぶつかる。
 円陣を組む。遠慮する師央を、兄貴が引っ張り込んだ。兄貴の笑顔が本物になっている。生徒会長の仮面じゃなくて、楽しくてたまらないときの顔だ。
「なあ、師央。瑪都流の由来を話したっけ?」
「いえ、聞いてません」
「バァトルは、古い言葉で『勇者』という意味だ。本物の勇気を持つ者に贈られる称号。勇者であれば、敵も味方も関係ない。その者をバァトルと称える」
 兄貴がオレを見た。
「さっき、亜美たちと話し合った。セットリストを変更しよう。今の煥に歌える唄にする」
「は? 今の、オレ?」
「勇者シリーズ二曲で行こう。煥が詞を書いた、最初の二曲だ。歌えるだろ?」
 おれが中一のころ。唐突だった。兄貴がオレを軽音部の部室に連行した。
「今日からバンドを組む。煥が歌え。詞も、おまえが書いてみろ」
 亜美さんと牛富さんと雄も部室にいた。兄貴は、その前の年にギターを始めていた。亜美さんと牛富さんも、兄貴と同時だった。シンセの雄は、昔からピアノを弾けた。
 オレは、何で歌わされるのか、わからなかった。小学校時代は、日中、誰ともしゃべらずに、ろくに声を出すこともない毎日だった。歌い始めたころは、すぐに声が嗄れた。兄貴たちが練習する隣でじっと黙って、ただ、思ったことを詞に書いていた。
「あの二曲でいいのか? プログラムには、別の曲名を載せてるのに」
 兄貴は一笑した。
「煥が進行のことを心配するなよ。MCはおれに任せろ。おまえは、思うままに歌え。本気のおまえの声、おれは好きだからさ」
 壮行会の裏方がオレたちを呼びに来た。次が出番らしい。
「よし、じゃあ行くぞ!」
 円陣を組んだオレたちは、兄貴のかけ声で気合を入れる。
「っしゃぁっ!」
 その瞬間、日常の雑音が消えていく。自分の内側が水になる、そんな感覚。オレはこれから、自分へと潜る。
 暗いフロア。さざ波のような、期待の声。
 期待? 本当に? オレは、彼らに待たれているのか?
 最初にドラムの牛富さんが、次にシンセの雄が、ステージに上がった。さざ波が、歓声と拍手に変わる。シンプルなセッションが始まる。エイトビート。ループする4コード。
 ベースの亜美さんが、ギターの兄貴が、ステージでのセッションに加わる。歓声が大きくなる。セッションが、ひとつの曲を形づくり始める。シンプルなギターリフ。兄貴が初めて作ったリフだ。
「おまえのイメージで作ったんだぞ」
 得意そうな兄貴の顔を、よく覚えている。BPM200のアップテンポ。息がつけないくらい緊迫して、マイナーなコード展開がもどかしい。速いリズムに鼓動を持っていかれる。叫ばずにいられなくなる。
 兄貴がオレに合図を送った。オレはステージへと駆け上がる。押し寄せる熱気を正面から受け止める。吹き飛ばされそうになりながら。
 オレは歌い出す。
 兄貴がオレのために書いた曲に、オレは、オレ自身を乗せた。水のような自分自身に潜る。息が続く限り潜ったら、ここは、冷たくて同時に温かい場所。形のない自分自身を感じた。
 バァトルって響き、勇者って言葉を、兄貴はオレに与えようとした。そうなれたらいい、と願う。勇者になれたら。
 世界を救うような、大それたモンじゃなくていい。守りたい人を傷付けずに生きていく。それだけでも勇者だと、傷付け続けるオレはよく知ってる。
 弱音だらけのこんな唄を、兄貴や仲間たちは誉めてくれた。ヴォーカルでいる限り、オレは存在を許されるのかな、と思う。
 歌うときだけは、高い声もデカい声も出る。昔、初めて録った自分の声を聴いて、驚いた。不思議な声だった。自分で感じる自分の声は、もっと、こもっている。外から入ってくる自分の声は違った。
 兄貴が言っていた。
「貫かれる、だろ? 耳から入る音のはずが、まっすぐ胸に飛び込んでくる。歌詞を頭で理解するより先に、メッセージに胸を貫かれるんだ。煥の声、魔法だよ。おれは昔から知ってたけどな」
 細いけれど折れない、しなうような声。尖らせて荒らしてみても、響きにまろやかさが残る声。体温より少しだけ高い温度を持つ声。そんな声で、オレは、オレ自身を歌う。