社会人になって少しは話せるようになったけれど、小さい頃はもっと話すことが苦手だった。
いっつも自分の意見が正しいのか気になって、なにも言わずに合わせている方が楽だった。
『菜乃ちゃんって、 親友いないの?』
小学生の頃、同じ方向に帰るクラスメイトに、ある日ふと言われた言葉が、ずっと胸の深くに刺さっている。
自分の意見を言わずになんとなく合わせて過ごしていたら、自分のことを一番に思ってくれる人がいなくなった。
それはつまり、私に興味ある人がいなかったからなんだと思う。
そうか、皆は自分のことを一番に思ってくれる“親友”がいるのか。
けんかしたり、好きな子を取り合ったり、好きな漫画で盛り上がるような、そんな深い友達がいるのか。
なんとなく友達の輪に混ざっていたつもりだったけれど、そのときふと孤独を感じた。
だんだん言葉数が少なくなって、私なんかが話すことを誰も聞いてくれないだろうと思い始めて、大人しくしていると、いつの間にか友達がいなくなっていた。
『菜乃ちゃんつまんないから一緒にいるのヤダ』
クラスのリーダー的存在のその言葉が原因で、“無視”というイジメがゆるやかに始まったのだ。なにを話しかけても背を背けられる日々。
そうだ、あの日からだ。
だんだん給食の味がしなくなって、ご飯は工作のりみたいで、カレーは匂いがしなくて、揚げものはただ口の中を傷める凶器みたいだった。
食べることが大好きだったのに、給食の時間が地獄みたいだった。
私以外の全員が楽しそうに話しているあの空気感。
今思い出しても、息が詰まる。
あのときはまだ幼くて、上手な立ち振る舞いを知らなかっただけだと、今ならそう思える。あんなのイジメに入らないと言われるかもしれないし、小学校のクラスメイトはまさか私をイジメているなんて意識は持っていないだろう。
もっと上手くやればよかった。そんな風に思えるようになったのは、苦しい時期が全部通り過ぎたあとの話で。
私はあのとき、必死に心の中で叫んで問いかけ続けていたことがある。
“私の居場所は、どこ?”
いつも教室を定点カメラで観ているような、そんな気持ちだった。
高校と大学は、幸いいい友人に恵まれて、穏やかな毎日を過ごすことができた。