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受験生の時間は加速度的に流れていく。必死で集中して問題を解いて、ああまだ十分に見直していない、完璧な回答にはほど遠いのにとあせりながら、あっという間に消えてなくなる時間に追いすがりたくても、どうにもならない。
夏の終わり、ミネソタみやげを持ってやって来た竜也に、予定どおり「またやせたでしょ」と言わせた。この夏は、やせたくてたまらなかった四月からのうちでもいちばん、食べない生活を実行できたと思う。わざと部屋を暑い状態にして、食欲が湧かないようにした。
秋になって過ごしやすくなって、食欲の秋という言葉がことあるごとに頭をよぎるようになった。食べたい。食べちゃいけない。コーヒーを飲んでごまかす回数が増える。その後に体重計に乗ると、当然ながら数百グラムの増加。そのわずかな針の動きが、苦痛。
ずっとおなかを壊している状態だった。わたしにとっては都合のいいことだった。体の中に食べ物が存在することを許したくない。
日山高校の体育の授業には伝統があって、準備運動として必ず八分間走をする。昔は十五分間走だったのが、授業時間の都合で半分になったそうだ。
だらだらと走ったり授業態度が悪かったりすると、何度でも八分間走をさせられる。わたしたち、文系理系の特進クラスの合同体育では、さすがあちこちの中学の優等生が集まっているというべきか、最初の八分で終わらなかったことは数える程度しかない。
十月後半の肌寒い日、数ヶ月ぶりに、八分間走のやり直しを食らった。先生の虫の居所が悪かったのかもしれない。やり直しは二回。合計二十四分で、特に最後の一回は全力疾走を命じられたから、かなりきつかった。
そう、きつかった。これだけ走ったら、肌寒さがかえって心地よいくらいに体が熱くなるはずだ。それなのに、わたしは震えていた。寒くてたまらなかった。汗がまったく出ていない。
無理やり前へ前へと体を進めていたのが、ひとたび走り終わってクールダウンを始めたとたん、わたしは動けなくなった。めまいがするわけでも、気持ち悪いわけでもない。ただ、体が重くてたまらない。吸い込む息さえひどく重くて、抱えているのが面倒くさかった。
わたしは息を吐いた。吐き切ると、ふわっと体が浮いた気がした。逆だった。気付いたら、グラウンドの土の上に倒れ込んでいた。
金縛りみたいな状態だった。目は開いている。まわりがざわつく声も聞こえる。でも、体がピクリとも動かない。
肩に熱が触れた。誰かの手のひらだ。
「おい、蒼。どうした? 大丈夫か?」
雅樹の声が耳元で聞こえた。息が切れている。走った後だから、当然か。
何度か揺さぶられると、唐突に体が動くようになった。わたしはのろのろと起き上がる。雅樹がわたしの肩を抱くように支えていて、振り払いたいのに、力がまったく入らない。視線を上げることさえ億劫だ。雅樹の首筋に汗が伝っているのが見えた。
わたしのまわりには人だかりができた状態だった。小走りでやって来た先生が、わたしの前にかがみ込んで、雅樹と同じことを問う。
「自分でも、わかりません」
「授業、続けられるか?」
「……無理です」
「じゃあ、保健室に行ってこい。鹿島先生からも話には聞いていたが、難関校狙いで、ずいぶん根詰めて勉強しているらしいな。ここまで無理をさせるつもりはなかった。すまん。調子が悪いときは正直に申告して、休んでいい」
体育の先生が生徒の顔を覚えているなんて思っていなかった。それとも、わたしが悪目立ちしているだけなんだろうか。夏の合宿にも行かなかったし。
一人では立てなかった。手を借りるのはイヤだったけれど、雅樹に支えてもらって立った。
「蒼、抱えていこうか?」
「ふざけないでよ」
「んなわけねぇだろ」
「わたし、重いから無理だよ」
「あのなあ」
小柄だったはずの雅樹の背丈は、わたしよりも高くなっていた。それでも、元陸上部の雅樹はすごく細くて、人ひとり抱えるなんてできるはずもない。
わたしは強引に足を前に出した。体は引きずるほどに重くて、力が入らない脚は、どうしてもぐらぐらする。
尾崎がわたしの前に立ちはだかった。いや、わたしは彼女の顔を見たわけじゃなくて、うつむきがちになる視界に、尾崎と名前が刺繍された体操服の立派な胸が現れたんだ。
「見てらんないよ。あたしも付いていく。二人がかりなら、ちゃんと支えて歩かせられるでしょ。蒼、ちょっと体にさわるからね」
「蒼ちゃん、あたしも行こうか?」
ひとみの声には、かぶりを振った。これ以上、大げさにしたくなかった。弱っているところなんて、誰にも見られたくない。
雅樹と尾崎に引っ張られるようにして、わたしは保健室に向かった。寒くて寒くて、ずっと震えていた。
受験生の時間は加速度的に流れていく。必死で集中して問題を解いて、ああまだ十分に見直していない、完璧な回答にはほど遠いのにとあせりながら、あっという間に消えてなくなる時間に追いすがりたくても、どうにもならない。
夏の終わり、ミネソタみやげを持ってやって来た竜也に、予定どおり「またやせたでしょ」と言わせた。この夏は、やせたくてたまらなかった四月からのうちでもいちばん、食べない生活を実行できたと思う。わざと部屋を暑い状態にして、食欲が湧かないようにした。
秋になって過ごしやすくなって、食欲の秋という言葉がことあるごとに頭をよぎるようになった。食べたい。食べちゃいけない。コーヒーを飲んでごまかす回数が増える。その後に体重計に乗ると、当然ながら数百グラムの増加。そのわずかな針の動きが、苦痛。
ずっとおなかを壊している状態だった。わたしにとっては都合のいいことだった。体の中に食べ物が存在することを許したくない。
日山高校の体育の授業には伝統があって、準備運動として必ず八分間走をする。昔は十五分間走だったのが、授業時間の都合で半分になったそうだ。
だらだらと走ったり授業態度が悪かったりすると、何度でも八分間走をさせられる。わたしたち、文系理系の特進クラスの合同体育では、さすがあちこちの中学の優等生が集まっているというべきか、最初の八分で終わらなかったことは数える程度しかない。
十月後半の肌寒い日、数ヶ月ぶりに、八分間走のやり直しを食らった。先生の虫の居所が悪かったのかもしれない。やり直しは二回。合計二十四分で、特に最後の一回は全力疾走を命じられたから、かなりきつかった。
そう、きつかった。これだけ走ったら、肌寒さがかえって心地よいくらいに体が熱くなるはずだ。それなのに、わたしは震えていた。寒くてたまらなかった。汗がまったく出ていない。
無理やり前へ前へと体を進めていたのが、ひとたび走り終わってクールダウンを始めたとたん、わたしは動けなくなった。めまいがするわけでも、気持ち悪いわけでもない。ただ、体が重くてたまらない。吸い込む息さえひどく重くて、抱えているのが面倒くさかった。
わたしは息を吐いた。吐き切ると、ふわっと体が浮いた気がした。逆だった。気付いたら、グラウンドの土の上に倒れ込んでいた。
金縛りみたいな状態だった。目は開いている。まわりがざわつく声も聞こえる。でも、体がピクリとも動かない。
肩に熱が触れた。誰かの手のひらだ。
「おい、蒼。どうした? 大丈夫か?」
雅樹の声が耳元で聞こえた。息が切れている。走った後だから、当然か。
何度か揺さぶられると、唐突に体が動くようになった。わたしはのろのろと起き上がる。雅樹がわたしの肩を抱くように支えていて、振り払いたいのに、力がまったく入らない。視線を上げることさえ億劫だ。雅樹の首筋に汗が伝っているのが見えた。
わたしのまわりには人だかりができた状態だった。小走りでやって来た先生が、わたしの前にかがみ込んで、雅樹と同じことを問う。
「自分でも、わかりません」
「授業、続けられるか?」
「……無理です」
「じゃあ、保健室に行ってこい。鹿島先生からも話には聞いていたが、難関校狙いで、ずいぶん根詰めて勉強しているらしいな。ここまで無理をさせるつもりはなかった。すまん。調子が悪いときは正直に申告して、休んでいい」
体育の先生が生徒の顔を覚えているなんて思っていなかった。それとも、わたしが悪目立ちしているだけなんだろうか。夏の合宿にも行かなかったし。
一人では立てなかった。手を借りるのはイヤだったけれど、雅樹に支えてもらって立った。
「蒼、抱えていこうか?」
「ふざけないでよ」
「んなわけねぇだろ」
「わたし、重いから無理だよ」
「あのなあ」
小柄だったはずの雅樹の背丈は、わたしよりも高くなっていた。それでも、元陸上部の雅樹はすごく細くて、人ひとり抱えるなんてできるはずもない。
わたしは強引に足を前に出した。体は引きずるほどに重くて、力が入らない脚は、どうしてもぐらぐらする。
尾崎がわたしの前に立ちはだかった。いや、わたしは彼女の顔を見たわけじゃなくて、うつむきがちになる視界に、尾崎と名前が刺繍された体操服の立派な胸が現れたんだ。
「見てらんないよ。あたしも付いていく。二人がかりなら、ちゃんと支えて歩かせられるでしょ。蒼、ちょっと体にさわるからね」
「蒼ちゃん、あたしも行こうか?」
ひとみの声には、かぶりを振った。これ以上、大げさにしたくなかった。弱っているところなんて、誰にも見られたくない。
雅樹と尾崎に引っ張られるようにして、わたしは保健室に向かった。寒くて寒くて、ずっと震えていた。