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 夏休みの間に、智絵と何度も会った。好きな小説や漫画の話をして、お互いの小説とイラストを見せ合って、本の貸し借りもした。
 わたしがギターを弾けることと、歌うのが好きなことも話した。智絵は少しピアノが弾けるらしい。気が向いたら合奏してみようか、という話にもなった。わたしは少しおしゃべりのやり方を思い出したし、ときどき笑うこともあった。

 始業式の朝、わたしは智絵と落ち合って一緒に登校した。わたしや智絵の住む地区は、ギリギリ徒歩通学のエリア内だ。もう少しだけ遠ければ、バスや自転車での通学が認められるのだけれど。

 智絵がひっそりした声でしゃべるのは、癖になっているらしかった。少しつっかえながらしゃべるのも治らないそうで、本人はひどく気にしている。
「わたしは気にならない。謝らなくていいよ」
 そう言ったら、智絵はうつむきがちに歩きながら、何度もうなずいた。長いみつあみが不規則に揺れた。

「ありがと……そんなふうにかばってくれる人、あんまり、いなくて」
「美術部には、しゃべれる相手がいるんでしょ?」
「う、うん。でも、彼、兼部してて、けっこう人気があって……なかなか会えないし、美術室じゃない場所では、申し訳なくて、話せない」
「彼? 男子なんだ」

 智絵はうなずいて、そのまま深くうつむいた。
「同じクラスの、上田《うえだ》くん。わかる? えっと、放送委員で、まじめな放送も、お昼のDJみたいなこともやってて……声、キレイだし、スポーツもできて、派手じゃないけど、人気あるの」

「上田って人ならわかる。一学期、同じ班だった。目が悪いから、いつも前のほうの席にしてる人だよね?」
「うん。上田くん、絵も上手で……それに、優しくて。声かけてくれるの。あたしにも、普通に。あたしも、どうにかしゃべれる。つっかえちゃうし、顔も赤くなって恥ずかしいけど」

 そう、わたしも普通に話しかけられたことがある。変わった人だと思った。だから記憶に引っ掛かった。
 一学期の半ば、午前中の授業が終わった後。もうくたびれ切ったわたしが学校を抜け出そうとしたときだった。職員室で担任に「帰ります」と告げて廊下に出ると、たまたま上田がそこにいた。放送室は職員室のすぐ近くにある。

 上田はわたしを呼び止めた。
「お疲れさま。ぼくも教室にずっといるのは疲れるから、何か、わかるよ。特に給食の時間はきついよね。だから、昼の放送の当番を多めに入れてもらってる。当番だと、教室で食べずにすむから」

 わたしは「そう」としか答えられなかった。上田が同情するわけでも見下すわけでもなく、サラリとした口調でわたしの学校嫌いに同意したせいだ。わたしはうろたえてしまった。
 上田は「気を付けて帰って」とささやくように言って、放送室に入っていった。

 校舎の陰に隠れながら、給食の匂いの中を校門へと走るわたしの背中に、柔らかい響きの男の声がふわりと触れた。
「皆さん、こんにちは。お昼の放送の時間です。本日のお相手は、上田です」

 ああ、この放送の人がさっきの男子か。
 琴野中には、人の話なんか聞かないという空気が蔓延している。でも、そのくせお昼の放送のときにDJが「上田」と名乗ると、派手な女子のグループが「いい声だよね」とほめる。ラジオ好きな誰かが「上田はレベルが高い」と言ったから、ほめる空気になったらしい。
 確かに、いい声だ。優等生な少年役の声優みたいな、整った声。

 そんなことがあったから、わたしは上田という人物を覚えた。上田は、放送ではノリのいい言葉づかいもする一方、教室でのしゃべり方は静かだ。背は高いほうだ。女子に囲まれて「上田ってかわいいよね」と言われて困っているのを、たびたび見る。

 智絵が不意に、か細い声でつぶやいた。
「あたし、上田くんのこと、好きなんだ……ずっと前から」
 どう返事をすればいいのか、わからなかった。
「そうなんだ」
「だ、誰にも言わないでね。あたしなんかが上田くんのほう見てたら、それだけで上田くんに迷惑かかっちゃうから」

 大げさじゃない? おびえすぎじゃない? わたしはそう思ったけれど、口には出さなかった。
 誰かに恋愛感情を寄せられるだけで迷惑がかかるものなんだろうか。ストーカーされるのは別として、普通、迷惑というほどのこともないんじゃない? 上田には放送のファンだっているんだし、好かれることには慣れているはず。

 でも、わたしの考えはピントがずれていた。そのことを思い知ったのは、校門のすぐそばでのことだ。